Aug 31, 2011

「本当はナンバーワンになりたいのか?」問題

来月の山形国際ドキュメンタリー映画祭に、行こうかどうか迷っている。
行くなら7泊くらいしないとだめだが、少なく見積もっても移動費、宿泊費、飯代で6万くらいはかかりそうだ。
で、短期のバイトをネットの求人サイトみたいなとこで探していた夜。

「働きたい時だけ働いて、ガッツリ稼ごう!」
「自らの頭で考える人を募集!」
「あなたの個性を存分に発揮!」
「スキルアップが望める仕事です!」

みたいな文句が並ぶ。
なんて素晴らしいんだ。不景気、不景気と皆言うが、ネットを使いこなして求人サイトを覗けばコレだ。
ハハ、阿呆らし。ちょっとネットを使いこなしてみればほうら見ろ。素晴らしい仕事がこんなにたくさんあるではないか。
どの募集に出ている人たちも溢れんばかりの笑顔。笑顔。笑顔。
どれ、こんな事実を私の愚鈍な友人で、いつも仕事が仕事がといって暗い顔をしておるあやつに教えてこましたろ。
こんなに、素晴らしそうな仕事が世の中には溢れているって事をさ。
ああ、自分は先進国日本に生まれて良かった幸せ。


嘘である。


正しく書きなおしてみよう。
「働きたい時だけ働いてガッツリ稼ごう!(※いつでも切れるバイトを増やして社員を減らせば弊社に利潤がでますので)」
「自らの頭で考える人を募集!(※但し、業務の社会的意義や、倫理などについてはあまり真剣に考えないで下さい)」
「あなたの個性を存分に発揮!(※但し、会社の規程の枠内でのみ。髪の毛は黒く、短めが望ましい)」
「スキルアップが望める仕事です!(※本当にスキルのある方は初めから正社員として各社に入社しておりますが)」


この求人募集に書かれている言葉とイメージは、ほぼ、嘘ではないか。
何故、これほどまでの嘘を大っぴらに書いていて許されるのか。公共広告機構みたいなとこに怒られないのか。
私は憤慨した。苦虫を噛み潰した顔をしながらウイスキーを飲み干した。
余りにグラスを持つ手に力が入ってしまい、ひびが入って、ガラスの破片が指先に突き刺さり、血が滴ったウイスキーを、飲み干した。


嘘である。


そんなに怒ることはない。だって、ここに書いてある言葉と、イメージは、その事を意識することもなく
「嘘である」と、認識しているからだ。大抵の人は。
よく考えると、不自然にも。



ついでにこんな歌詞が、日本では爆発的人気になったりする。
「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」
そうか、日本人ってのはみんな、「オンリーワン」な存在を認めているのだ。
競争社会など日本人は嫌いで、誰に勝つとか負けるとか、嫌いなのだ。
個性を認める国民性。ユニークな人間を認める国民性。みんな、そのままでいいんだ。
Peace!
We are all one!素晴らしい。
こんな平和で寛大な精神を持つ、日本人として生まれて育ってこれて良かった幸せ。


嘘である。


どうも世の中を見回すと逆である。
社会に適応していく人間は、どちらかというと、無個性、無主張、無思想、無批判、無関心、無知。
流される人ほど適応していく。流されない奴は適応に手こずる。
なんで「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」って歌詞が大好きなのに、
皆東大に入りたいのか。東大卒を凄いと言うのか。1流企業に勤めている人たちを凄いと言うのか。
てゆうか、「ナンバーワンにならなくていい」のだから、企業に1流も2流も3流もない。学歴も一緒だ。

この日本人の捻れた感覚はどこから来たのか。それは歴史的にもそうであったのか。それとも最近の事なのか。

「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」
という歌詞を、国民の大半を占める人たちが「素晴らしい」と言う。それは素直に言っているように思える。
でも、同時にその大半を占める人たちが、実社会では「オンリーワン」を嫌っているように感じられる。
「オンリーワン」は、なるべく排除しようと動いている気がする。
自分が「オンリーワン」にならないように、日々努力している気がする。




この国の国民は分からん。
嘘を氾濫させすぎて、広告も、メディアも、人間関係も、経済も、政治も、嘘の上でしか回らないようになってしまったように見える。嘘を氾濫させすぎて、それが嘘であったかどうかも認識せずに生きている気がする。

そして、野田って、誰だ?




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Aug 29, 2011

雑記

金曜、土曜と飲む。どちらも渋谷。

土曜は飲む前の夕方に走る。30分程度。

今日は夜に走る。30分程度。

Ballantineを飲む。ロックだと飲みやすいかも。

松本大洋「Sunny」1巻購入。ヨーヨー付き。カバーデザインがカッコよすぎる。


レンタル「ANPO」「たまの映画」「180°SOUTH」「トルソ」

今、外から鈴虫の鳴き声が聞こえている。スーパーには秋刀魚が出ていた。夏も終わりだ。




ボリス・ヴィアンの「L'Écume des jours」を「日々の泡(あわ)」と訳したものは大学在学中に読んだ記憶があるが、「うたかたの日々」との訳のものは読んだことがない。あわ?うたかた?という事を考えたりした。




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Aug 27, 2011

映画美学校ドキュメンタリーコース初等科 終わり

新企画のプレゼンを、筒井武文監督、是枝裕和監督、諏訪敦彦監督、塩崎登史子監督、内藤雅行キャメラマンがいる場で発表し、ありがたくダメ出しを食らう。という最後の授業がさっき終わって、約1年間の初等科のカリキュラムは終了した。

自分の企画はやるかどうかまだ半々。
カメラとマイクがあれば、とりあえずはスタート出来るのだが、もう少し、今日是枝監督と諏訪監督にダメ出しされた点について詰める必要があるかも。もしくは、全然気にせずに自分で突き詰めていってやってしまえば良いかも。
でも、結局ドキュメンタリーの企画なんて、あってないようなものかもなあと思ったりもする。
やってみて、ダメだったらダメ。面白かったら続ける。そんな感じだろう。少なくとも自主のうちは。
満場一致でGO!が出る企画なんて、フィクションでやれば良いとすら思う。
撮り始めるときに、どうなるのか分からない。でも、完成させられれば、そこに重要な何かが映し出せる「予感」がする。
そういう企画しか、今の自分には興味がない。
仕事としてドキュメンタリーの企画出すって、大変なんだろうなと、是枝監督のツッコミを聞いていて実感したとこも大いにあるが、それは想定内というか…映画美学校の初等科の最後に出す企画。として考えて出しているので、満場一致でGO!が出るようなものはそもそも考えていないのだ。そーゆうのは、別の場所で(例えばプロデューサーがきちんとついて、制作費が出て、出口も決まるような場所)やりゃいいじゃないか。と、別に反抗心とかではなく、率直に思った。

同世代の奴らが出す企画は、「画にならない」ものが多い。企画書に表現された言葉も抽象的だ。
「で、何を撮るのか?」との問いに即答出来ない企画が多い。自分の企画もそんな感じだと思う。
でも、今の日本で「何を撮るのか?」という問いを真剣に考えれば考えるほど、気分とか、精神の変化とか、ムードとか、何かそういう「モヤモヤ」「ふわふわ」したものしかないとも切実に思う。
今のところ自分はそれは「2010年代の時代性」なんだと思っている。
分かりやすい企画は、仕事でテレビドキュメンタリーを作っている人がやればいいだろう。
映画美学校は最強のインディペンデント作家を養成する学校のはずだ。
8割に伝わらない企画こそやるべきなんじゃないかと思う。でも2割の心の奥底に届く何かを映し出せないか。
そういう事を、考えている。


「画にならないものを、どう画にするのか?」
そこに真正面から斬り込んでいけるかどうか。作り手側の創造性が最も求められているのはここしかない。
逆にアンチを唱えるのなら、今、画になるものを撮って、どんな意味があるのか?
イメージにならないモヤモヤ。イメージにならない気分。それこそ、今撮るべき対象じゃないのか?
そういう社会だし、そういう時代じゃないか。今の日本は。


政治の季節なんて、本でしか知らない。イデオロギーなんて今扱ってどうする。


撮りたいのは、2011年の、この、何も無い。そしてどこか満たされていない。その「気分」にしかない。


「MAKING of MANGA」を一緒に製作したKの企画には参加する予定。今年中に撮影開始出来れば、という感じ。最後までやり切れば、面白いものにはなるだろうと思う。


明日は修了式という名の、ただの打上げ(?)があるらしい。今週で、昨年秋頃からの生活には一区切りつきそうだ。

終わってK、O、S、Oと終電まで飲んだが、飲み足りないのでシングルモルト余市で、色々と考えることとする。



高等科?まあ、それまでに金の都合がつけば…

困ったことに、金を稼ぐ事は確かに大事だと思いつつも、そんな事より面白いものを、見つけてしまっている。
27歳にして、彼女と親に頼りっぱなしの生活で、何とも情け無いのだが、これは、何というか、どうしようもないのだ。
そういう、「創るところの面白さ」に、既に入り込んでしまっている。
とんでもない彼氏だし、とんでもないどら息子である。




普通の顔をして生活しているようで、もう、会社員の頃の皮膚感覚ではないのだ。
お金とかは、心底、大した問題ではないのだ。
お金が無くなって生活できなくなったら、それはそういう人生だ。
「覚悟」とかよく言ってるのを聞くけど、会社員を辞めた時点で、そんな覚悟はとうに持っている。



「面白い」と思えることを、やり続けるしか、ない。



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Aug 25, 2011

映画美学校2010年度初等科修了作品発表会

オーディトリウム渋谷という映画館で「映画美学校2010年度初等科修了作品発表会」があります。
入場自由です。

ドキュメンタリーコース初等科の修了作品は4作品。9/16(金)の19:00からの上映です。

自分が構成と編集を担当した「MAKING of MANGA」は4つのうちのラストの上映です。

4作品の上映後、カメラマンの山崎裕さん(!是枝組のカメラマンとして昔から尊敬している…)、シグロ代表の山上徹二郎さん、そして我らが主任講師の筒井武文監督による講評もあるらしいです。
例年、ボロクソに言われるらしいので、映画学校の学生がプロにボロクソに言われる。というのを見てみたいという方にもオススメです。







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以下、映画美学校事務局の方が書いた(のだろう)と思われる「MAKING of MANGA」の紹介文。
MAKING of MANGA
2011(31分)※DV
スタッフ:上田絵美/川上拓也/小町谷健彦
初めて月刊誌IKKIで連載を始めた土屋雄民。「ガギグゲキッコ」という連載作品の最終回に立ち会い、一枚の真っ白な紙と1本のペンから生まれた、苦悩と感動を映し出す。

苦悩と感動…中々にハードルを上げられているのではないか…


筒井監督からのコメントは、
「創造の苦しみと快楽を描く『MAKING of MANGA』。被写体はどこまで曝け出せるのか。」
創造の苦しみと快楽を…なるほど。



※詳細はこちら
http://a-shibuya.jp/archives/1187



会社員を辞めて、無職になって美学校に入って作った初作品。
撮影・録音のスタッフ二名もフリーター。
なけなしの生活費を削って制作に参加してくれた作品。
撮影場所まで行く電車賃がない。という事で徒歩で撮影場所まで来る。というような極限の経済状況の中。
夜から朝まで撮影。その後バイト。というようなハードスケジュールの中。
最後まで見捨てないで付き合ってくれた2名のスタッフの協力無しには完成しなかったであろう本作。


何かを作っている方。作ろうともがいている方。
自分の生活は、このままで良いのだろうかと日々悩みながら働いている新人サラリーマンの方。
何者でもない自分の将来に希望と不安を抱えながら生活している学生の方。
20代で何者でもなかった自分の事を思い返している方。
単純にマンガ好きの方。マンガの執筆過程を見てみたいという方。月刊IKKIのファンの方。
ドキュメンタリーに興味のある方。
別にマンガもドキュメンタリーも興味ないけど、9/16(金)夜の予定がフリーだなーといった方。

新人漫画家の初連載作品の最終話の執筆に密着し、ファミレスでのネーム執筆、自宅での原稿執筆の過程を追うと共に、担当者さんとの打合せや月刊IKKI編集長の方のインタビューを撮影させて頂いています。撮影許可の交渉が難航しながらも、何とか撮影させて頂いた印刷所や、実際の単行本が書店に並んだシーン。そして、初の単行本が世に出て、同時に連載を終了し、漫画家としての日々の生活の糧を一旦失った新人漫画家の心境のインタビューで、本作品は幕を閉じます。31分の短編です。一言で、「マンガが出来るまで」を追った作品です。企画当初に描こうとしていたものは、「創作」と「新人の想い」のようなものでした。どちらも、様々な方の甚大なご協力のおかげで、何とか描くことが出来た作品になったと思っています。


小学館月刊IKKIにて初連載中だった新人漫画家・土屋雄民氏の「ガギグゲキッコ」という作品の最終回の執筆過程を撮影していく中で、主人公キッコの想い、作家のメッセージに、強い共感を感じながら、いつのまにか構成が決まっていった「MAKING of MANGA」。

撮影のミスも編集の下手くそさも録音状態の悪さも、色々と技術的な課題が残った作品ではありますが、
初めて作った作品が、これになって本当に良かったと、今では思っています。



このブログを見てくださっている奇特な皆様。是非とも冷やかしにお越しください。なにせ無料です。
オーディトリウム渋谷は普通の映画館なので、特別「内輪」な感じもしないはずです。
もし来てくださった方がいれば、気軽に声をかけて頂ければ幸いです。
丸メガネをかけて体調が悪そうなのが私カワカミです。
「全然面白くなかった!」でも、「よく分からなかった!」でも、「まだまだだね」でも、何かしらの反応を頂く機会になればよいなあと思っています。



では、9/16(金)夜に、渋谷で。
ちなみに、15(木)はフィクションコースの上映です。こちらも是非。




※twitter辞めちゃったので、twitterやっててこれ見た人、このエントリーのリンク貼ってtweetしてくれると嬉しいです。小**とか、小**とか、あと、小**とか。


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Aug 24, 2011

小旅行記 名古屋〜金沢〜長野〜松本

8/18(木) @ 名古屋

前日、徹夜。
焼きつくような日光を久しぶりに感じながら新宿へ。41と合流。
10:30新宿発。16:30頃、名古屋着。高速バス。
栄へ移動し、ビジネスホテルにチェックイン。小休憩の後、金山へ移動。
TTI(大学)飲み会。メンバーは41、P、S、H。Pは数日前にアメリカから帰国したばかりだったので、その留学の話など。それに加え、各自の近況など。
自動車業界への就職が多い大学出身(Pだけ現在もドクターで在学中)で、数年前までは同じ大学にいたメンバーであるが、自動車業界に行ったのは一人だけで、一人は物流関係大手で手取りで月30以上を稼ぎ、一人はドクターの修羅の道を歩み、一人は院を中退してAKB系ショップでフリーターをやり、一人は無職で映画を作ったりしている。今から10年後、皆はどうなっているんだろう。
日付が変わる頃、41の提案で何故かカラオケへ。このメンバーでカラオケって…と思いながらも。
各自、バラバラな趣味の中、バラバラなジャンルを歌う。Hのアニソンは素晴らしかった。1曲も知らなかったが。
2:00頃Sが翌日朝からの仕事のため離脱。残ったメンバーは3:30頃までダラダラした後、デニーズへ。
始発待ちのファミレスでどれくらい粋なトークで場を繋ぐことが出来るか。という事を試すも、全員眠気マックスのためグダグダになる。5:00頃PとHが帰宅。そして残された41と俺。
始発まであと30分。というタイミングで、まさかのタクシー乗車。10分くらいでホテル着。
6:00頃就寝。といっても、自律神経がおかしくなってしまい結局は2時間程度の睡眠。
TTIメンバーはそれぞれが、それぞれの道で頑張っている。
今回は、来ると聞いていたMが諸事情により不参加、という事で、最大手H社に入社した彼が、入社後数ヶ月経過し、今どんな感じなのか話を聞こうと思っていたため非常に残念だった。次の機会にまた。
確かなことは、名古屋では“名古屋嬢”が減っていることだ。



8/19(金) @ 名古屋
11:00起床。12:00チェックアウト。ホテル向かいの店でラーメンを食って41と別れる。
徒歩で15分程度伏見の方に歩き、この日に予約していたホテル周辺でチェックイン時刻の15:00まで時間をつぶす。
カフェ2つ。南博「白鍵と黒鍵の間に」を読む。80年代銀座の雰囲気を、10年代名古屋にて感じる。
15:00頃チェックイン。ホテルのランドリーで洗濯などしつつ、ダラダラする。17時頃に眠気マックスを迎えるが、ここで寝ると深夜に起きること必定と思い堪える。コンビニ弁当の軽いやつなど食しつつ、鳥人間コンテストに涙しつつ、シャワーを浴びつつ、0:00頃まで眠気を堪える。
0:00頃、Sが仕事を終え東京からホテル着。
ようやく寝れると思い電気を消すも、やはり自律神経の乱れ激しく、実質の就寝は5:00頃。
こう書いてみて気がついたが、水曜から金曜の3日で実質3時間くらいしか寝ていなかった。
ヤバい。ちょっと寝なさすぎだった…



8/20(土) @ 名古屋〜金沢
1時間程度ウトウトして6:00起床。雨。ホテルフロントで傘を購入しつつ6:45頃チェックアウト。
名古屋駅から金沢駅まで。高速バス。7:30〜11:30。バス内で寝た。金沢は初。
駅構内観光案内所にて観光マップをゲットし、ホテルへ荷物を預けてから近江町市場へ。
13:00頃、刺身屋定食なるものを頂く。
その後、金沢城、兼六園と見物。兼六園は素晴らしかった。日本人の美の感覚は素晴らしい。
16:00頃、金沢蓄音器館なる所へ。各国の蓄音器の音の聴き比べ。EMG MK10という蓄音器の音を聞いて驚く。
ラッパの部分が紙で出来ているらしいのだが、ノイズが他のそれと比べて極端に少ない、柔らかい、生演奏のような音を出す蓄音器だった。
レコードは元々円盤ではなく円筒型であったこと。円筒型の時は縦方向の波を針が拾っていたこと(つまり、針が、その長手方向を上下に振動する)。円盤は横波を針が拾うようになったこと(長手方向の振動では無く、左右の方向、地震の振動を探知する針と同じ動きのイメージ)。その際、エジソンは縦方向の波の方が音質を保証出来ると考え、円盤で且つ縦波を成形したレコードを作ったこと。が、そのレコードは厚さが7mmくらいもあったため、大量生産の面でプレスのみで簡単に成形でき且つ軽く安価に生産できる今の形のレコードほど普及しなかったこと。など、館長の説明で初めて知った事が多かった。19世紀から20世紀に入る時代の話。複製技術が音楽分野に到達し、家で好きな音楽を好きな時に再生する。という現在でもまだメジャーな聴取スタイルを確立していった頃の時代の話。
その後、ひがし茶屋街なる、京都のような路地にて冷たい抹茶などを飲んで休憩し、18:00頃駅まで戻る。
Sがお土産などを物色。
一旦ホテルに行きチェックイン。少し休んで20:00頃、駅構内にある定食居酒屋へ。
かた豆腐、おでん、茶飯などを頂く。ビールと地酒「剣」2合を冷で。寝不足かつ移動かつ観光により酒がまわり顔が真っ赤に。21:30頃戻り、シャワー。
0:00就寝。南博「白鍵と黒鍵の間に」をこの日、読了する。
この日はようやく、ぐっすり寝る。

























8/21(日) @ 金沢〜長野
8:00起床。ホテルのバイキング朝食。金沢はホテル日航というちょこっとだけ高めのとこだったので、バイキングもちょこっとだけ贅沢な感じだった。
9:00チェックアウト。駅のロッカーに荷物を預け、21世紀美術館へ。
前から一度行きたいと思っていたところだったが、うーん。あまり。そんなに。建築は素晴らしいが…
その日やっていた「Inner Voices - 内なる声」という展示を見る。女性若手作家達の展示。
藤原由葵という静岡在住の作家の「寿星女王」という作品がなんとも、今の日本人女性の感じで、「グロテスクでかつ軽い」という印象を受けた。
正午ごろ駅まで戻り、うどんを食し、スタバで休憩した後JRに乗り込み、長野へ向かう。
今回の旅は、移動は高速バス+JR青春18切符で、ホテルはSのJALマイルで払う。という感じ。
直江津という駅で18:00頃乗り換え。「かにずし」なる駅弁を買うも、中身がスカスカでちょっと笑う。
20:30長野着。そのままホテルへ。カップラーメンを食う。菊地成孔+大谷能生「M/D(上)」を読み始める。
シャワーを浴びて0:00頃就寝。この日もやはり、ぐっすり寝る。

















8/22(月) @ 長野〜松本〜東京
9:30起床。朝食はホテルバイキング。この日のホテルは普通。9:00チェックアウト。
長野駅に荷物を預け、バスで善光寺へ。
おみくじは末吉。善光寺は立派だった。一生に一度は行っておいても良い場所だと思う。Sは今回一番のお気に入りのようだった。「お戒壇めぐり」なるものを体験した。

〜善光寺HPより〜
※お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です※

本当に真っ暗。何も見えない。携帯で明かりを照らすのもNGらしい。ので、本当に何も見えない中を右手で壁に触りながら歩く。で、10cm先も一切何も見えないので、前の人に何度かタッチしてしまった。
そして、Sは「極楽の錠前」を触ったらしいのだが、俺は触れなかった。どこにあったのか分からず。
どうやら、御本尊様との縁を結ぶことは出来なかったようだ…
11時過ぎに近くの蕎麦屋で「さらしな蕎麦」なるものを食す。信州はそばが有名だ。確かにうまかった。
駅までバスで戻り、荷物をピックアップして12:30頃長野発。
長野から松本へ向かう途中で「おばすて」なる駅に何分間か停車したのだが、この駅からの景色が素晴らしかった。今回の小旅行はほとんど曇りか小雨の中の旅行だったが、この日だけ、何時間か晴れ間が見えた。どうやらこの駅から見る景色は日本中の駅の中でも有名らしい。
14:00頃松本着。またも駅ロッカーに荷物を預け、徒歩にて松本城へ。
入り口にて侍を発見する。写真を撮っていただく。帰り際に同じ場所に侍はいなかった。TDLにおけるミッキー的な存在なのだろうか。松本城は天守閣(6階)に登れるのだが、平日なのにとにかく何故か人が多くて、ここもやはりTDLのようだった。階段が非常に急であるため、ミニスカートをはいていたら確実に後ろの人からパンツ丸見えである。
16:30頃、駅に戻ってJRを乗り継ぎ東京へ。松本で駅弁を購入して車内で食す。ボックス型の車両は、気兼ねなく弁当が食えるので良い。松本〜大月〜立川〜溝ノ口と経由して用賀に着いたのは22:00頃。
小腹が空いていたので東秀でラーメンと餃子を食って帰宅。



























久々に旅行をして、中々楽しい気分転換になった。4泊5日。
が、宿泊費はSのマイル。移動費も食費もほぼS持ちの旅行で、さすがにちょっと、そろそろ金稼ぐように動かないとマズイなーと思ったりも…

巻き髪の名古屋嬢は、すでに絶滅危惧種である事。
金沢の人間の顔は、関西人と東北人を足して二で割ったようであること。
長野は思ったより過疎化が進んでいるようで、街中は割と荒んでいること。
松本の一部の女子高生の靴下は白く短くダサいこと。
スマートフォンは、都心以外ではそれほど見かけないこと。

そういった事を、そして、それ以外の事も色々と、学んだ。
が、最も重要なのは、やはり、
松本の一部の女子高生の靴下は白く短くダサいこと。である。
最後の写真も忘れてはならない。
各地には、なんだかよく分からない、雨で腐食の進んだ、裸のブロンズ像が大抵あると思う。
少年は、何故裸で横笛を吹くのか。お風呂上りなのか。小学生の頃から大いに疑問だ。


テレビでは、島田紳助氏が芸能界を引退する。昔何度かその筋の方とメールでやり取りしていたことが所属企業に見つかってケジメをつけるため。という、ビッグニュースなのか何なのかよく分からないニュースをやっている。芸能界に縁がないので、関係のない話だ。島田紳助氏が司会をする番組も一つも見ないので、やはり、関係のない話だ。
そのニュースと同列で前原氏が代表選出馬に意欲を示しているとのニュース。稲森会長という人が小沢氏派閥との仲を取り持っているなど。なぜ、一国のトップを決める代表選の話に、一民間企業のトップが重要なポジションを占めて登場するのか、政治に疎い自分には何がなんだかさっぱりだが、そんな自分にも確かに言えることは、前原氏は、いつでも、お風呂に入った後のような顔をしている。そして、それがなんとなく気に入らない。ということである。政局しかやらないニュースにはうんざりです。



追記:金沢のホテルにチェックインして夕食を食べに出る前に、Sからあった電話を返すと、O社に6年?くらい勤めていたKが会社を辞めて北海道に帰るとの話を聞く。急な連絡だったため、翌日(21日)にやるという送別会に行けなかった事が悔やまれる。Kは恐らくこのブログを見ていないと思うが、お疲れさまでした。

追追記:今年の夏は旭川に帰省する予定はないので、DやOやOに会えないのが非常に残念。東京に遊びに来たり就活で来たりした際には是非とも酒を酌み交わしたい所存。



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