Sep 30, 2011

ドキュメンタリーについての散漫な試論

YIDFF2001における、審査員としての佐藤真の言葉

「ドキュメンタリーは、世界を批判的に映し出す鏡である。社会変革の道具や政治的主張のための武器としてではなく、あくまでも冷徹に世界のあり方を見つめ続けていくことによる「映像表現による批評行為」である。これが、ドキュメンタリー作家としての私のささやかな指針である。したがってその批評性とは、“真実”などは存在しないこと、現実は既にフィクションを内包していることに鋭敏に反応せざるをえないだろう。たとえ無垢な現実の断片がフィルムに映し出されたところで、それを再構成することで映画は紛れもなくフィクションになる。ドキュメンタリーの批評性とは、そうやって再構成されたフィクションが、当の現実をどの様に批判的に映し出すかによって係わっていると私は考える。」


この文章をたまたま久しぶりに読んで、思った事をツラツラと書いてみたい。この文章では推敲は極力さけるので、色んなところに寄り道するかもしれない。それをそのまま、この私的(そして恐ろしくも無限大に公的な)メディアに記録するという意味で、散漫な試論とタイトルをつけよう。

この佐藤真の文章は、ドキュメンタリー映画に関わる「日本人」としては余りに有名であるが、非常に端的に、そして明快に、彼が捉えていたドキュメンタリー映画の本質を表しており、且つ、佐藤真以降のドキュメンタリー作家達が(敢えて批評家は除こう)一種の呪縛とも言うべき粘度でもって、反芻させられてきた文章でもあると思う。
これは、個人の認知限界の話でもある。ドキュメンタリーにおいては、「神の視点」は存在しない。ここで言う「神の視点」とは何か。

フィクション映画で構築される世界では、作家そのものが一種の「神の視点」として機能する。
そこでは、現実を虚構化したものが、つまりは、現実を、「その作品内世界における神の視点を持つ監督」が、あらゆる手段(脚本、役者、美術、照明その他全て)を用いて虚構化した世界が映しだされる(その中にもドキュメンタリー性は含まれはするものの)。フィクション映画において「監督」と呼ばれているその人は、その現場において、その作品世界内における全てを把握し、制御することの【許されている】全知の神、あるいは、それを志向している存在だ(もちろん、この監督=神という立場の脱構築を図ってきた作家も存在するが、諏訪監督とかね)。撮影対象が虚構化された現実である限りにおいて、監督は神の視点を持つことが出来る。

しかし、ドキュメンタリーにおいては、作家は「神の視点」を持ち得ない。ドキュメンタリー作家は、撮影現場において、実名の、認知限界を持つ感覚器官の統合体として、現実に内包された状態で存在する。その撮影対象は虚構化されていないため(正確には、その虚構化の程度がフィクションと比較して極端に小さいため)、ドキュメンタリー作家はやはり神の視点を持ち得ない。もしくは、神の視点を持ちながらその世界を「制御」していく事が存在として【許されていない】。ドキュメンタリーにおいて、作家が撮影対象を「制御」することを「演出」と呼ぶとすれば、その「制御能力の高さ」=「演出力の高さ」となってしまう。撮影現場(それは、その場に存在している光や音、被写体となっている人間、そしてスタッフ含め)を制御することを志向する作家は、いずれその制御力拡大の欲望から逃れられなくなり、結果としてフィクション作家への道を進んでいくのではないだろうか(例えば、是枝裕和や河瀬直美という偉大な監督は、そういったタイプだと分類出来るかもしれない。一応エクスキューズしておくが、私は両監督を尊敬している)。

ドキュメンタリー作家は恐らくは、「現実」を「制御」する権限を持たない。自己が現実に内包されており、虚構化も許されない実世界において、ドキュメンタリー作家は、「真実などは存在しないこと」「現実は既にフィクションを内包していること」を常に敏感に意識しながら、対象を批評的によく「見ること」しか出来ない。どれだけ「見ること」が出来るか。それがドキュメンタリー作家に問われる第一の資質だ。土本典昭や小川紳介といった偉大なドキュメンタリー作家たちの作品を見なおしてみても、現場において監督含むスタッフ達が、如何に「見ること」に長けていたかを実感する。
これを、「誰にでも分かる」テーゼとしてクレバーに提唱し直し・実践しているのが想田和弘という作家なのかもしれない。参与観察(作家自身がその撮影現場にいるという事実を前提とし、それによって変容した現実そのものを観察する)とは、そもそもドキュメンタリーを撮る者にとっては、いわば「前提」と言えるような態度である。しかしながら、そのようなドキュメンタリーにおける本質的な問題は、普段ドキュメンタリーについて考察する機会のなかった人達(これはつまりは、9割以上を占める観客と言えるが)にとってはある種の目新しさがある。それを自らの作品と、説得性の高い言葉によって、ある種「啓蒙」しているのが想田和弘という作家ではないだろうか。ドキュメンタリー映画という、産業としては弱小中の弱小である世界が、広く一般に誤解なく普及するためには、まさしく想田のような存在が必要不可欠だろう。ありがたい、と思いはすれ、んなことはみんな分かってやって来たのに何を今さら偉そうに、などという嫉妬混じりの発言はする気になれない。そういう事を言説化した上で、間口を開いていく努力をしてこなかった結果が、今のドキュメンタリー映画産業において「ドキュメンタリー映画じゃ食えないよ」というクリシェを安酒片手にニヒルな態度で下の世代に語ってきた者たちの、問われるべき責任ではなかったか。


冒頭の佐藤真の言葉に戻ろう。
たった一年間ドキュメンタリー映画に関わった人間としては、この言葉において実感として理解出来る部分もあるが、不明な部分もある。

「…映像表現による批評行為」というものは、そのまま、その通りだと思う。
「“真実”などは存在しないこと」「現実は既にフィクション性を内包していること」
この二点については、ドキュメンタリーというもの以前に、リテラシーというレベルで常に認識せざるを得ない時代に育ったと自己分析しているため、深く理解している。
「たとえ無垢な現実の断片がフィルムに映し出されたところで、それを再構成することで映画は紛れもなくフィクションになる。」
これも、撮影し、編集する、という行為を何度か実践した後になっては、実感として理解出来る。

さて、問題は最後の一文である。
「ドキュメンタリーの批評性とは、そうやって再構成されたフィクションが、当の現実をどの様に批判的に映し出すかによって係わっていると私は考える。」
佐藤真は、ここで「現実を『批判的に映し出す』」と書いた。

現時点で自分に分からないのはこの一点に尽きる。現実を批評的に、冷徹に見続ける眼差しが、ドキュメンタリー映画を作品として成立されられるかどうかの芯を左右するのは分かるが、2011年という、この時代において、「批判的」に映し出すことの意義とは何だろう。何故、「批判的」という言葉を用いたのだろう。

私は、現実を「批評的」に見る事には一点の曇もなく同意する。
ドキュメンタリー映画が担う役割があるとすれば、まさしくそこに尽きるのではないかとすら思う。

しかし、何故、「批判的」という言葉がこの文章の冒頭と締めくくりに2度使われたのか。
というのは、私はドキュメンタリー映画というものが、現実を「肯定的に」映し出すことにも大いに意義を見出すからだ。むしろ、3.11以降の日本において何かを撮るという行為においては、「批判的」な眼差しよりも「肯定的」な眼差しの方が重要かもしれないとすら思う。

どれだけ自分がやれるかは、未だに全く分からないが、「ドキュメンタリー映画」というものが、何かそこにある現実の一部を「肯定的」に映し出すことによって、同時にそこにある世界に対して強烈な「批評性」を持つことが可能だろうと考える。

批判的に物事を捉えるよりも、肯定的に捉えるという姿勢が、今、失われつつあるもの、そして寄り添っていくべきものであるような気がするのだ。



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今、佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」を読み直している。
思想の本ではあるものの、非常に読みやすいので、色んな人にオススメ。その中のニーチェの引用を。
※ちなみに東浩紀および福嶋亮大は、この本および佐々木中を痛烈に批判した。

「おお、諸君世界政策の大都会にすむ哀れな奴よ。諸君若くして才能に恵まれ、名誉心に苦しめられている人々よ。諸君は、あらゆる出来事に−しょっちゅう何かしらが起こるのだから−一言するのを義務と心得ている!諸君は、こういう風にして埃をたてて騒げば、歴史の車になると信じている!諸君は、いつも耳を澄まし、いつも一言投げ入れることができる機会をねらっているから、真の生産力をすっかり失くす!よしんば諸君がどんなに大事業を切望しようとも、懐妊の深い寡黙は、決して諸君のもとに来はしない!時代の出来事が、諸君を籾殻のように追っていく。諸君は出来事を追っているつもりなのに。」






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Sep 26, 2011

いくつかの種

●情報量と認知速度の関係
−編集時の画面と劇場スクリーンの大きさの違いから来る体感速度の違い
−一人で編集をしている時と、劇場で周囲の観客がいる時とでの映像の感じ方の違い

●大津幸四郎の実感から
70年代後半あたりから、撮るべきものを作り手が主体的に選択する必要が出てきたこと
=撮るべき対象が簡単には見つからない状態が日本で支配的になる
その流れの極限としての90年代にセルフドキュメンタリー
ー関連して 撮るべきものがないときに、無理やり題材を見つけて撮った作品の強度と真摯さへの疑問
ー撮るべきものがないというのは本当か、そうだとしたら何故そう認知され得るのか

●日本の特有性
日本のドキュメンタリー映画界が辿ってきたドキュメンタリー感の変遷と、日本以外のそれとの比較
ーガラパゴス化している部分としていない部分を明確にする
ー日本のドキュメンタリー映画批評が「見落としている(=図らずも無視している)」視点は何か

●テレビと映画
ーテレビドキュメンタリーから学べることは何か 批判すべきところではなく、盗めるところ


久保田幸雄
「ドキュメンタリーの場合、演出家の最大の仕事は何かといえば、取材相手とどう接触し、どれだけ仲良くなれるかということだと思いますよ。…」



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Sep 22, 2011

思考の断片的なもの(考えるために書く行為の記録)

・システム工学分野におけるシステムの定義
「機能が異なる複数の要素が密接に関係し合うことで、全体として多くの機能を発揮する集合体」

・ギー・ドゥボール
「映画の機能は、劇作品であれドキュメンタリーであれ、孤立した偽の一貫性を、そこに存在しないコミュニケーションや活動に代わるものとして差し出すことである」



時代性を全く無視した『私の表現』がメインのドキュメンタリーには、今は興味が沸かない。セルフドキュメンタリーに興味がない訳ではない。その自己の存在自体を時代性の中で自身が批評的に捉えられているならば。ただ、時代性だけで作品成立を担保している映画もそれほど面白いと思えない。相反するように思えるが、何故今撮らなければいけないのかという問いと共に、表現としていつどこで観られても耐えられる普遍性を獲得しているかという問いがあり、その2つの問いに答えられる作り方をしたい。時代性と普遍性が両立するものをどうにか作るには…短期間で消費されるものをドキュメンタリー映画として作っても仕方がない。将来的に「この時代」が映っているという事で普遍性を獲得する。というのではなく、現時点で何かしらの普遍性を獲得しているもの。しかも現在に正面から向き合いきちんと批評的に捉えているものを作りたい。まず、これが一つの、今の自分の正直な前提としてある。


自分が好きなドキュメンタリーを考える。そこには人間が映っていると共に、何かしら構造と呼ばれるようなものも映っている。それはシステムと言い換えてもほぼ問題ない。人間に入り込む中で構造が見えてくるもの、構造を正確に捉えていくなかで人間が浮かびあがるもの、その両者を並行的にバランスを取って編集して成功しているもの。基本的にはこの3パターンが王道としてあると思う。時代性とは恐らくまず何かしらの構造の中に隠されているものであり、普遍性は恐らく人間の中に潜んでいる。例外は多々あるだろうが、とりあえずはこの仮定の下で考えを進めたい。


ここまでまとめ。成立条件:時代性・普遍性の両立。時代性=構造。普遍性=人間。

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※この観点でMAKING of MANGAを自己批評してみる※
MAKING of MANGAで映っているものはマンガ執筆のディテール(=物質の変化)。その作品を執筆する新人漫画家の現在置かれた状況。その2つだった。新人として何かを作っている人間としてのある種の普遍性は、かろうじて映っていると言ったとしても、明らかに構造の部分が足りていない。そのため、時代性が捨てられている。また、人間の「変化」も捉えられていない。「マンガ原稿」というものが出来るまでは、単純に「頑張ってずっと撮影する」という方法によって撮れているが、「マンガ単行本」という商品が出来るまでは正確には映せていない。そのため、「制作」の構造が映画に取り込まれていない。構造を映すためには一人の人間を撮るだけでは不可能だ。構造(=システム)の定義の通り、そこには「異なる複数の要素」が存在しなければならない。そして、その要素同士が「密接に関係しあって」いなければならない。つまり、構造をMAKING of MANGAに取り込むためには、漫画家と担当編集者の関わりと、マンガ雑誌そのもののデザインをしている編集長の言葉がなければいけないという事だ。そこが圧倒的に弱いために、構造が映っていない。ここの構造がもっと明確に提示されていれば、その構造の中で動く要素としての漫画家その人の心情の吐露のシーンがより生きてくるはずなのだ。その点が「物足りない」という事になる。
もう一つ、人間の変化が捉えられていない部分に関して。これは、スタッフ全員がその変化を発見する目を現場で持ち得ていなかったこと(そこに意識が向いていなかったこと)が原因だろう。

MAKING of MANGAを作り始める時に、この構造をどう入れ込むかという部分について、十分に明確な考えを持てていなかった構成者(=おれ)に問題があったと言える。これは批判される一つの要因となる。30分という尺の中で、どう構造を落としこむのか、がもう少し明確になっていれば、もしかしたら両立出来たかもしれないのだ。修了制作として提示された「出来るまで課題」として作品を作ったという態度そのものを、今、もう一度反省する必要がある。結果として、「出来るまで作品として」ある一定の完成度を持ったが、「ドキュメンタリー作品として」は、やはり時代性というものが圧倒的に欠けているのだ。作り手側の「これは出来るまで課題として制作された作品で…」というエクスキューズは、観客には興味がない。
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人間が映っているかどうかは、恐らく現場にかかっている。現場のキャメラマンの目であり、監督やスタッフの発見。その中で対象との関係性を築けているか。その次に、ある種冷めた目で抑制的に対象を見ることが出来るかどうかだと思う。対象の言っている事に共感する部分と批判的な部分とを健全に持ちつつも、どこか「この人は、こういう事を、こういう表情で、こういう口調で、言っている」というだけの目を常に持ち続けられるかどうかにかかっている。気をつけるべきは、この人の言っている事が全て正しいとも、全て間違っているとも思わない態度を持ち続けることだ。全く正しい人も、全く間違っている人も、きっといないのだ。自分と同じ考えの人と、異なる考えの人がいるだけ。それを忘れたら恐らく人間を見たと言うことは出来ないはずだ。そこにあるのは、ただ、「この立場の人間が、こういう事を言っている」という事実性だけだ。
人間は知識では映せないのだろうと思う。人間をきちんと見るためには、誠実な態度、相手の人生に対する愛が必要だ。逆に言えば、それさえきちんと持ち続けていれば、自分の作品の表現として人間を「使う」ような撮り方にはならず、冷静に人間を見つめる眼差しを持てるはずだ。

構造を映せるかどうか。これは人間を見る目とは少し違った、理性や知性の領域の問題だろうと思う。
時代性を表象しているものが構造だとすれば、構造を作り手として批評的に見るためには知識が必要だ。他のあらゆる構造について知り、自分が対象に選択した構造そのものと比較した上で考察出来る知性が必要になってくる。そのためには、歴史を学ばなければならないだろう。特にドキュメンタリー映画は長い視点で構造を捉えることが出来る貴重な表現のはずだから、あらゆる目の前の問題を、分母の大きい時間軸の中で、また体積の大きい空間の中で、その都度捉え直していく知性が必要になるのだと思う。


やるべき事は、まだまだたくさんあるのだ。
きっと、こういう事は色んな本にもっと明確に考察されているのだろうと思うが、今は、自分だけで一から考え直したい気分。本で読んでなるほどーと思った事は、なんか、結構忘れちゃう。でも自分で一から考えて、その後同じような事を書いてる本を読むと、一生忘れない。




追記:
最も単純に書くとこういうイメージ。このイメージでとりあえず考えてるのがこの文章。
点が人間。人間はそのものは時間関数。そのものが変化する。その個人の変化によって周りとの関係が変化する。それによって赤線が描く形が変わる。赤線の形が時代。外側の丸が「世界」。世界は人間にも時代にも関係ない不変の何かとして存在している。本当は人間という時代(=赤線の形=構造)を構成する一つの要素自体の形もバラバラで点だけではないし、要素間を結びつけているのは方向性を持ったベクトルだし、そのベクトルには関係性の強さという意味で太さがある。きっと、インターネット以前/以後で時代を分けられると考えると、以前の段階では小さいネットワーククラスタが無数にある世界だったのが、以後ではクラスタ間がほぼ無関係に繋がったのだと思う。線が一気に増えたため、形=時代が把握しづらくなっている。でもその線は以前に描かれていた線より恐らく細いもので、これが今後太くなっていくのか、切れたり繋がったりして細いままなのかが、多分2010年代に明らかになっていくことだと思う。







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Sep 20, 2011

修了作品上映会から3日ー気持ちの整理と、週末の備忘

先週の16日金曜日に、2010年度映画美学校ドキュメンタリーコース初等科の修了作品上映会があった。
オーディトリウム渋谷という映画館で、同期たちの作品も含め4作品が上映された。

・糸とともに〜「さをり織り」たて糸づくり・織り・仕立て〜
・Globes:
・浜辺の巨大生命体へー大人の科学の挑戦ー
・MAKING of MANGA

この4作品が上映され、一つづつ講評して頂いた。

各作品の前に、まず代表者の簡単な挨拶があり、全ての上映が終わった後、山上徹二郎さん(シグロ代表・プロデューサー)、山崎裕さん(ドキュメンタリージャパン前代表取締役、カメラマン)、筒井武文さん(主任講師・監督)との3名での講評となった。


ここに詳細に書くことが出来ないほどの(それは、心理的に未だという意味で)、厳しい講評だった。あんなに張り詰めた空間を味わったのは久しぶりだった。劇場内の空気が「ピーン」という音を発しているように感じられた講評の1時間半。その場は「作り手」としてのガチの場であり、そこに一切のお世辞も、一切の馴れ合いも許されない場となった。

「糸とともに…」と「Globes:」に関しては、作り手としての態度や姿勢そのものが厳しく問われた。
「浜辺の…」に関してはF君のカメラワークがやはり是枝さんと同様に山崎さんから絶賛された。

3日経った今になっても、自分が関わったものではない作品の講評について、自分の意見でここに書けることはほとんど無い。が、一つだけ確信を持って書けるとすれば、山上さん、山崎さんが述べていた事は(これは以前の是枝さん、諏訪さんの講評でも同じだと思うが)、「自分には十分に理解出来た」という事だ。

約1年間ほど、「カメラとマイクの接続の仕方」みたいな、本当に基礎の基礎から映画作りというものを学ぶ苦楽を共にしてきて、その作品制作過程の紆余曲折を知っている同期の一人としても、あそこまでの酷評を聞いて、擁護したいとの気持ちが出たが、内容を真剣に聞いていて「それは違う!誤解だ!」と、真正面から対抗出来る事は、自分には無かった。プロデューサーとして、またカメラマンとして何十年と勝負してきている「プロ」達の講評の凄み、「作品」として何かを表現して世の中に出すということへの真摯な姿勢。尊敬する事しか無かった。

それが、本当に正直なところだ。
観客の前に「完成された作品」として出すという事。それをもっと考えろ。と全員、言われた気がする。


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その後の備忘録。

【金曜】
上映会後、何人かの人たちに声をかけてもらい、色々と話したりする。自宅に戻り、ツッチーと41氏とさとと飲む。
1時頃にさとが就寝。5時頃に41氏が就寝。そして11時頃まで、ツッチーと話す。

【土曜】
起床したら15時過ぎ。ダラっとする。夜飯にうどんを食いに行く。山上さんと山崎さんから言われた事を頭の中で整理する。41氏はもう一泊。「人生を背負う」という事は、どういう意味か。それは軽々しく口に出来る事なのか。などについて話す。今の自分に正直にあるしかないと結論する。

【日曜】
また15時頃起床。41氏帰宅。ダラっとする。スーパーに行く。唐揚げを食う。再度、色々と講評の事を考える。

【月曜】
基本はダラダラしながら、多少色々と整理がつく。やはり映画ではなく、今は社会と世界を見たいと思う。自分に圧倒的に足りないものは「長い目でものを見て考える」素養だろうと思う。映画が出来て100年とちょっと。映画の枠内だけで物事を考えていると思える言説が多すぎると感じる。腰を据えてじっくりモノを見る覚悟が自分には必要だと思う。「今」に敏感でいるために、ハイエナにはなりたくない。「今」の問題を、人間が抱える問題の普遍へと導く事が、きっとドキュメンタリーという表現には出来るはずだ。

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「MAKING of MANGA」の講評に関して。
メモしていた事をここにも備忘として書いておく。全体的に好意的な意見だったのでホッとした面もあったが、自分では一切気づいていなかった鋭い指摘を幾つか頂けて本当に良かった。


・山崎さん
「構成が、一年で何故ここまで見せられるのかというくらいに“変に”上手い。(まとまりすぎであまりそこが好きになれないというニュアンス含め)」
「撮影と構成が一つの方法論として一体的になっている。その設計が見事」
「ラストの作り手と被写体の共犯関係をバラしてしまうというカットは個人的に好きではない」
「テクニックと漫画家の人間とを見せていく構成のバランスが良い」
「執筆のテクニックを即物的に撮りすぎている面があるかもしれない。ストレートに執筆ではない、もっと漫画家自身の肉体の変化のようなものを現場で発見する目が必要だった。それが出来るかどうかにドキュメンタリーはかかっているのでは。そこに何かもう一つあったのでは。

・山上さん
「ものを生み出す人の苦しみと喜びが垣間見えた」
このような被写体との出会いは奇跡的で、一生にそう何度もあるものではない。その意味で、2作目をどうするのかを聞きたい。ドキュメンタリーを撮る事の幸せと不幸に出会ってしまったという事を自覚して欲しい。撮れてはいる。これからもこの被写体を撮り続けるべきかもしれない。その覚悟はあるか。その質問が出来るという意味では、一定の評価は出来る
「音の構成は際立って良かった分、もっと映像から自由になっても良かったのでは」
「ドキュメンタリーを撮るという事は、人生を背負うことに近い行為だ」

・筒井さん(?)
「出来るまで作品として、よく出来ている」
「対象との関係性の変化がない。対象との距離感の一様さから、ある種の馴れ合いが感じられる」
(筒井さんのコメントに関しては、内情を知った上(最初のシーンの撮影が時系列的に最後であること)での厳しい批評だと受け止めた)


加えて、上映会終了後、先輩たち(主にOさんとMさん)から頂いた指摘。

「漫画家のナレーションで説明されてしまうところで、幾つか好きになれない部分があった。特に「画で見せなきゃいけないシーンもあるから…」のところは、あれこそ画だけでいくべきでは」
「もっと音だけで色々出来る部分があったのでは」
「作り手が今、何故これを撮るのかという切実さの部分では、一番伝わった」
「電車が唐突に入る編集と、ラストのカットバックの編集がラジカルで好きだった」
「編集長などのシーンはいらなかったのでは。もっと執筆だけで押せたのでは」


更に加えて、漫画家・土屋雄民の指摘も(実は彼の指摘は他の作品についてもかなり本質的で勉強になった)
タイトルと内容が合わない。MAKING of MANGAというタイトルならラストカットは間違っている。あのラストカットは漫画家土屋に寄りすぎている。タイトルは重要。
足の執筆シーンが2カットあるが、1カットで良かったのでは。執筆シーンでもっと削れるところがあったはず(!)。

更に、一つしか覚えてないが、友人でサラリーマン役の41氏のコメント。
「ラストのカットバックのマンガのシーンは何故無音なのか。あそこに海の場所の音が入ってても良かったのでは」



こう、言われた事を整理して書いてみて、山崎さんと山上さんからの指摘が重く、的確で、愛のあるものだったと再認識している。

山崎さんがおっしゃった「現場で発見する目が足りない」という指摘。その通りだったと思う。内藤カメラマンからも同様の指摘を以前受けている。MAKING of MANGAはラッキーが重なって、予め撮りたいと思っていたものが撮れた結果、あまりに最初の構成に忠実になり過ぎたと今では思っている。「撮らなければいけないもの」を撮ることでいっぱいいっぱいになり、現場での発見が疎かになってしまった事も事実。そのため、「構成と撮影の設計」がこちらの思惑通りにいったところがあった。そこが成功した部分でもありながら、ドキュメンタリーとして大切なものが何か今一つ足りないと、きっと評価されたのだろうと思う。これは重く受け止める。

山上さんから言われた事。嬉しくて涙が出そうになった。客席に座っている自分に対して目を見て舞台上から話しかけてくれた山上さんの誠実さには感動した。山上さんが終始言っていた「覚悟・姿勢」については、自分は持てていたと自信を持って書けるだろう。その上で、非常にズシリとくる宿題を頂いた気がしている。




※講評の際、もっと批判的な意見があったかもしれない。基本的には、自分があっと思った事をメモしていたので…そしてキツイことは基本的に忘れてしまうというダメな性格のため…

※あの上映会に来てくれた一般の人で、ガギグゲキッコを手にとってくれた人は何人いるのか…3人くらいはいて欲しい…




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Sep 16, 2011

雑記

明日(もう今日)は修了作品の上映会。
なぜか全く緊張しない。何を言われても良い感じ。
http://a-shibuya.jp/archives/1187


今日はフィクション科の修了作品を5つ見てきた。
高木栄衣子さんという方が脚本・監督の「いでよ、空」という作品が自分としてはかなり良かった。


5作品あって、その内4作品には、「おかしな人」が出てきて「暴力」と「死」が出てくる。
その事自体の社会的意味を考えたりしてみたが、よく分からない。
自分と同世代の、日本に生きている人たちが、そんなに「おかしな人」とか「暴力」とか「死」に近いところで生きていると思えないからだ。



映画の為に事件が起き、映画の為に人が殺される、というのは普通の事なんだろうか。
多分、そこに違和感を感じたのだろう。



やっぱ、ドキュメンタリーにしか、作る方の興味は持てないなー。





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Sep 8, 2011

雑記

来月10月6日から13日にある、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くための資金(滞在費、交通費、チケット代)を稼ぐため、短期のバイトにいくつか応募していたのだが、今日、電話があって、変則ではあるがスマフォアプリのデバッグのバイトが決まった。久々のスーツ仕事で、さっきパンツを履いてみたがかなりきつかった。明らかに腹回りが…まあ少しの辛抱だ。

バイトが決まる前の段階で既に山形のホテルも予約していて、高速バスも予約していて、チケットも購入済だったので助かった。滞在費くらいは稼げるはずだ。

山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年開催されているもので、次となると2013年になるので、定職に就かないうちに一度全日で行っておきたいとの思いが強かった。

早く来月になんねーかなー。
前にここにも書いた学校の先輩の作品と、もう一人先輩の作品が上映される予定。
この二人の作品は、何がなんでも、観る。
目標は一日4作品観ること。30本くらいは観たい。特に同世代の方達の作品に集中したい。


と、その前に、キッチリお仕事をこなして。来週木曜から。
今月はバイトと修了作品の上映会と菊地成孔+大友良英のライブで終わる。




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