Aug 6, 2011

お前はただの現在にすぎない

萩元晴彦/村木良彦/今野勉「お前はただの現在にすぎない テレビに何が可能か」

少しずつ読み進めてようやく読了。

時代は60年代後半。政治の季節。テレビ的表現とは何か、テレビには何が出来るのかという問いに、著者3人が真正面から向き合った名著。
テレビという枠の中で思考されたこの著書を、今の時代にどう位置づけることが出来るのだろう。

内容はお墨付きだけど、何よりも一番スゴイと思ったのは、この文庫本にして500ページの大著の「構成力」だ。
TBS成田事件(Wikipedia参照)を発端として起こっていくTBS関係者と放送に関わる人たちとの討論、これを軸に、同時代に起こっている様々な問題が構成されていく。チェコのプラハの春。フランスの5月革命。日本の全共闘。そんな政治の季節のルポタージュと共に、劇作家、映画作家、テレビ関係者、詩人、役者、あらゆる人に問いかけていくインタビュー。「あなたにとって、テレビとは…?」テレビと権力。テレビと芸術。

この3人の「テレビマン」の構成力に圧倒された。

P.479より
<形式が思考を生み、テクニックが思想を生む>とは、ゴダールの言葉だ。
<方法がテーマだ>と言ったのは、和田勉だ。


この本の、構成(=形式)自体が、一つの回答となっていて、一つのテーマになっている。
最終章のⅤ章の表題:「テレビはジャズである」
テレビは権力に組み込まれる事を拒否し、芸術のための表現媒体である誘惑も拒否する。
「イエス。テレビ=わたしはただの現在でありたい」

映画至上主義みたいな人が「テレビなんか下らない」みたいな意識を持ってることがたまにあるけど、この本を読んだらそんなことは言えなくなるに違いない。少なくとも、この著者3人に対しては。

「インターネット時代におけるテレビ的表現とは何か?」
この本を読んで真っ先に問われるのはこれだろう。
現在性をインターネットが奪った今、では、テレビとは何か。
今のテレビ局のディレクター陣は、どう考えているのだろう。

いやー、いい本読んだ。オススメ。


あと、これも。

松江哲明「質疑応答のプロになる! 映画に参加するために」

これは、ブレインズ叢書4という、シリーズものの中の一冊で、第一弾は佐々木敦で第二弾は大谷能生で。
その2冊が面白かったので、これも買っていて、ようやく読んだ。
これは、まあ、そんなに…ただの対談本というか。松江哲明氏の周辺にいる人たちと話したのを本にしましたという。
真利子哲也/いまおかしんじ/村上賢司/古澤健と聞いて、ビビッとこない人は読んでも別にーという本だった。
この四人と松江氏の対談、というか、映画おもしろ話。




<近況もついでに>
水曜から今朝まで、相方のお兄さんが東京に来ていて泊まっていた。水曜に焼肉をごちそうになった。昨晩は7時から12時まで飲んでいた。

K氏に借りた「ゴダールの映画史」はまだ見れていない。

「無常素描」を見逃したことにさっき気がつく。同時に「死ね!死ね!シネマ」も見逃す。見逃してばかり。今一番観たいのは「エッセンシャルキリング」。

41氏から今日の4時からの「ケチャ祭」に来ないか?というメールをさっきもらったのだけど、「ケチャ祭」って何だ!?

Facebookを学校の人に誘われて久しぶりに見てみたけど、使い方が全然わからない。


<疑問もついでに>
画像を貼り付ける時に2枚横並びで貼り付けるやり方、というかコードがよく分からなくて、結局はGIMPで結合して貼りつけている。どっちの方が簡単なんだろう。


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