Aug 10, 2011

ロンドン−暴動の本質を捉える「言葉」は可能か

ロンドンで暴動がおきている。

自らの存在が社会的に「疎外」され、文化的に「無視」され、経済的に「鬱屈」した、教養の「得られない」若者たちが、論理をその武器とするのではなく、「衝動」をその根拠として起こしている暴動であると見える。

が、それ以上のこと、それが何故に今、起こったのかということ。それが全くよく「分からない」という、何か異質な性質を持った暴動だ。

ニュースから聞こえてくる地名は、ああ、そこは日本人観光客は行かない/行けない場所だ、という認識を呼び起こす。つまり、マスメディアには現れない地域。そこで実際に何が進行中なのか。どのメディアを通しても見えてこない。
自分にはよく分からない。という実感だけが強まる。

ロンドンに二回行ったことがある。でも、知っていることと言えば、それは観光客が足を延ばす地域での経験しかない。
テムズ川を挟んでビッグベンを眺めていて、ふと発見した足元のバンクシーのグラフィティ。ロンドンアイに乗っているのは明らかに英国人ではない観光客であること。テートモダンは優れた美術館であること。ロンドンっ子のTUBEでの視線のそらし方は東京っ子のメトロでのそれと酷似して洗練されていること。ピカデリーサーカスは明らかに渋谷であること。カーナビーストリートは明らかに原宿であること。英国的英語の発音は、アメリカのそれよりもフランス語に近いこと。

自分にはよく分からない。という事だけは分かる。自分には観光客としての目線しかないのだ。この暴動の「切実さ」が、自分には分からない。


分からない。という事を言わないで、あらゆる知識人/文化人/ロンドン在住の日本人(つまり、それは北部や東部などには行かない富裕層でしかない訳だ)が量産している言説。
言葉を操る教養を担保されてきた人たちに、言葉を持たない/持てないこの暴動の本質を捉えることなど出来るのだろうか。
フリカケみたいなスピーディな言葉が溢れている。
その口から出てくる言葉は明日はどんなフリカケに?
思考も思想もない暴力を単純にバカにするのか。
「生きづらい若者」という自らの存在と、ロンドンに行ったこともないくせに勝手に同化するのか。
「ロンドンヤバいね」と言い合って芸能人ゴシップと同列の「共通の話題」として即座に消化するのか。

「分からなさ」を認めて、心の隅に置いておきながら考え続けることしか、今の自分には出来ない。
「分かりやすさ」(=単純明快な論旨)に群がっていても先はない。
著名人の最もらしい「回答」をリツイートして安心している時代じゃないのだ。


この歌の叫びのようなものを想起せざるを得ない。You'll never get it right.



PULP - common people

彼女はギリシャ出身で 知識に飢えていて
セント・マーティンズ・カレッジで彫刻を学んでいた
そこで僕は 彼女の目にとまったってわけ

彼女が パパがお金持ちだ と言うので
僕は「もし僕がそうだったら ラム&コークを飲むかな」と言った
彼女は言った「いいわね」
そして 30秒の間に つづけてこう言ったのさ

「一般人みたいに暮らしてみたいの
 一般人がすることをしてみたいの
 一般人と寝てみたいの
 あなたみたいな 一般人と寝てみたいの」

そしたら他にどうしようもないだろ?
僕は「わかったよ」と言って
彼女をスーパーマーケットにつれていったんだ
なぜかはわからないけど
どっからかはじめなきゃいけなかったから
そこからはじめてみたわけ
「一文無しのふりをしてごらんよ」って言ったのに
彼女は笑ってるだけで
「あなたってとてもおもしろいのね」だとさ
僕はこう言った「ああ‥‥‥他には誰も笑ってないみたいだけどね」

「君はホントに
 一般人みたいに暮らしたいの?
 一般人が見るものを見たいの?
 一般人と寝たいの?
 僕みたいな 一般人と寝たいの?」
でも彼女は 解らなかったみたいで
ただ微笑んで 僕の手を握ってた


店の上にある部屋を借りて
髪を切って 働いてみろよ
紙巻きを吸って ビリヤードをやって
学校になんか行ってないふりをするんだ
それでも君は まだまだダメだろうね
だって 夜 ベッドで寝ているときに
ゴキブリが壁をのぼってるのをみつけたって
パパに電話すれば 全部解決してくれるんだろう?

ああ
君は一般人のようには暮らせないよ
君は一般人のするようなことはできない
君は一般人みたいに失敗しないし
君は人生が 期待外れに 滑り落ちていくのを見ることもない
ただ 踊って 飲んで ヤッて
他にする事もないから

一般人と一緒に歌うんだ
一緒に歌うんだ そうすればなんとかなるんじゃない?
一般人と一緒に笑うんだ
一緒に笑うんだ たとえ彼らが
君と 君のバカな振る行いを笑っていても
だって 君は「貧しいってステキ」って思ってるんだから


曲がり角に寝そべってる犬みたいに
ヤツらは君に噛み付く 警告したりしないよ
気をつけな ヤツらは君をズタズタにするだろう
だって みんな旅行者は嫌いだからね
特に なんでもかんでもお笑い種みたいに思ってて
お風呂に入ると 汚れや脂がしみだしてくるって考えてるようなのはなおさらね

君にはわからないだろうね 意味や抑制もなく
もう他にどこにも行く場所もない中 自分の人生を送っていく気持ちが
ヤツらみたいなのが生きてるなんて 君には驚きだろう
君が なんで?って不思議がってるその時にも
あいつらはキラキラ輝いてるんだよ

店の上にある部屋を借りて
髪を切って 働いてみろよ
紙巻きを吸って ビリヤードをやって
学校になんか行ってないふりをするんだ
それでも君は まだまだダメだろうね
だって 夜 ベッドで寝ているときに
ゴキブリが壁をのぼってるのをみつけたって
パパに電話すれば 全部解決してくれるんだろう?


あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの
あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの
あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの
あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの

あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの
あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの
あなたみたいな一般人と暮らしてみたいの






分からない分からないと言っていても仕方がない。
ひとつだけ確かなこと。集団での暴動を可能とする「連帯感」をSNSが担保していることは確かだろう。
SNSの負の側面が、明らかに表出した初めての世界的事件と言えるかもしれない。
SNSを否定する気はない。
しかし、今年に入って「アラブの春」を可能にしたSNSは、全く同じような構造で「ロンドンの暴動」を可能にした。
SNSとは、そのようなものなのだ。としか言いようがない。
SNSが何かしらの新たな思想の潮流を生んだのではない。SNSが「可能にした」のだ。


京都の一部の「知識人」に心底失望した夜に。



【追加】

バタイユの「エロティシズムの歴史」を、久しぶりにきちんと線を引きながら読んでいたら朝の8時。
テレビでは「ロンドンの“暴徒”」の暴力と、それに否定的意見を述べる「ロンドン市民」を映している。
アナウンサーは「チンピラにしか見えない」、コメンテーターは「その通りだ」、そして「来年のオリンピック開催が心配だ」と。「早く収まって欲しいですね」と締めくくった。何も言っていない。何も検証していない。マスコミは相変わらず死んでいるようだ。

暴徒とは誰だ。
市民とは何だ。
我々の関心はどこだ。

苦笑×100



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