Aug 27, 2011

映画美学校ドキュメンタリーコース初等科 終わり

新企画のプレゼンを、筒井武文監督、是枝裕和監督、諏訪敦彦監督、塩崎登史子監督、内藤雅行キャメラマンがいる場で発表し、ありがたくダメ出しを食らう。という最後の授業がさっき終わって、約1年間の初等科のカリキュラムは終了した。

自分の企画はやるかどうかまだ半々。
カメラとマイクがあれば、とりあえずはスタート出来るのだが、もう少し、今日是枝監督と諏訪監督にダメ出しされた点について詰める必要があるかも。もしくは、全然気にせずに自分で突き詰めていってやってしまえば良いかも。
でも、結局ドキュメンタリーの企画なんて、あってないようなものかもなあと思ったりもする。
やってみて、ダメだったらダメ。面白かったら続ける。そんな感じだろう。少なくとも自主のうちは。
満場一致でGO!が出る企画なんて、フィクションでやれば良いとすら思う。
撮り始めるときに、どうなるのか分からない。でも、完成させられれば、そこに重要な何かが映し出せる「予感」がする。
そういう企画しか、今の自分には興味がない。
仕事としてドキュメンタリーの企画出すって、大変なんだろうなと、是枝監督のツッコミを聞いていて実感したとこも大いにあるが、それは想定内というか…映画美学校の初等科の最後に出す企画。として考えて出しているので、満場一致でGO!が出るようなものはそもそも考えていないのだ。そーゆうのは、別の場所で(例えばプロデューサーがきちんとついて、制作費が出て、出口も決まるような場所)やりゃいいじゃないか。と、別に反抗心とかではなく、率直に思った。

同世代の奴らが出す企画は、「画にならない」ものが多い。企画書に表現された言葉も抽象的だ。
「で、何を撮るのか?」との問いに即答出来ない企画が多い。自分の企画もそんな感じだと思う。
でも、今の日本で「何を撮るのか?」という問いを真剣に考えれば考えるほど、気分とか、精神の変化とか、ムードとか、何かそういう「モヤモヤ」「ふわふわ」したものしかないとも切実に思う。
今のところ自分はそれは「2010年代の時代性」なんだと思っている。
分かりやすい企画は、仕事でテレビドキュメンタリーを作っている人がやればいいだろう。
映画美学校は最強のインディペンデント作家を養成する学校のはずだ。
8割に伝わらない企画こそやるべきなんじゃないかと思う。でも2割の心の奥底に届く何かを映し出せないか。
そういう事を、考えている。


「画にならないものを、どう画にするのか?」
そこに真正面から斬り込んでいけるかどうか。作り手側の創造性が最も求められているのはここしかない。
逆にアンチを唱えるのなら、今、画になるものを撮って、どんな意味があるのか?
イメージにならないモヤモヤ。イメージにならない気分。それこそ、今撮るべき対象じゃないのか?
そういう社会だし、そういう時代じゃないか。今の日本は。


政治の季節なんて、本でしか知らない。イデオロギーなんて今扱ってどうする。


撮りたいのは、2011年の、この、何も無い。そしてどこか満たされていない。その「気分」にしかない。


「MAKING of MANGA」を一緒に製作したKの企画には参加する予定。今年中に撮影開始出来れば、という感じ。最後までやり切れば、面白いものにはなるだろうと思う。


明日は修了式という名の、ただの打上げ(?)があるらしい。今週で、昨年秋頃からの生活には一区切りつきそうだ。

終わってK、O、S、Oと終電まで飲んだが、飲み足りないのでシングルモルト余市で、色々と考えることとする。



高等科?まあ、それまでに金の都合がつけば…

困ったことに、金を稼ぐ事は確かに大事だと思いつつも、そんな事より面白いものを、見つけてしまっている。
27歳にして、彼女と親に頼りっぱなしの生活で、何とも情け無いのだが、これは、何というか、どうしようもないのだ。
そういう、「創るところの面白さ」に、既に入り込んでしまっている。
とんでもない彼氏だし、とんでもないどら息子である。




普通の顔をして生活しているようで、もう、会社員の頃の皮膚感覚ではないのだ。
お金とかは、心底、大した問題ではないのだ。
お金が無くなって生活できなくなったら、それはそういう人生だ。
「覚悟」とかよく言ってるのを聞くけど、会社員を辞めた時点で、そんな覚悟はとうに持っている。



「面白い」と思えることを、やり続けるしか、ない。



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1 comment:

  1. まずはお疲れさん。AAAIAUAのこれからに幸あれ。

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