Dec 25, 2006

memo



David宿題(1/13まで) 済
Shikano宿題(1/13提出) 済
流体宿題(1/12まで) 未
材力宿題(1/9まで) 未
数値宿題(1/12提出) 未
アカデミック2nd Draft(1/13提出) 未

特演レポート(1/13提出) 未
制御レポート(1/9提出) 未
偏微期末レポート(1/?まで) 未
アルゴリズム宿題(1/?まで) 未
文学案内感想(-) 未











Dec 24, 2006

stressful



Woody Allenの「さよなら,さよならハリウッド」を見た.
4分の3だけ.
そこからディスクのキズで読めなくなった.

なんてストレス.ものっすごいエンディング見たい.











Dec 21, 2006

読むと毒 ダークサイドオブザオレ



日常生活で笑うことがない.自発的にお笑いのDVDやテレビを見る以外,笑う手段がない.

高専時代はいつでも笑えた.なんてったって周りの人間が面白かった.面白いことなんてそこらじゅうに転がっていた.
海外に行ってもコリアンのソンという友人に恵まれたため,笑っていた.辛い生活の中にも会話があり,笑いがあった.
就職して研修中.プレゼンに追い込まれる中でもキャラの濃い同期の中にいて笑いが起こらないことはなかった.

そして今,人生初の大学生活は人生初の笑いのない生活となっている.
要因は,まあ周りにいる人間がびっくりするほどつまらない,ということだ.まあーーーつまらない.うちの大学の学生は驚くほどつまらない.もう,最近のエンタにでてるしょーもない学祭レベルの芸人よりもつまらない.

本当に日々,課題,レポートをこなすことしか頭にない.切実に今の生活には勉強しかない.毎日プレッシャーを感じながら勉強,勉強,勉強.
あと2年もこんなつまらない生活が続くのか,と思うと正直やばいなーと思う.もう笑いスキル0になるんじゃないかと思う.ボケる機会もツッコム機会もない.
常に真顔で生活している.そして話す相手もいない.いや,話す相手はいるっちゃーいるのだが,もうなんの刺激的な会話も成り立たないので話す気力が生まれない.ボケても反応がなくて腹立つなーっていうパターンしかない.

腹の立つことばかり,嫌なことばかり.文句はやめて何とか前向きに,ポジッティヴになんて元気を出そうとしても,何かとつぶされることばかり.

こないだ行った同期会ですでに社会でもまれている同期の方々から嫌と言うほど日々の仕事の辛さ,会社のグチを聞かされたが,正直「そんなん相当楽じゃね?」と思えるほど今の生活はきつい.そんな心境でいるときに,「お前らは学生さんだもんなー.いーよなー」なんて空気読めない年上から言われた瞬間,殺意を感じるほどだ.

「お前がやってきたグダグダヌクヌクの大学生活とはちげーんだよ!研修時点のグループワークでさえ足引っ張ってたおめーに言われたくねーんだよ!!そのクセ先輩面は利かせやがって!!2年先に生まれたからってこのヤローー!きーーー!!!」

といって楽しげな雰囲気をぶっ壊したくなったほどだ.
要するに「大学生」やってると思われているんだろうが,そこらの大学生,いや社会的にそこそこ認められている大学生とでも一緒にされちゃーやってられん.ぜってぇうちの学生の方がしんどい生活を送っている自信がある.

そして社会人学生っていうプレッシャーも同時にかかっている.留年は出来ない.しかし相当がんばって勉強しても留年の恐怖からは逃れられない編入学生の立場.単位が不公平にも相当少ないのだ.全く理不尽だ.

もう,どうしようもないこの立場に追い込まれつつ,課題に追い込まれつつ,つまらなさのリフレインに追い込まれつつ,生活している.


でも,なんとかがんばろう.将来うちの会社で今の努力が報われることなんてなさそうだけど.どうせ安月給だろうけど.

オレの人生をかけて一人の人を幸せに,いずれ生まれ来る子供達を幸せにすることを目標に,こんな日々をあきらめずにしぶとく,投げないで

生きていくぜ.
生きているぜ.

以上.すいませんでした.











Dec 16, 2006

Cloning Technology



Cloned sheep and cow was born in 90s and developing of cloning technology has been one of serious social problems. Cloning technology can be applied to various fields. It might be useful for stable supplying of foods, manufacturing of medicines, avoiding extinction of endangered species and so on. However, the focus of the problem is on human cloning which is technologically possible. Applying cloning technology to human is quite danger from the viewpoint of life ethics. Cloning technology can create human clone for achieving egoistic or dangerous purpose, and it means that to treat human as just a tool. In addition, at the present stage scientists can not promise that if human clone can grow up safely or not. Therefore, although creating human clone is technologically possible, it should be stopped by the viewpoint of ethics.












Dec 9, 2006

Humanities and Sciences



In Japan, most high school students have to choose between humanities course and science course before they enter a university. It is very important for them to know what the difference between the two is. The most easily understandable difference is that in science courses students have to have interests in mathematics and physics, but in humanities courses they have to have interests in history, economics, politics, philosophy, social issue and so on.

In short, most students think that there is a very big difference between the two, and they think scientists do not have to be familiar with humanities, and vice versa.

However, the origin of humanities and science is from same questions that are “What is the human?” or “Why do we exist in this world?” In the 16th century, there was no difference between humanities and science. For example, Ren Descartes was a great philosopher and also a great mathematician.

Originally the two courses had developed on same basic questions and are based on essentially same thoughts.











Nov 21, 2006

理系と文系という,現代の幻想



理系と文系なんて概念は,とっくに通用しない世の中だ.

「オレは文系だから,数学とかパソコンはちょっと」
なんて言ってる輩は,全くどーしようもなく認識不足だ.世の中のニュースの大半は技術がらみ.要するに物理も数学もパソコンもわからない人たちは,「今,世の中で何が起こっているのか」を全く理解できないだろう.ニュースを聞き流し,のほほんとわかったふりをするだけだ.

「オレは理系,エンジニアだから経済,歴史,ましてや哲学なんてわからんよ」
なんて言ってる輩もまた,どーしようもなく認識不足だ.自分の技術屋としての仕事の意義,社会的位置付けを全く理解出来ないまま,盲目的に実験データと格闘する虚無的人生だ.

要するに現代人には,「文系」「理系」の垣根を越えて,トータルでものを見る力が必須のスキルなのである.

とまあ,こんな議論はもう4年前くらいから友人達とかわしてきた訳で,もうそんな認識当たり前中の当たり前なのだが,全くもってこんなことをわかっていない学生,教授が大半をしめる,工業大学というのは,その存在自体,社会的ではない気がしている.

「想像力」が足りない.

考えて,考えて,考え抜くことを当たり前にしなければならない.
教養だ.リベラルアーツ抜きにして,若者の知的好奇心は刺激できないだろう.











Nov 13, 2006

カミュ「異邦人」におけるムルソーの人生観について



 本レポートでは,カミュの「異邦人」の主人公であるムルソーの行動や思考過程,またその発言から,彼の持った人生観は何であったかを考えたい.私が異邦人を初めて読んだのは今から4年程前の18歳の頃である.その時持った印象は「難しい」という漠然としたものだったが,同時にムルソーに強い魅力を感じたのも事実であった.しかし彼の何に魅力を感じるのかは正直自分でもよくわからなかった.今回,本レポートの題材を決めるにあたり,もう一度異邦人を読んでみたらまた何か新しい発見があるかもしれないと思った.再読後,ムルソーはなぜ異邦人として周りの人間から見られたのかを考えるに至り,それはきっと彼の人生観が通常の人間には理解しがたいものだったからではないかと直感的に感じた.その直感がどこから来たのかを本レポートでまとめてみようと思う.

 異邦人の読者で,ムルソーの行動や発言に一切の違和感を覚えない人はいないだろう.殺人の理由が「太陽のせい」というのは,通常簡単に納得できるものではない.彼は一貫して通常我々が感じる感情,特に持続的な感情を持っていないかのように描かれている.ママンが死んだことに対して悲しみを感じてはいるが,決してその感情を引きずることはないし,マリイに対しても結婚は容認するがそこに通常存在すべき愛は認めない.しかしながら彼が冷徹な人間かといえばそうとは思えず,犬を失ったサラマノ老人に優しい気遣いを示したりする.ムルソーはただ,その瞬間,ただその時に彼を支配する感情に忠実に,誠実に生きているように思われる.彼の行動は瞬間的には人間的に見えるが,持続的には破綻した精神の持ち主に見える.普通の人間は過去や将来に思いをめぐらし笑ったり泣いたりするものだ.ムルソーにはそれがない.このような彼の感情の持ち方はどこから生まれてくるのだろうか,と考えると,その答えはまさに物語の終盤,死刑宣告を受けた後のムルソーの思考過程に見出せるのではないだろうか.彼は脱走や生き延びるわずかな可能性などに思いを巡らすが,この過程ではっきりとこうした考えを表す.「しかし,人生が生きるに値しない,ということは,誰でもが知っている.結局のところ,三十歳で死のうが,七十歳で死のうが,大した違いはない」彼はこう断じている.そしてクライマックスで司祭に嫌気がさしたムルソーが叫んだ言葉の中にも,彼のこうした人生観は現れている.「これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう,私の未来の底から,まだやって来ない年月を通じて,一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる.その暗い息吹がその道すじにおいて,私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに,私に差し出される全てのものを,等しなみにするのだ.他人の死,母の愛-そんなものが何だろう.」ムルソーはその精神の根本,人生観の基盤に置いて,「生きる」ということに価値も答えも見出していない人間なのだ.そして「死」に対して異常なまでに冷静で客観的である.ムルソーはしかしながら,単純なニヒリストにはなれなかったのだろう.彼には人並みの優しさや人情があったからだ.その矛盾が結果として周りの人間の目からは,紳士的な,インテリの「異邦人」と映ったのではないだろうか.

 ムルソーは非常に物事を誠実に真剣に考えていた人間だと思う.彼は普通我々が「忘れたもの」として生活している「死」や「存在意義」を常に忘れずに精神の中心に据えていたのではないか.そして全ては彼にとって無価値であった.そのような認識があったから母の死や結婚や神に対して無関心たりえたのだろう.彼の心にはそれらが全て大した意味を持たなかったのだ.私が初めて異邦人を読んだときに感じたムルソーの魅力はまさにここにあったのだと気づいた.彼の「人間の存在意義」に挑む誠実な姿勢.その正直な態度に惹かれたのだ.結局「存在意義」や「死」を忘れて生活する人間(私も含めて)が,むしろムルソーにとっては異邦人だったのだと思った.そしてそのムルソーが正しいのか間違っているのかは誰にも結論できない問題である.その結論は結局「人間は何故存在するのか」に対する結論となるからだ.












Nov 12, 2006

THE BRIAN JONESTOWN MASSACRE



映画「DIG!」を見た.

アントンはクソ野郎だが,一番憧れるタイプの人間だ.

昔ほんのちょっぴりでもロックキッズだったやつらは絶対に見ておいた方がいい.













Nov 10, 2006

正しさ



「お前は正しさを求めすぎる」

というようなことを言われたことがあった.その頃は正しくて何が悪いと思ったし,正直こいつは何もわかっちゃいないなんて思っていた.

しかし,最近ちょっとしたことがきっかけで,正しさは一つではないことを実感した.
物事の「本質」や「真実」は一つである場合が多いが,「正しさ」は立場の違いや,状況の違いで変わってくるということを知った.
自分の立場で考えれば正しいことも,他人の立場から考えれば正しくないということを知った.

「私は正しい,しかしあなたも正しい」

そんなときどうするか,という問題である.











Nov 6, 2006

ONとOFFの切り替え



「デキル人」はONとOFFの切り替えが早いという.
なんかその響きだけで「デキル人」にあこがれている私だが,ONとOFFの切り替えが遅い.

3連休は,酒とステーキとカラオケとドーナッツとちゃんこ鍋と岩盤浴と睡眠と愛で過ごしたので,数式に対する脳が中々起きてこない.

今週は制御工学という難解な科目の小テストが火曜にあり,水曜に実験レポ提出というちょっときつい週なのでがんばらんといけないのだが・・・

まだまだ,精進が足りない.
マツコデラックスにばしっと一言言われたい.











Oct 26, 2006

cubic spline interpolation




I have just finished doing an assignment on "spline interpolation".

The point of the assignment is the difference between natural boundary condition and fixed boundary condition as you see in the picture.

I have to wake up at 8:00am.
My student life is quite hard and terrible.











Oct 17, 2006

プログラム



前期に「プログラム技法」という名のC言語入門科目をやり,評価が良かったので,案外プログラムも難しいもんじゃないななんてたかをくくっていたら,バチがあたった.

後期から「アルゴリズムとデータ構造」という科目が始まり,そのテキストには今まで見たこともないような書式が説明なしにずらっと出てきたのだ.

ポインタ関数
関数ポインタ
構造体のメンバ自体の型がそれ自身の構造体になってる自己参照構造体
再帰ばっかし

アルゴリズム自体は理解できるのだが,そのアルゴリズムの実現としてテキストに示されている「サンプルプログラム」が,上記のような私にとっては高等な書式をフルに使っているのです.
Cは構造体とポインタがわかればマスターだと思っていたのに・・・

アルゴリズム関連の本をを借りすぎて他の科目の参考書が借りられないぜ.
ハードボイルドだぜ.











Oct 14, 2006

breakthrough -studyからlearnへ-



高専時代は,遊びたい欲求も,バイトして好きな音楽や服を買いたいという欲求も強かった.
大体全エネルギーの使用比率は,
「 7:3 = 遊び&バイト : 勉強 」
という感じだった.
この生活スタンスの背景には,
「バイトも遊びも知らないで勉強してる奴は面白くないし,人として幅もせまくなる」という思いがあったからだ.

このスタンスで高専時代を送ったことは,社会人学生という特殊な立場になった今,大正解となった.

「5年間結構遊んだし,バイトもやったし」
という気持ちがあるから,自然とモチベーションが勉強に向いてくる.

大学生活を初めて経験している現在,高専時代と比べものにならない程「自宅学習」している.

実験レポートなどには毎回15時間くらいかけているし,平均週5つくらいある課題宿題にはそれぞれ3時間くらいかけている.
土曜日は脳のバランスを保つために「NO勉デー」に設定して家事や読書や映画や酒に当てているので,平均自宅学習時間は30/6=5時間ってとこだ.
最終講義が18時に終わって,家に帰ってから自学5時間ってことは,もうほとんど勉強しかしていない.正直キモイ.

自分にとってこの勉強時間は快挙だ.
かつてこんなにコンスタントに「机」を使った覚えはない.
しかもそれは別に「いい成績」を取りたいからでもなく,「人に評価されたい・自慢したい」からでもなしに,「知識欲」が元になっているのだ.

そんな生活をしている最近,「学ぶ」ことの本質がつかめかけている気がする.
「学ぶ」ってのは「教わる」ことではない.
大学の講義は早いし難しいし,課題もレポートもこなすだけで大変だが,それらを完璧にこなしたとしても,それは「教わっている」に過ぎない.
何故ならそれらは全て「与えられたタスク」だから.受身.

そこに「学ぶ」ことの本質など無い.
「学ぶ」ということは「知りたい」という欲求から「自分で問題を設定し,考える」ということ.

「講義が難しいから全然わからんわーダメだこりゃ」
という高専時代の私のスタンスは,甘かった.
「講義が難しいから参考書借りて一からやらんと理解できないな」
ってのが今のスタンス.

大抵,学生の理解度が低いへったくそな講義をする教授はテスト問題が毎年同じだったり,課題の採点が甘かったり単位を取りやすくする「悪い妥協」をしているが,はっきり言ってこんなもんはクソだ.

「講義全然わからんけどこれとこれ覚えとけば単位楽勝らしーぜーー」

ってのが性に合わない.まあその気持ちはちょっとはわかるけど,やっぱり嫌ね.
だって,無意味だもの.
そんな理解してないことただ覚えるのに時間使うなら,音楽文学映画絵画という広大な宇宙を味わったり,スポーツで汗を流すほうがよっぽど有意義だもの.


偉そうなことを書いてしまったが,ようやくこんな内容を書いても「自分は棚にあげて」と突っ込まれないだろーと思えるようになった,22歳秋.











Oct 5, 2006

日本のネット世界



��ちゃんねるってのは超有名ですね.
最近では電車男もあって市民権を勝ち得ています.

私,最近独学・自学のツールとしてもっぱらネットを使用していて,ウィキペディアなんかは専門用語の解説が詳しかったり数式もあったりで非常にありがたいのですが,同時に検索にかかってくる2ちゃんねるのスレッドとそれに対するいわゆる2ちゃんねらーの態度を見てひっじょーーに腹が立ちます.

基本的に初心者が初歩的な質問を書き込むと,人格まで否定しているかのような回答が与えられますよね.無視だったり.
ネットを使う人なら当たり前になってると思いますが,注意深く検索すれば出てくるような質問は大抵の掲示板で完全な悪とみなされます.

なんかこれがとっても気持ち悪いのです.
ネットの掲示板のいいところは誰でも質問疑問を書き込めて,それを見た有識者が誰でも回答を与えられるところですよね.
しかしながら,現状のネット世界では,わざわざその質問を見た有識者が出し惜しみをし,叱責するのです.彼らは何のためにその掲示板を見ているのか,理解できません.


ついこの間,プログラムを組んでいて見たこともないエラーが出たのでネットでなんかないかなーと調べたところ,案の定同じ質問が2ちゃんねるにありました.
そこのタイトルは「超初心者の質問に答える」みたいな趣旨でしたが,その質問者はめたんめたんにけなされていました.
他の掲示板でもその質問を発見したのですが,回答はどれも専門用語の羅列とか,超初心者がわかるはずもないような説明ばかり.明らかにわからないように書いている回答も多く見られます.

30分調べてダメだったので,英語で検索をかけ調べると,非常に多くの海外掲示板がヒットしました.

びっくりしました.
質問者に対して,非常に親切で分かりやすい回答が多く書き込まれていたのです.
しかも複数の人間が短時間で回答し,補足しあっている.
ものの5分で原因がわかってしまいました.


ちょっと考えてしまいますね.日本のネットユーザーの
“意地悪い感じ”
“優越感に浸っちゃってる感じ”
“優しさのかけらも感じられない下品な言葉遣い”

本来掲示板ってのはQ&Aをやらせたら抜群の威力を発揮するはずなのに,全然日本では役に立たない.親切な回答を見つけるまで無駄な時間を要する.

海外ではノウハウや知識の共有が積極的かつ当たり前に行われている.

日本特有のネット文化は,現代日本社会の一つの鏡なのかもしれません.
親切心や優しさが失われた現代日本社会の.











Sep 30, 2006

食生活の乱れ



昨日

朝 なし
昼 なし
夜 もやし入りインスタントラーメン

今日

朝 なし
昼 なし
夜 大盛りとんかつ定食(完食できず)











Sep 24, 2006

Studying英語



うちの大学は年2回の定期試験毎にTOEIC受験が全学生に義務づけられているんですが、こないだ受けたところ、

Reading 315
Listening 390
Total 705

という結果でした。4月にも受けてたんですが、この時のスコアは645点だったので、60点もアップしていたわけです。

しかしながら、実際試験直後は600ぐらいかなーと思うほど、「出来なかった感」があったんです。
Listeningセクションでは聞き取れなかった問題が多いと思ってたんです。

いやしかし、実力以上の結果でちゃったなーと。
今回自分にとってはこんな予想外の高得点を取ってしまったので、この点数に負けないように「英語もっとちゃんとやんなきゃ」と思ってきました。

恥ずかしながら忘れていたのですが、今思えば、元々社会人生活から一旦離れて大学生になろうと決めたのは、仕事に使えるレベルの英語、もっと具体的に言えば会社に戻ってから若いうちに海外で働くチャンスをもらえるぐらいの英語力を時間のある学生生活で身につけておけばかなり強いなと思ったからです。

+経営感覚とか経済知識も独学で身につけておいて、ゆくゆくは今の時代どこの会社でも最も重宝されると思われる、「歌って踊れるエンジニア」(英語+経営感覚などの付加価値を持ったマルチエンジニア)になって、管理系の部署に行きたい(工学からおさらばしたい)ってのが本音なんですが、高専の復習だろーとナメていた工学の学習が思ってたよりかなりきついので、まあ経営とかは後回しにして、まずは英語。

配属先は会社に戻る時点で決定となるので、そのときに人事の人が、
「こいつは大学で英語をかなりやってきてんなー。英語使う仕事させたらいんじゃね?」
という判断を下してくれれば万々歳なのです。
学校の成績は学校事務から会社人事部にそっこう送られるのですが、TOEIC点数は分かりやすい格好のアピールポイントとふんでいるのです。
一番「がんばってる感」が伝わりやすいとこだと。

そこで、TOEICを色々調べてみると、700の人は今後Readingセクションで満点を目指すべきだということらしいのです。
そこで、何度もページ4分の1ぐらいでやめていた、DUO3.0をまず完璧にしようと思いました。
加えて文法もしっかりやらんとダメだなーと痛感しています。文法に関しては多分高校生以下なので、ここを徹底的に、テッテ的にやらなければいかんと。
Listeningはなるべく生の英語に触れなければと。

大学卒業までうまくいけばあと2年半あるので、卒業時900目標にがんばりたいと思います。
とりあえず冬の目標は750で。

この記事を後で読み返して削除したくならないように、がんばります。











Sep 21, 2006

ねじ式



「ねじ式」という作品をご存じない方も多いと思う。
これは一部でカルト的人気を誇ってきた「つげ義春」という漫画家の作品である。

私がこの漫画家を知ったのは、映画「ねじ式」を4年前位に見たときである。
当時浅野忠信にのめりこんでいた私は、彼の出演作を片っ端から見ていた。この映画は女子供には向かない真っ暗な映画なのだが、映画の持つ雰囲気に深く惹かれた私は、その原作者であるつげ義春の作品を読んでみたいと思うようになった。

それから彼の著作にちょくちょく手を出すことになったのだが、なんといってもその魅力は主人公が「ダメ」であるところである。無頼派である。きっと坂口安吾だとか町田康だとかを好きな人間は間違いなくつげの虜になるだろう。

今日、久しぶりに映画「ねじ式」を見た。
なんともカルトな作品で、飯を食いながら見るのに最悪な映画であることは間違いない。
ちょっとアンダーグランドな文化に触れてみたくなったあなたに是非お勧めです。











Sep 20, 2006

思考停止のメリットデメリット



高専時代の私は、常に何やら哲学的な難しいことに思索をめぐらせ、元来の性格からか何か知らないが、結論が「絶望」に至ることが多く、よく「暗い」と言われていました。

なんだか最近「暗い」と言われることが少なくなってきたので、「いやぁ俺もちったぁまともになったかなー」なんて楽観的に喜んだりしていたのですが、実はそれってちょっと違うのかもって思うようになりました。

高専時代に比べて「時間」がない大学生活を送ってきた私。人生初めての一人暮らしということもあり自然と日々の業務に追われ、物事を深く考察する習慣が絶たれていたのです。

要するに思考を停止されていたんです。
この事実に気づいた私はショックを受けました。

思考し続けることが「人間の存在意義」だと思っている私にとって、思考停止≒存在意義の消失になるのです。

あぶねぇよこりゃあぶねぇよ。って思いました。

思考停止ってのは今の社会的にはオッケーなことになってんですね。
むしろ、停止しちゃってるほうが全然生きやすい世の中なんですね。これ、メリット。
思考停止すると楽に生きられるし、割と周りからも認められやすいというか、社会に適応出来る感じ。

でも停止しちゃうってのは私にとっては「存在意義の消失」になってしまうわけで、これ、デメリット。もうかなりのデメリット。

バランスよくいかんと危険ですね。
たまには色んなことに思いをめぐらせて自問自答を繰り返す時間が必要です。











Sep 15, 2006

ヤジキタとインザプール



後期が始まるまであと1週間。
つかのまのヒマをもて余している22歳、どうも俺です。

本日はガッコに行って後期の履修手続きを済ませたのち、DVDを借りてきました。
なんとなく気になってたけど見てなかった2本。

「イン・ザ・プール」☆☆★★★
松尾スズキ主演。見るべきところは松尾さんの演技のみ。オダギリジョーakaミスターカタカナとかも演技普通です。ヒマなとき見る映画です。
松尾さんへの愛と精神科医と聞いてピンと来る人は楽しめます。

「真夜中の弥次さん喜多さん」☆★★★★
クドカン監督作品。今更見ました。完全に大人向けのトリップ系エンターテイメントバカ映画。
しりあがり寿なのでストーリーの説明をしても意味はないでしょう。
この映画で泣く人もいるようですが全くそんな感情にはなりませんでした。ニヤニヤしっぱなしのたまに爆笑ってのが正しい見方だと思います。
荒川良々好きはマストです。いっぱい出てきます。












Sep 5, 2006

編入学生の苦悩



本日,大学生活に入り初の試験を終えた.

戦績は良くも悪くもなかった.
2科目くらい落とした可能性が高いのがあるが,その他はまあギリギリセーフだとふんでいる.(今のところ)

一応今期の目標最低単位数はクリアしたはずである.ギリで.

うちの学校は4年次進級条件というのがあってまずそれをクリアしないことには3年次足止めである.足止めは原則会社強制帰還を意味するので絶対に避けなければならない.わざわざまた学生になった意味がなくなる.

進級条件は1年からフツーにやってればそれほど厳しくない条件だが,2年次編入学生の私は高専時代の教育がナメられたため,認められた単位が少なく,そのためにがけっぷち大学生活を強いられている.

編入学というのは実にアンフェアな制度だ.
実際高専卒の学生は3年次編入が妥当であるのに1年格下げの2年次編入したあげく,1年次の単位が他の学生と比べて圧倒的に少ないなどおかしな話である.

高専の教育を大学に認めてもらうための働きかけとして,現在大学生,社会人でこのブログを読んでいる方達に,「オレ高専卒だけど結構できまっせ」オーラを出して頂きたく思う.

よろぴく.











Aug 23, 2006

皆様



とってもかっこいい壁紙を作りました。深夜に。深夜2.5時に。
中央に配置で背景は黒か白がいいと思います。
よろしければお使いください。
なお、ハウサーのosamuさんの使用は条例で義務付けられています。












Aug 20, 2006

休暇中ヒマなそんなあなたに



東洋思想
2006/08/19
レポート:「気」に関する多角的考察

 小学生の頃見たテレビ番組で、気孔師がその独特の動きにより両手から気を発し、弟子達をなぎ倒す衝撃的瞬間を目撃した。そのイメージが私の最初に捉えた「気」である。単純に「なんてかっこいいのだろう」と強く感じたのを今でも覚えている。しかし歳を重ね、工業高等専門学校という、技術者養成所という色を持つ学校に入学して以来、数学や物理学などのいわゆる自然科学の分野を基礎とする工学を学び続けていた私は、気孔師も気自体も胡散臭いものだと考えるようになった。科学的根拠のないその存在は、工学を学ぶ私にとっては認められるものではなくなっていた。そんなある日、インターネットであるサイトを見つけた私は衝撃を受ける。そこには気の存在が誰にでもすぐに感じることが出来るという趣旨の文章が書かれていた。半信半疑ながら私は、自らの手から気を出せたら面白いぞという興味本位から、そのサイトに書かれていた手順通りに気を出す練習をしてみた。驚くべきことにその練習を続けて数時間後、指の先から発している「気」の存在をはっきり感じることが出来るようになったのである。それは次第に大きくなり、私は磁石のように反発しあう両手を感じることが出来るまでに至った。その瞬間私は経験的に気の存在を確信したのである。
 以来、気とは何なのかということを考えることがしばしばあり、それに対する興味は現在でも続いている。このような状況の中で受けたのが本講義である。本レポートのテーマを決める際、一切の迷いなく「気」を選んだのは以上の経験とタイミングによるものである。
 本レポートを書くにあたり、当初は「東洋思想における気」とは何かを調べ、まとめようと考えていたが、その調査段階で私の気が変わった。陰陽五行論や易経といった、講義で知った内容について更に調べ、掘り下げてみても、余り独創的で面白そうなことは書けなさそうだと感じた。面白くないと思いながらも書くレポートに費やす時間は、有益とは思えない。そもそも私が本講義を受講した動機は、工業大学で理詰めの科目ばかりを学んでいては、脳が固くなってしまい、一意に決まる解釈ばかりを追い求め、自由な発想が出来なくなるのではないかという危惧から、触れたことのない未知の分野である東洋思想を受講すれば新しい発見や興味深い考察が出来るのではないかという期待であった。そこで、本レポートでは、気について調べている最中に脱線して考えるに至った、東洋思想における気と、他の科学法則や思想、宗教観などとの関係性についての様々な考察を書こうと思う。主題の「多角的考察」とはそのことである。ノーベル賞を受賞した偉大な科学者達の言葉には、しばしば「自由な発想」の重要性が述べられていることを、今、思い出したのである。
 講義で頂いたプリントの一枚に辞書のコピーがあった。その冒頭に非常に興味深い式がある。「物質=エネルギー」この式を見てまっさきに私が想像するのはアインシュタインが発表し、科学者が信じていた世界観を変えてしまった有名な相対性理論の式、「E=mc2」である。Eとはエネルギーのことであり、mは物体の質量、cは光の速さを意味している。この有名な式は、物体の質量はエネルギーに変換できることを意味しているが、これはまさに気のあり方と一致している。この驚くべき東洋思想の「気」と科学史上非常に重要な式との関係は非常に興味深い。科学者が20世紀まで誰も想像し得なかったアインシュタインの天才的発想を、気という思想はすでに知っていたのである。
「生成変化」の項目では、「聚散」についての説明がなされている。「気が凝集すると形ができて生命が賦与されるが、時間の経過とともにその物体ないし生命体の凝集力が弛緩すると、その物は元の宇宙空間に拡散してゆく」とある。この記述は熱力学という物理の一分野がその理論体系の基礎としている「エントロピー増大則」と類似している。詳細な説明は避けるが、この法則は自然状態では物質は時間とともに崩壊していくことを意味している。それは「気」という言葉を科学語に訳した「エントロピー」が拡散する結果なのである。
このように、対照的に捉えられがちな「東洋思想」と「西洋科学」との一致は、私にとって非常に興味深い発見であった。

 「気の展開」の項目で、気の自然哲学による宇宙論について次のような文がある。「まず気のカオスが現れ、次に清陽なる気と重濁なる気が上下に分離して天地が形成された」。これを読んで、キリスト教の母親を持ち中学生頃まで聖書を学んでいた私はすぐに創世記の天地創造の下りを思い出した。「初めに神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして光があった。神は光を見て善しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と名づけ、闇を夜とされた。夕べがあり、朝があった。第一日目のことである」(創世記1章)。
 「光と闇」は「陽と陰」であるし「気」は聖書語で「神の霊」といえる。初めに混沌(カオス)があるのも一致している。このような東洋思想的宇宙論とキリスト教的世界観の一致を見ると、ユングの「元型」という概念についても想起される。彼は、精神分裂病の患者の話す内容や一般人の夢を調べていくうちに、ある一定の共通するパターンがあることを発見し、更にそのパターンは、神話や昔話にも共通するものだという事を知った。そうしてユングは人類が普遍的に共有する普遍的無意識(集合無意識)の存在を仮定し、その中にある心像を「元型」と呼んだのだ。1)
 まさか「気」についての考察が心理学にまで発展するとは予想もしていなかった私は、黒木氏の論文を読んで更に驚くこととなった。2) 何故ならリヒアルト・ヴィルヘルム訳の「易経」の序文はユングが書いており、「彼は東洋の易経に対して実際的な側面から、自らの易を立てることによって、実証的な説明を試みた唯一の心理学者であった」そうなのである。易経と臨床心理学がこのように密接な関係を持っていることは非常に興味深い。まさに自由な発想から生まれた異分野の融合ではないだろうか。


 本レポートでは、気についての調査の際に派生した様々な考察について述べた。やはり「気」は非常に興味深い概念であるし、それは東洋思想という枠組みを超え、現代社会にも通用する概念だといえる。それは科学と調和し、キリスト教的世界観との一致を経て、臨床心理学を裏付けた。
黒木氏は、「易経は近代科学からすれば非合理であるといわれるだろうが、心理臨床に携わっているとその非合理さが時には合理的に働いているのも事実である。筆者は東洋と西洋という二元的な世界を問題にしていない」と述べている。この考察は非常に興味深い。二元的考え方は既に複雑系として躍動する現代社会には通用しないのではないだろうか。現代社会ではマスメディアが多くの事件を「黒」か「白」かという報道をして我々の興味を煽るが、実際に起きている事件にはグレーゾーンでしか語れない本質もあるだろう。日本の教育制度では高校生の時点で「理系」と「文系」のどちらかを決めないと大学進学できないのが普通になっているが、このような考え方は、自由で新しい発想を生み出せない社会構造の土壌となるだろうし、他分野に対する若者の旺盛な知識欲を奪うのではないだろうか。
このように、二元的に物事を捉えてしまうことは必ずしも万能ではなく、現代社会はもっと包括的な概念を必要としている。その包括的概念こそが、東洋の思想家達が編み出した、「気」という概念であろう。




< 参考文献 >
1) 安澤出海:元型論概説, http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/archetype/index.html.
2) 黒木賢一 (2006):東洋思想における気の思想, 大阪経大論集 第56巻6号.












一人暮らしとは二項対立である



さあ,あなたは自由です!
母親の目を気にしてこそこそする必要はありませんし,ポテトチップスもいくらでも食べれます.
カルピスもコーラもいくら飲んだって誰も怒りません!
いつ寝ても誰にも迷惑はかけませんし,お風呂だって好きな時間に入れるのです!
素っ裸で飯を食っても苦情を言われることはありません!
あなたの自由です!
父親の後のトイレで嫌な思いをすることもありませんし,シャンプーもリンスも石鹸もあなたのチョイスで決まるのです!!
ああ,なんて魅力的な精神の開放!一人暮らし!


君にはもう話し相手などいない.
研究で,仕事で疲れ果てて帰ってきても「おかえり」など聞こえないのさ.
そこに待っているのは山積みの家事だけだ.
掃除  洗濯  料理
おいしく作れた料理だって,褒めてくれる相手なんていない.
君にはもう全てやってくれる母親などいない.
今日起こった些細な出来事を,嫌な上司の愚痴を,路上に咲いていたたんぽぽの可愛らしさを,伝える同居者など一人もいないのだ!
ああ,なんて憂鬱な精神の孤独!一人暮らし!











Aug 16, 2006

終戦記念日



平時にあっては人を殺すのを罰し、戦時にあってはこれを命じる、
といったような間違った道徳律のあり得ぬことを考えたら、
動員を拒絶すべきなんだ!戦争を拒絶するんだ!

マルタン=デュ=ガール











Aug 10, 2006

焼肉



ビールを飲んで、焼肉を食べた。

最後にコーラを飲んだ。

人間は幸せだな。と感じた。











Aug 3, 2006

午前2時から6時を有意義に過ごす為に



最近は完全に昼夜逆転生活を営んでいる私です。
こんな生活は学生であり、長期休暇中でなければ有り得ないことです。
不健康な生活ではありますが、それ故の特権もあります。

それは、読書です。

昼間の開放感や喧騒の中で、部屋で独り、ゆっくり腰をすえて本を読むという行為は、時に焦燥感を煽り、本の持つ世界に没頭出来ないという結果を生みます。
小説の世界に入り込みそうな時に、携帯電話が鳴るなどすると一気に現実世界に引き戻されてしまうのです。それは読書家にとって悲劇以外のなにものでもないでしょう。

故に私は、深夜の読書をお勧めします。

読書の時間を持つことは私の人生にとって必要不可欠な事です。ライフワークといっていいでしょう。
まだ22年しか生きていない私ですが、今まで出会った人たちとの会話を考えてみると、本を読む人と読まない人では、その人が提供する話題の持つ奥行きが全く違うものになると考えています。
本を読む人は様々なことを多角的に捉え考えるという能力が自然と鍛えられているのでしょう。そのような人との会話は、私に新しい考え方を発見させてくれます。
それは時にくだらない話題であり、時にアカデミックな知的好奇心に富む話題であるといえます。

自分が知らない世界を知るには、ある分野において最先端の研究をされている方が分かりやすく書いている教養書がお勧めです。
私は3年ほど前に利根川進氏の「私の脳科学講義」を読んで以来、めっきりこの分野の魅力に取り付かれています。

先日、最近ではテレビでもご活躍の茂木健一郎氏の「脳内現象」という本を購入し、読み進めているところです。

脳科学は突き詰めていくと、「人間とは何か」という質問に対する科学の回答を導き出す学問だと言えるのだと思います。是非毛嫌いせず、この分野に興味を持って頂きたいと思います。

ただの娯楽としての読書もいいものです。
それに最も適しているのはやはり小説ではないでしょうか。肩の力を抜いて楽しめる小説は世の中に溢れています。
流行り物で恐縮ですが、最近私が読んでいるのは「ゲド戦記I」です。

映画を観る前に原作を読む行為には賛否両論ありますが、私はその映画の持つ背景を正しくつかむという意味において有効だと考えています。

実用的なスキルアップのためにも読書は多大の貢献をしてくれるでしょう。
2度目の学生生活の中で、正確なデータ処理の重要性を再認識した私は、統計学の基礎を見渡してみようと思い、清水誠氏の「データ分析 はじめの一歩」を購入しました。

工学に携わる者にとって、大量のデータをどのとうに有意味情報とするかは常に必須のスキルであるかと思いますが、案外統計学は軽視されがちな傾向にあるのではないでしょうか。
一読の価値はあると思います。

さて、最後にお勧めしたいのは趣味としての読書です。
誰にでも一つくらい趣味はあるものです。それは単に興味があったり、好きだったりするものでいいと思います。
私の趣味はクラブミュージックをミックスすることですが、どの曲をどう繋いでいくかについて、沖野修也氏の「DJ選曲術」はひとつの明確な形を提示してくれます。

これは選曲のバイブルといっても過言でないかと思います。
意味のある選曲をしたい、ipodをもっと知的に使いたいという方には強くお勧めします。


さて、長々と書いてきましたが、皆様も、夏だ!海だ!キャンプだ!ビールだ!恋だ!などと安直な夏のイメージに支配されているままではそこらのギャル、ギャル男と一緒です。
昼間は夏のイメージ通りでも十分だと思いますが、たまには深夜の読書。

お勧めします。