Nov 21, 2011

鎌倉

去る日曜日、久しぶりにお出かけという事で、鎌倉に行ってきた。

電車で約1時間。昼頃に到着し、とりあえず昼食という事で、「尾崎」という魚を食わす店でさば味噌煮定食を頂く。ツレはアジの刺身定食。瓶ビール一本。昼から飲む冷えた瓶ビールさえあれば、全然、楽しく生きていけると思った。



その後、鶴岡八幡宮へ。日曜で天気も良かった事もあるのか、かなりの人だかり。


大仏ハイキングコースなるコースをひたすら歩く。途中に浄智寺なる場所に寄る。澁澤龍彦のお墓がどこかにあるらしかったが、それほど見つける気もなく歩いていたら、やはり見つからなかった。布袋様がいた。石の。お腹をさすると元気になるらしい。元気になったと思う。いや、ならなかったかもしれない。いや、なったはずである。たぬきもいた。石の。ニヤニヤしていた。





紅葉はまだまだ色づき始めた位だったが、すすきは立派に秋の風景を作っていた。
ハイキングコースという、軽い語感から鼻歌交じりに歩くコースだと思っていたら、中々にハードな山登りコースで、トータルでは2時間半位登ったり下ったりしながら、大仏のある高徳院へ。





初めて見たのだけど、やっぱ笑ってしまった。でかくて。背中からは見ると哀愁が漂い、パックり開けられてどこか情けない感じも。奈良の大仏を見た時も思ったがこれを作った人たちは相当に愛すべきバカだと思う。もちろん、いい意味で。





大仏の中に入っても超つまらないとツレが言ったので、中には入らずに甘いものを少し食べて帰宅。





久しぶりに山の中を歩いて、気持ちが良かった。
たまには、こう、意識的に、季節の折に、自然に触れていくのがいいかなーと思う都市生活者な最近。



おまけ。帰りに江ノ電の中から撮った夕景。

Oct 17, 2011

YIDFF2011 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011

10月6日から10月13日にかけて開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭に行った。
とりあえず、観たものを列挙。観た順。


「出稼ぎ東京」
「ネネット」
「光、ノスタルジア」
「大津波のあとに」
「槌音」
「殊勲十字章」
「ソレイユのこどもたち」
「女として生きる」
「反骨の砦」
「ある国鉄乗務員」
「市民戦争」
「第十九国会」
「南ベトナム海兵大隊戦記」
「テレビに挑戦した男・牛山純一」
「ギフト」
「朝が来て終わる夜を見たことがない」
「飛行機雲(クラーク空軍基地)」
「失われた町のかたち」
「チョコラ!」
「監督失格」
「川の抱擁」
「日は成した」
「三千年の収穫」
「まなざしの旅」
「雨果(ユィグォ)の休暇」
「アミン」
「阿仆大(アプダ)」
「柔らかな河、鉄の橋」
「密告者とその家族」


こう書いてみると結構観れてない。一日サボって読書してたし。。
各作品の感想を詳細には書く気がしないけど、良かったと思ったのは(テレビ除くと)

「光、ノスタルジア」
…一見関係ない人たちを監督の感覚で繋げていっちゃう強引さが嫌いじゃない。「繋げる役割」に真摯な姿勢に共感した。

「ソレイユのこどもたち」
…スタイルが確立されてる。

「朝が来て終わる夜を見たことがない」
…スタイルが確立されてる。

「チョコラ!」
…子供達がそこに生きている事がちゃんと誰にでも伝わる。「生きている」ことへの無条件の肯定が力強く感動的。

「三千年の収穫」
…うまく言語化出来ないけどストレートで気持ちが良かった。歌が強い。(劇映画)

「雨果(ユィグォ)の休暇」
…監督の事が好きになってしまったらもうそれだけでいいのかもと思えちゃう。短いの作品なのに人間がバッチリ映ってる。

「密告者とその家族」
…一番、エンターテイメントとして成立してた。ドキュメンタリー映画なんて普段観ない人でも「面白かった」と言える強度がある。

といったところ。



他のインターナショナルコンペ作品は、

一番退屈だったのは「阿仆大(アプダ)」シネマトグラフの実践らしいが、ペドロ・コスタのコピーにしか見えなかった。

「監督失格」「失われた町のかたち」「日は成した」はどれもセンチメンタルなセルフドキュメンタリーなのに、これだけ表現が違ってくるのを比較してみると面白い。どれも好き嫌いがハッキリ分かれそう。

「殊勲十字章」は玄人の評価が高いみたい。ブレヒト?らしい。が、自分には良く分からなかった。ただ監督の父親、監督ともに、その語りの背後に見え隠れするアメリカ的傲慢さに辟易した。

「飛行機雲(クラーク空軍基地)」は長くて寝た。冗長で疲れた。もっと切れるんじゃ…

「川の抱擁」結構好き。作品としてバランスが良いと思った。



連続して濃いドキュメンタリー映画を観るのは想像以上に疲れるんだなー、と。
そして、やっぱこれは来てよかったなーと。可能なかぎり今後も行きたい。学べる。かなり。方向性が見えるというか。全体の。香味庵も人間模様が面白かった。お会いしてみたかった人たちに会える場所があるというのは贅沢な事だ。


とりあえず、こんな感じ。もっと色々あったんだけど、それについては、またいつか…
もう少し頭の中で整理して今のドキュメンタリー映画の「傾向」を書けたらいいんだけど…
まずは何か仕事探さねーと…



香味庵で飲んで疲れきった後のホテルにて。蔵王温泉で購入した「ZAWO」Tシャツを着て。



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Oct 5, 2011

After Jon Jost, Before Yamagata

土日の二日間、Jon Jostのワークショップに参加。

土曜は、渋谷界隈にて撮影をする。iPhoneで。一人で。ワークショップを20時頃に離脱し、D、Dの友達、Mさんと桜新町で飲み。起業家2人の話を聞いていて、久しぶりにMOTとかを勉強していた頃を思い出した。ビジネスマインド。かけ離れてしまってから結構時間が経ったので、新鮮だった。その「感じ」の場所にチューニングするまでに時間がかかった。

飲み会が終わって朝方から数時間かけて1分くらいのものを編集して作る。
安易なコンセプトものだったが、体験としては面白いものだった。土曜日の夕方に、2時間くらい「丸い物」を探して撮影しながら渋谷界隈を歩きまわっていたのはきっと自分だけだっただろう。

日曜はワークショップの参加者の方達がそれぞれ仕上げてきた作品を観て講評。
人それぞれ全く違った個性が出ていて面白かった。が、それと同時に、日本人は「教え」から逸脱したものを作る人が少ないなーとも感じた。

日曜はワークショップ後の飲み会に参加。そのままの流れでF監督と朝まで飲む。色々と話した気がするが、あまり覚えていない…とにかく映画についての話ばかりしていた気がするが、映画の話に興味があまりないため、なんか生意気に失礼な事を言いまくっていたかもしれない。。

月曜はJon Jost「パッサージュ」を観に行く予定が、土日の寝不足&アルコール摂り過ぎのために体調を崩しダウン。とにかく寝るしかねえと思い、日曜月曜と死んだように惰眠をむさぼる。なんとか持ち直して今。今日の深夜に、新宿発の夜行バスに乗って山形に向かう。7泊する予定。

ワークショップの後、試しに「夢のなかのイメージ」を作ってみた。
こーゆうものを今後作る事は恐らくないと思うが、編集や撮影についての自由度は広げられた気がする。
ただ、決定的に自分とは違うなーと思ったのは、自分はドキュメンタリー映画を観るときに「美しさ」は全然重視しないという事なのかもしれない。いや、美しい映像が嫌いという事ではなくて大好きなのだけど、別に手持ちブレブレの美しくない映像であっても全く不快な気分にはならない。何故なんだろう。美的感覚に不感症なのだろうか。もしかしたら「美しい」という事がある意味で無条件に「良い」とされている状況そのものに対して懐疑的なのかもしれない。

映像と音の表現における、「美しさ」については、全く考察する興味を今まで持っていなかったので、もう一度考えてみるいいきっかけとして捉えてみようと思う。




「CIRCLE in Shibuya」




「Drawing in Your Dream」





追記:YIDFF情報があまりに得られないため、twitter再開。アカウントはkawakami_takuya。このアカウントが一時的になるか恒久的になるかは未定。とりあえず自覚的に情報=命令の奴隷と化す。





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Sep 30, 2011

ドキュメンタリーについての散漫な試論

YIDFF2001における、審査員としての佐藤真の言葉

「ドキュメンタリーは、世界を批判的に映し出す鏡である。社会変革の道具や政治的主張のための武器としてではなく、あくまでも冷徹に世界のあり方を見つめ続けていくことによる「映像表現による批評行為」である。これが、ドキュメンタリー作家としての私のささやかな指針である。したがってその批評性とは、“真実”などは存在しないこと、現実は既にフィクションを内包していることに鋭敏に反応せざるをえないだろう。たとえ無垢な現実の断片がフィルムに映し出されたところで、それを再構成することで映画は紛れもなくフィクションになる。ドキュメンタリーの批評性とは、そうやって再構成されたフィクションが、当の現実をどの様に批判的に映し出すかによって係わっていると私は考える。」


この文章をたまたま久しぶりに読んで、思った事をツラツラと書いてみたい。この文章では推敲は極力さけるので、色んなところに寄り道するかもしれない。それをそのまま、この私的(そして恐ろしくも無限大に公的な)メディアに記録するという意味で、散漫な試論とタイトルをつけよう。

この佐藤真の文章は、ドキュメンタリー映画に関わる「日本人」としては余りに有名であるが、非常に端的に、そして明快に、彼が捉えていたドキュメンタリー映画の本質を表しており、且つ、佐藤真以降のドキュメンタリー作家達が(敢えて批評家は除こう)一種の呪縛とも言うべき粘度でもって、反芻させられてきた文章でもあると思う。
これは、個人の認知限界の話でもある。ドキュメンタリーにおいては、「神の視点」は存在しない。ここで言う「神の視点」とは何か。

フィクション映画で構築される世界では、作家そのものが一種の「神の視点」として機能する。
そこでは、現実を虚構化したものが、つまりは、現実を、「その作品内世界における神の視点を持つ監督」が、あらゆる手段(脚本、役者、美術、照明その他全て)を用いて虚構化した世界が映しだされる(その中にもドキュメンタリー性は含まれはするものの)。フィクション映画において「監督」と呼ばれているその人は、その現場において、その作品世界内における全てを把握し、制御することの【許されている】全知の神、あるいは、それを志向している存在だ(もちろん、この監督=神という立場の脱構築を図ってきた作家も存在するが、諏訪監督とかね)。撮影対象が虚構化された現実である限りにおいて、監督は神の視点を持つことが出来る。

しかし、ドキュメンタリーにおいては、作家は「神の視点」を持ち得ない。ドキュメンタリー作家は、撮影現場において、実名の、認知限界を持つ感覚器官の統合体として、現実に内包された状態で存在する。その撮影対象は虚構化されていないため(正確には、その虚構化の程度がフィクションと比較して極端に小さいため)、ドキュメンタリー作家はやはり神の視点を持ち得ない。もしくは、神の視点を持ちながらその世界を「制御」していく事が存在として【許されていない】。ドキュメンタリーにおいて、作家が撮影対象を「制御」することを「演出」と呼ぶとすれば、その「制御能力の高さ」=「演出力の高さ」となってしまう。撮影現場(それは、その場に存在している光や音、被写体となっている人間、そしてスタッフ含め)を制御することを志向する作家は、いずれその制御力拡大の欲望から逃れられなくなり、結果としてフィクション作家への道を進んでいくのではないだろうか(例えば、是枝裕和や河瀬直美という偉大な監督は、そういったタイプだと分類出来るかもしれない。一応エクスキューズしておくが、私は両監督を尊敬している)。

ドキュメンタリー作家は恐らくは、「現実」を「制御」する権限を持たない。自己が現実に内包されており、虚構化も許されない実世界において、ドキュメンタリー作家は、「真実などは存在しないこと」「現実は既にフィクションを内包していること」を常に敏感に意識しながら、対象を批評的によく「見ること」しか出来ない。どれだけ「見ること」が出来るか。それがドキュメンタリー作家に問われる第一の資質だ。土本典昭や小川紳介といった偉大なドキュメンタリー作家たちの作品を見なおしてみても、現場において監督含むスタッフ達が、如何に「見ること」に長けていたかを実感する。
これを、「誰にでも分かる」テーゼとしてクレバーに提唱し直し・実践しているのが想田和弘という作家なのかもしれない。参与観察(作家自身がその撮影現場にいるという事実を前提とし、それによって変容した現実そのものを観察する)とは、そもそもドキュメンタリーを撮る者にとっては、いわば「前提」と言えるような態度である。しかしながら、そのようなドキュメンタリーにおける本質的な問題は、普段ドキュメンタリーについて考察する機会のなかった人達(これはつまりは、9割以上を占める観客と言えるが)にとってはある種の目新しさがある。それを自らの作品と、説得性の高い言葉によって、ある種「啓蒙」しているのが想田和弘という作家ではないだろうか。ドキュメンタリー映画という、産業としては弱小中の弱小である世界が、広く一般に誤解なく普及するためには、まさしく想田のような存在が必要不可欠だろう。ありがたい、と思いはすれ、んなことはみんな分かってやって来たのに何を今さら偉そうに、などという嫉妬混じりの発言はする気になれない。そういう事を言説化した上で、間口を開いていく努力をしてこなかった結果が、今のドキュメンタリー映画産業において「ドキュメンタリー映画じゃ食えないよ」というクリシェを安酒片手にニヒルな態度で下の世代に語ってきた者たちの、問われるべき責任ではなかったか。


冒頭の佐藤真の言葉に戻ろう。
たった一年間ドキュメンタリー映画に関わった人間としては、この言葉において実感として理解出来る部分もあるが、不明な部分もある。

「…映像表現による批評行為」というものは、そのまま、その通りだと思う。
「“真実”などは存在しないこと」「現実は既にフィクション性を内包していること」
この二点については、ドキュメンタリーというもの以前に、リテラシーというレベルで常に認識せざるを得ない時代に育ったと自己分析しているため、深く理解している。
「たとえ無垢な現実の断片がフィルムに映し出されたところで、それを再構成することで映画は紛れもなくフィクションになる。」
これも、撮影し、編集する、という行為を何度か実践した後になっては、実感として理解出来る。

さて、問題は最後の一文である。
「ドキュメンタリーの批評性とは、そうやって再構成されたフィクションが、当の現実をどの様に批判的に映し出すかによって係わっていると私は考える。」
佐藤真は、ここで「現実を『批判的に映し出す』」と書いた。

現時点で自分に分からないのはこの一点に尽きる。現実を批評的に、冷徹に見続ける眼差しが、ドキュメンタリー映画を作品として成立されられるかどうかの芯を左右するのは分かるが、2011年という、この時代において、「批判的」に映し出すことの意義とは何だろう。何故、「批判的」という言葉を用いたのだろう。

私は、現実を「批評的」に見る事には一点の曇もなく同意する。
ドキュメンタリー映画が担う役割があるとすれば、まさしくそこに尽きるのではないかとすら思う。

しかし、何故、「批判的」という言葉がこの文章の冒頭と締めくくりに2度使われたのか。
というのは、私はドキュメンタリー映画というものが、現実を「肯定的に」映し出すことにも大いに意義を見出すからだ。むしろ、3.11以降の日本において何かを撮るという行為においては、「批判的」な眼差しよりも「肯定的」な眼差しの方が重要かもしれないとすら思う。

どれだけ自分がやれるかは、未だに全く分からないが、「ドキュメンタリー映画」というものが、何かそこにある現実の一部を「肯定的」に映し出すことによって、同時にそこにある世界に対して強烈な「批評性」を持つことが可能だろうと考える。

批判的に物事を捉えるよりも、肯定的に捉えるという姿勢が、今、失われつつあるもの、そして寄り添っていくべきものであるような気がするのだ。



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今、佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」を読み直している。
思想の本ではあるものの、非常に読みやすいので、色んな人にオススメ。その中のニーチェの引用を。
※ちなみに東浩紀および福嶋亮大は、この本および佐々木中を痛烈に批判した。

「おお、諸君世界政策の大都会にすむ哀れな奴よ。諸君若くして才能に恵まれ、名誉心に苦しめられている人々よ。諸君は、あらゆる出来事に−しょっちゅう何かしらが起こるのだから−一言するのを義務と心得ている!諸君は、こういう風にして埃をたてて騒げば、歴史の車になると信じている!諸君は、いつも耳を澄まし、いつも一言投げ入れることができる機会をねらっているから、真の生産力をすっかり失くす!よしんば諸君がどんなに大事業を切望しようとも、懐妊の深い寡黙は、決して諸君のもとに来はしない!時代の出来事が、諸君を籾殻のように追っていく。諸君は出来事を追っているつもりなのに。」






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Sep 26, 2011

いくつかの種

●情報量と認知速度の関係
−編集時の画面と劇場スクリーンの大きさの違いから来る体感速度の違い
−一人で編集をしている時と、劇場で周囲の観客がいる時とでの映像の感じ方の違い

●大津幸四郎の実感から
70年代後半あたりから、撮るべきものを作り手が主体的に選択する必要が出てきたこと
=撮るべき対象が簡単には見つからない状態が日本で支配的になる
その流れの極限としての90年代にセルフドキュメンタリー
ー関連して 撮るべきものがないときに、無理やり題材を見つけて撮った作品の強度と真摯さへの疑問
ー撮るべきものがないというのは本当か、そうだとしたら何故そう認知され得るのか

●日本の特有性
日本のドキュメンタリー映画界が辿ってきたドキュメンタリー感の変遷と、日本以外のそれとの比較
ーガラパゴス化している部分としていない部分を明確にする
ー日本のドキュメンタリー映画批評が「見落としている(=図らずも無視している)」視点は何か

●テレビと映画
ーテレビドキュメンタリーから学べることは何か 批判すべきところではなく、盗めるところ


久保田幸雄
「ドキュメンタリーの場合、演出家の最大の仕事は何かといえば、取材相手とどう接触し、どれだけ仲良くなれるかということだと思いますよ。…」



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Sep 22, 2011

思考の断片的なもの(考えるために書く行為の記録)

・システム工学分野におけるシステムの定義
「機能が異なる複数の要素が密接に関係し合うことで、全体として多くの機能を発揮する集合体」

・ギー・ドゥボール
「映画の機能は、劇作品であれドキュメンタリーであれ、孤立した偽の一貫性を、そこに存在しないコミュニケーションや活動に代わるものとして差し出すことである」



時代性を全く無視した『私の表現』がメインのドキュメンタリーには、今は興味が沸かない。セルフドキュメンタリーに興味がない訳ではない。その自己の存在自体を時代性の中で自身が批評的に捉えられているならば。ただ、時代性だけで作品成立を担保している映画もそれほど面白いと思えない。相反するように思えるが、何故今撮らなければいけないのかという問いと共に、表現としていつどこで観られても耐えられる普遍性を獲得しているかという問いがあり、その2つの問いに答えられる作り方をしたい。時代性と普遍性が両立するものをどうにか作るには…短期間で消費されるものをドキュメンタリー映画として作っても仕方がない。将来的に「この時代」が映っているという事で普遍性を獲得する。というのではなく、現時点で何かしらの普遍性を獲得しているもの。しかも現在に正面から向き合いきちんと批評的に捉えているものを作りたい。まず、これが一つの、今の自分の正直な前提としてある。


自分が好きなドキュメンタリーを考える。そこには人間が映っていると共に、何かしら構造と呼ばれるようなものも映っている。それはシステムと言い換えてもほぼ問題ない。人間に入り込む中で構造が見えてくるもの、構造を正確に捉えていくなかで人間が浮かびあがるもの、その両者を並行的にバランスを取って編集して成功しているもの。基本的にはこの3パターンが王道としてあると思う。時代性とは恐らくまず何かしらの構造の中に隠されているものであり、普遍性は恐らく人間の中に潜んでいる。例外は多々あるだろうが、とりあえずはこの仮定の下で考えを進めたい。


ここまでまとめ。成立条件:時代性・普遍性の両立。時代性=構造。普遍性=人間。

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※この観点でMAKING of MANGAを自己批評してみる※
MAKING of MANGAで映っているものはマンガ執筆のディテール(=物質の変化)。その作品を執筆する新人漫画家の現在置かれた状況。その2つだった。新人として何かを作っている人間としてのある種の普遍性は、かろうじて映っていると言ったとしても、明らかに構造の部分が足りていない。そのため、時代性が捨てられている。また、人間の「変化」も捉えられていない。「マンガ原稿」というものが出来るまでは、単純に「頑張ってずっと撮影する」という方法によって撮れているが、「マンガ単行本」という商品が出来るまでは正確には映せていない。そのため、「制作」の構造が映画に取り込まれていない。構造を映すためには一人の人間を撮るだけでは不可能だ。構造(=システム)の定義の通り、そこには「異なる複数の要素」が存在しなければならない。そして、その要素同士が「密接に関係しあって」いなければならない。つまり、構造をMAKING of MANGAに取り込むためには、漫画家と担当編集者の関わりと、マンガ雑誌そのもののデザインをしている編集長の言葉がなければいけないという事だ。そこが圧倒的に弱いために、構造が映っていない。ここの構造がもっと明確に提示されていれば、その構造の中で動く要素としての漫画家その人の心情の吐露のシーンがより生きてくるはずなのだ。その点が「物足りない」という事になる。
もう一つ、人間の変化が捉えられていない部分に関して。これは、スタッフ全員がその変化を発見する目を現場で持ち得ていなかったこと(そこに意識が向いていなかったこと)が原因だろう。

MAKING of MANGAを作り始める時に、この構造をどう入れ込むかという部分について、十分に明確な考えを持てていなかった構成者(=おれ)に問題があったと言える。これは批判される一つの要因となる。30分という尺の中で、どう構造を落としこむのか、がもう少し明確になっていれば、もしかしたら両立出来たかもしれないのだ。修了制作として提示された「出来るまで課題」として作品を作ったという態度そのものを、今、もう一度反省する必要がある。結果として、「出来るまで作品として」ある一定の完成度を持ったが、「ドキュメンタリー作品として」は、やはり時代性というものが圧倒的に欠けているのだ。作り手側の「これは出来るまで課題として制作された作品で…」というエクスキューズは、観客には興味がない。
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人間が映っているかどうかは、恐らく現場にかかっている。現場のキャメラマンの目であり、監督やスタッフの発見。その中で対象との関係性を築けているか。その次に、ある種冷めた目で抑制的に対象を見ることが出来るかどうかだと思う。対象の言っている事に共感する部分と批判的な部分とを健全に持ちつつも、どこか「この人は、こういう事を、こういう表情で、こういう口調で、言っている」というだけの目を常に持ち続けられるかどうかにかかっている。気をつけるべきは、この人の言っている事が全て正しいとも、全て間違っているとも思わない態度を持ち続けることだ。全く正しい人も、全く間違っている人も、きっといないのだ。自分と同じ考えの人と、異なる考えの人がいるだけ。それを忘れたら恐らく人間を見たと言うことは出来ないはずだ。そこにあるのは、ただ、「この立場の人間が、こういう事を言っている」という事実性だけだ。
人間は知識では映せないのだろうと思う。人間をきちんと見るためには、誠実な態度、相手の人生に対する愛が必要だ。逆に言えば、それさえきちんと持ち続けていれば、自分の作品の表現として人間を「使う」ような撮り方にはならず、冷静に人間を見つめる眼差しを持てるはずだ。

構造を映せるかどうか。これは人間を見る目とは少し違った、理性や知性の領域の問題だろうと思う。
時代性を表象しているものが構造だとすれば、構造を作り手として批評的に見るためには知識が必要だ。他のあらゆる構造について知り、自分が対象に選択した構造そのものと比較した上で考察出来る知性が必要になってくる。そのためには、歴史を学ばなければならないだろう。特にドキュメンタリー映画は長い視点で構造を捉えることが出来る貴重な表現のはずだから、あらゆる目の前の問題を、分母の大きい時間軸の中で、また体積の大きい空間の中で、その都度捉え直していく知性が必要になるのだと思う。


やるべき事は、まだまだたくさんあるのだ。
きっと、こういう事は色んな本にもっと明確に考察されているのだろうと思うが、今は、自分だけで一から考え直したい気分。本で読んでなるほどーと思った事は、なんか、結構忘れちゃう。でも自分で一から考えて、その後同じような事を書いてる本を読むと、一生忘れない。




追記:
最も単純に書くとこういうイメージ。このイメージでとりあえず考えてるのがこの文章。
点が人間。人間はそのものは時間関数。そのものが変化する。その個人の変化によって周りとの関係が変化する。それによって赤線が描く形が変わる。赤線の形が時代。外側の丸が「世界」。世界は人間にも時代にも関係ない不変の何かとして存在している。本当は人間という時代(=赤線の形=構造)を構成する一つの要素自体の形もバラバラで点だけではないし、要素間を結びつけているのは方向性を持ったベクトルだし、そのベクトルには関係性の強さという意味で太さがある。きっと、インターネット以前/以後で時代を分けられると考えると、以前の段階では小さいネットワーククラスタが無数にある世界だったのが、以後ではクラスタ間がほぼ無関係に繋がったのだと思う。線が一気に増えたため、形=時代が把握しづらくなっている。でもその線は以前に描かれていた線より恐らく細いもので、これが今後太くなっていくのか、切れたり繋がったりして細いままなのかが、多分2010年代に明らかになっていくことだと思う。







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Sep 20, 2011

修了作品上映会から3日ー気持ちの整理と、週末の備忘

先週の16日金曜日に、2010年度映画美学校ドキュメンタリーコース初等科の修了作品上映会があった。
オーディトリウム渋谷という映画館で、同期たちの作品も含め4作品が上映された。

・糸とともに〜「さをり織り」たて糸づくり・織り・仕立て〜
・Globes:
・浜辺の巨大生命体へー大人の科学の挑戦ー
・MAKING of MANGA

この4作品が上映され、一つづつ講評して頂いた。

各作品の前に、まず代表者の簡単な挨拶があり、全ての上映が終わった後、山上徹二郎さん(シグロ代表・プロデューサー)、山崎裕さん(ドキュメンタリージャパン前代表取締役、カメラマン)、筒井武文さん(主任講師・監督)との3名での講評となった。


ここに詳細に書くことが出来ないほどの(それは、心理的に未だという意味で)、厳しい講評だった。あんなに張り詰めた空間を味わったのは久しぶりだった。劇場内の空気が「ピーン」という音を発しているように感じられた講評の1時間半。その場は「作り手」としてのガチの場であり、そこに一切のお世辞も、一切の馴れ合いも許されない場となった。

「糸とともに…」と「Globes:」に関しては、作り手としての態度や姿勢そのものが厳しく問われた。
「浜辺の…」に関してはF君のカメラワークがやはり是枝さんと同様に山崎さんから絶賛された。

3日経った今になっても、自分が関わったものではない作品の講評について、自分の意見でここに書けることはほとんど無い。が、一つだけ確信を持って書けるとすれば、山上さん、山崎さんが述べていた事は(これは以前の是枝さん、諏訪さんの講評でも同じだと思うが)、「自分には十分に理解出来た」という事だ。

約1年間ほど、「カメラとマイクの接続の仕方」みたいな、本当に基礎の基礎から映画作りというものを学ぶ苦楽を共にしてきて、その作品制作過程の紆余曲折を知っている同期の一人としても、あそこまでの酷評を聞いて、擁護したいとの気持ちが出たが、内容を真剣に聞いていて「それは違う!誤解だ!」と、真正面から対抗出来る事は、自分には無かった。プロデューサーとして、またカメラマンとして何十年と勝負してきている「プロ」達の講評の凄み、「作品」として何かを表現して世の中に出すということへの真摯な姿勢。尊敬する事しか無かった。

それが、本当に正直なところだ。
観客の前に「完成された作品」として出すという事。それをもっと考えろ。と全員、言われた気がする。


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その後の備忘録。

【金曜】
上映会後、何人かの人たちに声をかけてもらい、色々と話したりする。自宅に戻り、ツッチーと41氏とさとと飲む。
1時頃にさとが就寝。5時頃に41氏が就寝。そして11時頃まで、ツッチーと話す。

【土曜】
起床したら15時過ぎ。ダラっとする。夜飯にうどんを食いに行く。山上さんと山崎さんから言われた事を頭の中で整理する。41氏はもう一泊。「人生を背負う」という事は、どういう意味か。それは軽々しく口に出来る事なのか。などについて話す。今の自分に正直にあるしかないと結論する。

【日曜】
また15時頃起床。41氏帰宅。ダラっとする。スーパーに行く。唐揚げを食う。再度、色々と講評の事を考える。

【月曜】
基本はダラダラしながら、多少色々と整理がつく。やはり映画ではなく、今は社会と世界を見たいと思う。自分に圧倒的に足りないものは「長い目でものを見て考える」素養だろうと思う。映画が出来て100年とちょっと。映画の枠内だけで物事を考えていると思える言説が多すぎると感じる。腰を据えてじっくりモノを見る覚悟が自分には必要だと思う。「今」に敏感でいるために、ハイエナにはなりたくない。「今」の問題を、人間が抱える問題の普遍へと導く事が、きっとドキュメンタリーという表現には出来るはずだ。

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「MAKING of MANGA」の講評に関して。
メモしていた事をここにも備忘として書いておく。全体的に好意的な意見だったのでホッとした面もあったが、自分では一切気づいていなかった鋭い指摘を幾つか頂けて本当に良かった。


・山崎さん
「構成が、一年で何故ここまで見せられるのかというくらいに“変に”上手い。(まとまりすぎであまりそこが好きになれないというニュアンス含め)」
「撮影と構成が一つの方法論として一体的になっている。その設計が見事」
「ラストの作り手と被写体の共犯関係をバラしてしまうというカットは個人的に好きではない」
「テクニックと漫画家の人間とを見せていく構成のバランスが良い」
「執筆のテクニックを即物的に撮りすぎている面があるかもしれない。ストレートに執筆ではない、もっと漫画家自身の肉体の変化のようなものを現場で発見する目が必要だった。それが出来るかどうかにドキュメンタリーはかかっているのでは。そこに何かもう一つあったのでは。

・山上さん
「ものを生み出す人の苦しみと喜びが垣間見えた」
このような被写体との出会いは奇跡的で、一生にそう何度もあるものではない。その意味で、2作目をどうするのかを聞きたい。ドキュメンタリーを撮る事の幸せと不幸に出会ってしまったという事を自覚して欲しい。撮れてはいる。これからもこの被写体を撮り続けるべきかもしれない。その覚悟はあるか。その質問が出来るという意味では、一定の評価は出来る
「音の構成は際立って良かった分、もっと映像から自由になっても良かったのでは」
「ドキュメンタリーを撮るという事は、人生を背負うことに近い行為だ」

・筒井さん(?)
「出来るまで作品として、よく出来ている」
「対象との関係性の変化がない。対象との距離感の一様さから、ある種の馴れ合いが感じられる」
(筒井さんのコメントに関しては、内情を知った上(最初のシーンの撮影が時系列的に最後であること)での厳しい批評だと受け止めた)


加えて、上映会終了後、先輩たち(主にOさんとMさん)から頂いた指摘。

「漫画家のナレーションで説明されてしまうところで、幾つか好きになれない部分があった。特に「画で見せなきゃいけないシーンもあるから…」のところは、あれこそ画だけでいくべきでは」
「もっと音だけで色々出来る部分があったのでは」
「作り手が今、何故これを撮るのかという切実さの部分では、一番伝わった」
「電車が唐突に入る編集と、ラストのカットバックの編集がラジカルで好きだった」
「編集長などのシーンはいらなかったのでは。もっと執筆だけで押せたのでは」


更に加えて、漫画家・土屋雄民の指摘も(実は彼の指摘は他の作品についてもかなり本質的で勉強になった)
タイトルと内容が合わない。MAKING of MANGAというタイトルならラストカットは間違っている。あのラストカットは漫画家土屋に寄りすぎている。タイトルは重要。
足の執筆シーンが2カットあるが、1カットで良かったのでは。執筆シーンでもっと削れるところがあったはず(!)。

更に、一つしか覚えてないが、友人でサラリーマン役の41氏のコメント。
「ラストのカットバックのマンガのシーンは何故無音なのか。あそこに海の場所の音が入ってても良かったのでは」



こう、言われた事を整理して書いてみて、山崎さんと山上さんからの指摘が重く、的確で、愛のあるものだったと再認識している。

山崎さんがおっしゃった「現場で発見する目が足りない」という指摘。その通りだったと思う。内藤カメラマンからも同様の指摘を以前受けている。MAKING of MANGAはラッキーが重なって、予め撮りたいと思っていたものが撮れた結果、あまりに最初の構成に忠実になり過ぎたと今では思っている。「撮らなければいけないもの」を撮ることでいっぱいいっぱいになり、現場での発見が疎かになってしまった事も事実。そのため、「構成と撮影の設計」がこちらの思惑通りにいったところがあった。そこが成功した部分でもありながら、ドキュメンタリーとして大切なものが何か今一つ足りないと、きっと評価されたのだろうと思う。これは重く受け止める。

山上さんから言われた事。嬉しくて涙が出そうになった。客席に座っている自分に対して目を見て舞台上から話しかけてくれた山上さんの誠実さには感動した。山上さんが終始言っていた「覚悟・姿勢」については、自分は持てていたと自信を持って書けるだろう。その上で、非常にズシリとくる宿題を頂いた気がしている。




※講評の際、もっと批判的な意見があったかもしれない。基本的には、自分があっと思った事をメモしていたので…そしてキツイことは基本的に忘れてしまうというダメな性格のため…

※あの上映会に来てくれた一般の人で、ガギグゲキッコを手にとってくれた人は何人いるのか…3人くらいはいて欲しい…




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Sep 16, 2011

雑記

明日(もう今日)は修了作品の上映会。
なぜか全く緊張しない。何を言われても良い感じ。
http://a-shibuya.jp/archives/1187


今日はフィクション科の修了作品を5つ見てきた。
高木栄衣子さんという方が脚本・監督の「いでよ、空」という作品が自分としてはかなり良かった。


5作品あって、その内4作品には、「おかしな人」が出てきて「暴力」と「死」が出てくる。
その事自体の社会的意味を考えたりしてみたが、よく分からない。
自分と同世代の、日本に生きている人たちが、そんなに「おかしな人」とか「暴力」とか「死」に近いところで生きていると思えないからだ。



映画の為に事件が起き、映画の為に人が殺される、というのは普通の事なんだろうか。
多分、そこに違和感を感じたのだろう。



やっぱ、ドキュメンタリーにしか、作る方の興味は持てないなー。





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Sep 8, 2011

雑記

来月10月6日から13日にある、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くための資金(滞在費、交通費、チケット代)を稼ぐため、短期のバイトにいくつか応募していたのだが、今日、電話があって、変則ではあるがスマフォアプリのデバッグのバイトが決まった。久々のスーツ仕事で、さっきパンツを履いてみたがかなりきつかった。明らかに腹回りが…まあ少しの辛抱だ。

バイトが決まる前の段階で既に山形のホテルも予約していて、高速バスも予約していて、チケットも購入済だったので助かった。滞在費くらいは稼げるはずだ。

山形国際ドキュメンタリー映画祭は隔年開催されているもので、次となると2013年になるので、定職に就かないうちに一度全日で行っておきたいとの思いが強かった。

早く来月になんねーかなー。
前にここにも書いた学校の先輩の作品と、もう一人先輩の作品が上映される予定。
この二人の作品は、何がなんでも、観る。
目標は一日4作品観ること。30本くらいは観たい。特に同世代の方達の作品に集中したい。


と、その前に、キッチリお仕事をこなして。来週木曜から。
今月はバイトと修了作品の上映会と菊地成孔+大友良英のライブで終わる。




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Aug 31, 2011

「本当はナンバーワンになりたいのか?」問題

来月の山形国際ドキュメンタリー映画祭に、行こうかどうか迷っている。
行くなら7泊くらいしないとだめだが、少なく見積もっても移動費、宿泊費、飯代で6万くらいはかかりそうだ。
で、短期のバイトをネットの求人サイトみたいなとこで探していた夜。

「働きたい時だけ働いて、ガッツリ稼ごう!」
「自らの頭で考える人を募集!」
「あなたの個性を存分に発揮!」
「スキルアップが望める仕事です!」

みたいな文句が並ぶ。
なんて素晴らしいんだ。不景気、不景気と皆言うが、ネットを使いこなして求人サイトを覗けばコレだ。
ハハ、阿呆らし。ちょっとネットを使いこなしてみればほうら見ろ。素晴らしい仕事がこんなにたくさんあるではないか。
どの募集に出ている人たちも溢れんばかりの笑顔。笑顔。笑顔。
どれ、こんな事実を私の愚鈍な友人で、いつも仕事が仕事がといって暗い顔をしておるあやつに教えてこましたろ。
こんなに、素晴らしそうな仕事が世の中には溢れているって事をさ。
ああ、自分は先進国日本に生まれて良かった幸せ。


嘘である。


正しく書きなおしてみよう。
「働きたい時だけ働いてガッツリ稼ごう!(※いつでも切れるバイトを増やして社員を減らせば弊社に利潤がでますので)」
「自らの頭で考える人を募集!(※但し、業務の社会的意義や、倫理などについてはあまり真剣に考えないで下さい)」
「あなたの個性を存分に発揮!(※但し、会社の規程の枠内でのみ。髪の毛は黒く、短めが望ましい)」
「スキルアップが望める仕事です!(※本当にスキルのある方は初めから正社員として各社に入社しておりますが)」


この求人募集に書かれている言葉とイメージは、ほぼ、嘘ではないか。
何故、これほどまでの嘘を大っぴらに書いていて許されるのか。公共広告機構みたいなとこに怒られないのか。
私は憤慨した。苦虫を噛み潰した顔をしながらウイスキーを飲み干した。
余りにグラスを持つ手に力が入ってしまい、ひびが入って、ガラスの破片が指先に突き刺さり、血が滴ったウイスキーを、飲み干した。


嘘である。


そんなに怒ることはない。だって、ここに書いてある言葉と、イメージは、その事を意識することもなく
「嘘である」と、認識しているからだ。大抵の人は。
よく考えると、不自然にも。



ついでにこんな歌詞が、日本では爆発的人気になったりする。
「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」
そうか、日本人ってのはみんな、「オンリーワン」な存在を認めているのだ。
競争社会など日本人は嫌いで、誰に勝つとか負けるとか、嫌いなのだ。
個性を認める国民性。ユニークな人間を認める国民性。みんな、そのままでいいんだ。
Peace!
We are all one!素晴らしい。
こんな平和で寛大な精神を持つ、日本人として生まれて育ってこれて良かった幸せ。


嘘である。


どうも世の中を見回すと逆である。
社会に適応していく人間は、どちらかというと、無個性、無主張、無思想、無批判、無関心、無知。
流される人ほど適応していく。流されない奴は適応に手こずる。
なんで「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」って歌詞が大好きなのに、
皆東大に入りたいのか。東大卒を凄いと言うのか。1流企業に勤めている人たちを凄いと言うのか。
てゆうか、「ナンバーワンにならなくていい」のだから、企業に1流も2流も3流もない。学歴も一緒だ。

この日本人の捻れた感覚はどこから来たのか。それは歴史的にもそうであったのか。それとも最近の事なのか。

「ナンバーワンにならなくていい 元々特別なオンリーワン」
という歌詞を、国民の大半を占める人たちが「素晴らしい」と言う。それは素直に言っているように思える。
でも、同時にその大半を占める人たちが、実社会では「オンリーワン」を嫌っているように感じられる。
「オンリーワン」は、なるべく排除しようと動いている気がする。
自分が「オンリーワン」にならないように、日々努力している気がする。




この国の国民は分からん。
嘘を氾濫させすぎて、広告も、メディアも、人間関係も、経済も、政治も、嘘の上でしか回らないようになってしまったように見える。嘘を氾濫させすぎて、それが嘘であったかどうかも認識せずに生きている気がする。

そして、野田って、誰だ?




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Aug 29, 2011

雑記

金曜、土曜と飲む。どちらも渋谷。

土曜は飲む前の夕方に走る。30分程度。

今日は夜に走る。30分程度。

Ballantineを飲む。ロックだと飲みやすいかも。

松本大洋「Sunny」1巻購入。ヨーヨー付き。カバーデザインがカッコよすぎる。


レンタル「ANPO」「たまの映画」「180°SOUTH」「トルソ」

今、外から鈴虫の鳴き声が聞こえている。スーパーには秋刀魚が出ていた。夏も終わりだ。




ボリス・ヴィアンの「L'Écume des jours」を「日々の泡(あわ)」と訳したものは大学在学中に読んだ記憶があるが、「うたかたの日々」との訳のものは読んだことがない。あわ?うたかた?という事を考えたりした。




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Aug 27, 2011

映画美学校ドキュメンタリーコース初等科 終わり

新企画のプレゼンを、筒井武文監督、是枝裕和監督、諏訪敦彦監督、塩崎登史子監督、内藤雅行キャメラマンがいる場で発表し、ありがたくダメ出しを食らう。という最後の授業がさっき終わって、約1年間の初等科のカリキュラムは終了した。

自分の企画はやるかどうかまだ半々。
カメラとマイクがあれば、とりあえずはスタート出来るのだが、もう少し、今日是枝監督と諏訪監督にダメ出しされた点について詰める必要があるかも。もしくは、全然気にせずに自分で突き詰めていってやってしまえば良いかも。
でも、結局ドキュメンタリーの企画なんて、あってないようなものかもなあと思ったりもする。
やってみて、ダメだったらダメ。面白かったら続ける。そんな感じだろう。少なくとも自主のうちは。
満場一致でGO!が出る企画なんて、フィクションでやれば良いとすら思う。
撮り始めるときに、どうなるのか分からない。でも、完成させられれば、そこに重要な何かが映し出せる「予感」がする。
そういう企画しか、今の自分には興味がない。
仕事としてドキュメンタリーの企画出すって、大変なんだろうなと、是枝監督のツッコミを聞いていて実感したとこも大いにあるが、それは想定内というか…映画美学校の初等科の最後に出す企画。として考えて出しているので、満場一致でGO!が出るようなものはそもそも考えていないのだ。そーゆうのは、別の場所で(例えばプロデューサーがきちんとついて、制作費が出て、出口も決まるような場所)やりゃいいじゃないか。と、別に反抗心とかではなく、率直に思った。

同世代の奴らが出す企画は、「画にならない」ものが多い。企画書に表現された言葉も抽象的だ。
「で、何を撮るのか?」との問いに即答出来ない企画が多い。自分の企画もそんな感じだと思う。
でも、今の日本で「何を撮るのか?」という問いを真剣に考えれば考えるほど、気分とか、精神の変化とか、ムードとか、何かそういう「モヤモヤ」「ふわふわ」したものしかないとも切実に思う。
今のところ自分はそれは「2010年代の時代性」なんだと思っている。
分かりやすい企画は、仕事でテレビドキュメンタリーを作っている人がやればいいだろう。
映画美学校は最強のインディペンデント作家を養成する学校のはずだ。
8割に伝わらない企画こそやるべきなんじゃないかと思う。でも2割の心の奥底に届く何かを映し出せないか。
そういう事を、考えている。


「画にならないものを、どう画にするのか?」
そこに真正面から斬り込んでいけるかどうか。作り手側の創造性が最も求められているのはここしかない。
逆にアンチを唱えるのなら、今、画になるものを撮って、どんな意味があるのか?
イメージにならないモヤモヤ。イメージにならない気分。それこそ、今撮るべき対象じゃないのか?
そういう社会だし、そういう時代じゃないか。今の日本は。


政治の季節なんて、本でしか知らない。イデオロギーなんて今扱ってどうする。


撮りたいのは、2011年の、この、何も無い。そしてどこか満たされていない。その「気分」にしかない。


「MAKING of MANGA」を一緒に製作したKの企画には参加する予定。今年中に撮影開始出来れば、という感じ。最後までやり切れば、面白いものにはなるだろうと思う。


明日は修了式という名の、ただの打上げ(?)があるらしい。今週で、昨年秋頃からの生活には一区切りつきそうだ。

終わってK、O、S、Oと終電まで飲んだが、飲み足りないのでシングルモルト余市で、色々と考えることとする。



高等科?まあ、それまでに金の都合がつけば…

困ったことに、金を稼ぐ事は確かに大事だと思いつつも、そんな事より面白いものを、見つけてしまっている。
27歳にして、彼女と親に頼りっぱなしの生活で、何とも情け無いのだが、これは、何というか、どうしようもないのだ。
そういう、「創るところの面白さ」に、既に入り込んでしまっている。
とんでもない彼氏だし、とんでもないどら息子である。




普通の顔をして生活しているようで、もう、会社員の頃の皮膚感覚ではないのだ。
お金とかは、心底、大した問題ではないのだ。
お金が無くなって生活できなくなったら、それはそういう人生だ。
「覚悟」とかよく言ってるのを聞くけど、会社員を辞めた時点で、そんな覚悟はとうに持っている。



「面白い」と思えることを、やり続けるしか、ない。



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Aug 25, 2011

映画美学校2010年度初等科修了作品発表会

オーディトリウム渋谷という映画館で「映画美学校2010年度初等科修了作品発表会」があります。
入場自由です。

ドキュメンタリーコース初等科の修了作品は4作品。9/16(金)の19:00からの上映です。

自分が構成と編集を担当した「MAKING of MANGA」は4つのうちのラストの上映です。

4作品の上映後、カメラマンの山崎裕さん(!是枝組のカメラマンとして昔から尊敬している…)、シグロ代表の山上徹二郎さん、そして我らが主任講師の筒井武文監督による講評もあるらしいです。
例年、ボロクソに言われるらしいので、映画学校の学生がプロにボロクソに言われる。というのを見てみたいという方にもオススメです。







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以下、映画美学校事務局の方が書いた(のだろう)と思われる「MAKING of MANGA」の紹介文。
MAKING of MANGA
2011(31分)※DV
スタッフ:上田絵美/川上拓也/小町谷健彦
初めて月刊誌IKKIで連載を始めた土屋雄民。「ガギグゲキッコ」という連載作品の最終回に立ち会い、一枚の真っ白な紙と1本のペンから生まれた、苦悩と感動を映し出す。

苦悩と感動…中々にハードルを上げられているのではないか…


筒井監督からのコメントは、
「創造の苦しみと快楽を描く『MAKING of MANGA』。被写体はどこまで曝け出せるのか。」
創造の苦しみと快楽を…なるほど。



※詳細はこちら
http://a-shibuya.jp/archives/1187



会社員を辞めて、無職になって美学校に入って作った初作品。
撮影・録音のスタッフ二名もフリーター。
なけなしの生活費を削って制作に参加してくれた作品。
撮影場所まで行く電車賃がない。という事で徒歩で撮影場所まで来る。というような極限の経済状況の中。
夜から朝まで撮影。その後バイト。というようなハードスケジュールの中。
最後まで見捨てないで付き合ってくれた2名のスタッフの協力無しには完成しなかったであろう本作。


何かを作っている方。作ろうともがいている方。
自分の生活は、このままで良いのだろうかと日々悩みながら働いている新人サラリーマンの方。
何者でもない自分の将来に希望と不安を抱えながら生活している学生の方。
20代で何者でもなかった自分の事を思い返している方。
単純にマンガ好きの方。マンガの執筆過程を見てみたいという方。月刊IKKIのファンの方。
ドキュメンタリーに興味のある方。
別にマンガもドキュメンタリーも興味ないけど、9/16(金)夜の予定がフリーだなーといった方。

新人漫画家の初連載作品の最終話の執筆に密着し、ファミレスでのネーム執筆、自宅での原稿執筆の過程を追うと共に、担当者さんとの打合せや月刊IKKI編集長の方のインタビューを撮影させて頂いています。撮影許可の交渉が難航しながらも、何とか撮影させて頂いた印刷所や、実際の単行本が書店に並んだシーン。そして、初の単行本が世に出て、同時に連載を終了し、漫画家としての日々の生活の糧を一旦失った新人漫画家の心境のインタビューで、本作品は幕を閉じます。31分の短編です。一言で、「マンガが出来るまで」を追った作品です。企画当初に描こうとしていたものは、「創作」と「新人の想い」のようなものでした。どちらも、様々な方の甚大なご協力のおかげで、何とか描くことが出来た作品になったと思っています。


小学館月刊IKKIにて初連載中だった新人漫画家・土屋雄民氏の「ガギグゲキッコ」という作品の最終回の執筆過程を撮影していく中で、主人公キッコの想い、作家のメッセージに、強い共感を感じながら、いつのまにか構成が決まっていった「MAKING of MANGA」。

撮影のミスも編集の下手くそさも録音状態の悪さも、色々と技術的な課題が残った作品ではありますが、
初めて作った作品が、これになって本当に良かったと、今では思っています。



このブログを見てくださっている奇特な皆様。是非とも冷やかしにお越しください。なにせ無料です。
オーディトリウム渋谷は普通の映画館なので、特別「内輪」な感じもしないはずです。
もし来てくださった方がいれば、気軽に声をかけて頂ければ幸いです。
丸メガネをかけて体調が悪そうなのが私カワカミです。
「全然面白くなかった!」でも、「よく分からなかった!」でも、「まだまだだね」でも、何かしらの反応を頂く機会になればよいなあと思っています。



では、9/16(金)夜に、渋谷で。
ちなみに、15(木)はフィクションコースの上映です。こちらも是非。




※twitter辞めちゃったので、twitterやっててこれ見た人、このエントリーのリンク貼ってtweetしてくれると嬉しいです。小**とか、小**とか、あと、小**とか。


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Aug 24, 2011

小旅行記 名古屋〜金沢〜長野〜松本

8/18(木) @ 名古屋

前日、徹夜。
焼きつくような日光を久しぶりに感じながら新宿へ。41と合流。
10:30新宿発。16:30頃、名古屋着。高速バス。
栄へ移動し、ビジネスホテルにチェックイン。小休憩の後、金山へ移動。
TTI(大学)飲み会。メンバーは41、P、S、H。Pは数日前にアメリカから帰国したばかりだったので、その留学の話など。それに加え、各自の近況など。
自動車業界への就職が多い大学出身(Pだけ現在もドクターで在学中)で、数年前までは同じ大学にいたメンバーであるが、自動車業界に行ったのは一人だけで、一人は物流関係大手で手取りで月30以上を稼ぎ、一人はドクターの修羅の道を歩み、一人は院を中退してAKB系ショップでフリーターをやり、一人は無職で映画を作ったりしている。今から10年後、皆はどうなっているんだろう。
日付が変わる頃、41の提案で何故かカラオケへ。このメンバーでカラオケって…と思いながらも。
各自、バラバラな趣味の中、バラバラなジャンルを歌う。Hのアニソンは素晴らしかった。1曲も知らなかったが。
2:00頃Sが翌日朝からの仕事のため離脱。残ったメンバーは3:30頃までダラダラした後、デニーズへ。
始発待ちのファミレスでどれくらい粋なトークで場を繋ぐことが出来るか。という事を試すも、全員眠気マックスのためグダグダになる。5:00頃PとHが帰宅。そして残された41と俺。
始発まであと30分。というタイミングで、まさかのタクシー乗車。10分くらいでホテル着。
6:00頃就寝。といっても、自律神経がおかしくなってしまい結局は2時間程度の睡眠。
TTIメンバーはそれぞれが、それぞれの道で頑張っている。
今回は、来ると聞いていたMが諸事情により不参加、という事で、最大手H社に入社した彼が、入社後数ヶ月経過し、今どんな感じなのか話を聞こうと思っていたため非常に残念だった。次の機会にまた。
確かなことは、名古屋では“名古屋嬢”が減っていることだ。



8/19(金) @ 名古屋
11:00起床。12:00チェックアウト。ホテル向かいの店でラーメンを食って41と別れる。
徒歩で15分程度伏見の方に歩き、この日に予約していたホテル周辺でチェックイン時刻の15:00まで時間をつぶす。
カフェ2つ。南博「白鍵と黒鍵の間に」を読む。80年代銀座の雰囲気を、10年代名古屋にて感じる。
15:00頃チェックイン。ホテルのランドリーで洗濯などしつつ、ダラダラする。17時頃に眠気マックスを迎えるが、ここで寝ると深夜に起きること必定と思い堪える。コンビニ弁当の軽いやつなど食しつつ、鳥人間コンテストに涙しつつ、シャワーを浴びつつ、0:00頃まで眠気を堪える。
0:00頃、Sが仕事を終え東京からホテル着。
ようやく寝れると思い電気を消すも、やはり自律神経の乱れ激しく、実質の就寝は5:00頃。
こう書いてみて気がついたが、水曜から金曜の3日で実質3時間くらいしか寝ていなかった。
ヤバい。ちょっと寝なさすぎだった…



8/20(土) @ 名古屋〜金沢
1時間程度ウトウトして6:00起床。雨。ホテルフロントで傘を購入しつつ6:45頃チェックアウト。
名古屋駅から金沢駅まで。高速バス。7:30〜11:30。バス内で寝た。金沢は初。
駅構内観光案内所にて観光マップをゲットし、ホテルへ荷物を預けてから近江町市場へ。
13:00頃、刺身屋定食なるものを頂く。
その後、金沢城、兼六園と見物。兼六園は素晴らしかった。日本人の美の感覚は素晴らしい。
16:00頃、金沢蓄音器館なる所へ。各国の蓄音器の音の聴き比べ。EMG MK10という蓄音器の音を聞いて驚く。
ラッパの部分が紙で出来ているらしいのだが、ノイズが他のそれと比べて極端に少ない、柔らかい、生演奏のような音を出す蓄音器だった。
レコードは元々円盤ではなく円筒型であったこと。円筒型の時は縦方向の波を針が拾っていたこと(つまり、針が、その長手方向を上下に振動する)。円盤は横波を針が拾うようになったこと(長手方向の振動では無く、左右の方向、地震の振動を探知する針と同じ動きのイメージ)。その際、エジソンは縦方向の波の方が音質を保証出来ると考え、円盤で且つ縦波を成形したレコードを作ったこと。が、そのレコードは厚さが7mmくらいもあったため、大量生産の面でプレスのみで簡単に成形でき且つ軽く安価に生産できる今の形のレコードほど普及しなかったこと。など、館長の説明で初めて知った事が多かった。19世紀から20世紀に入る時代の話。複製技術が音楽分野に到達し、家で好きな音楽を好きな時に再生する。という現在でもまだメジャーな聴取スタイルを確立していった頃の時代の話。
その後、ひがし茶屋街なる、京都のような路地にて冷たい抹茶などを飲んで休憩し、18:00頃駅まで戻る。
Sがお土産などを物色。
一旦ホテルに行きチェックイン。少し休んで20:00頃、駅構内にある定食居酒屋へ。
かた豆腐、おでん、茶飯などを頂く。ビールと地酒「剣」2合を冷で。寝不足かつ移動かつ観光により酒がまわり顔が真っ赤に。21:30頃戻り、シャワー。
0:00就寝。南博「白鍵と黒鍵の間に」をこの日、読了する。
この日はようやく、ぐっすり寝る。

























8/21(日) @ 金沢〜長野
8:00起床。ホテルのバイキング朝食。金沢はホテル日航というちょこっとだけ高めのとこだったので、バイキングもちょこっとだけ贅沢な感じだった。
9:00チェックアウト。駅のロッカーに荷物を預け、21世紀美術館へ。
前から一度行きたいと思っていたところだったが、うーん。あまり。そんなに。建築は素晴らしいが…
その日やっていた「Inner Voices - 内なる声」という展示を見る。女性若手作家達の展示。
藤原由葵という静岡在住の作家の「寿星女王」という作品がなんとも、今の日本人女性の感じで、「グロテスクでかつ軽い」という印象を受けた。
正午ごろ駅まで戻り、うどんを食し、スタバで休憩した後JRに乗り込み、長野へ向かう。
今回の旅は、移動は高速バス+JR青春18切符で、ホテルはSのJALマイルで払う。という感じ。
直江津という駅で18:00頃乗り換え。「かにずし」なる駅弁を買うも、中身がスカスカでちょっと笑う。
20:30長野着。そのままホテルへ。カップラーメンを食う。菊地成孔+大谷能生「M/D(上)」を読み始める。
シャワーを浴びて0:00頃就寝。この日もやはり、ぐっすり寝る。

















8/22(月) @ 長野〜松本〜東京
9:30起床。朝食はホテルバイキング。この日のホテルは普通。9:00チェックアウト。
長野駅に荷物を預け、バスで善光寺へ。
おみくじは末吉。善光寺は立派だった。一生に一度は行っておいても良い場所だと思う。Sは今回一番のお気に入りのようだった。「お戒壇めぐり」なるものを体験した。

〜善光寺HPより〜
※お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です※

本当に真っ暗。何も見えない。携帯で明かりを照らすのもNGらしい。ので、本当に何も見えない中を右手で壁に触りながら歩く。で、10cm先も一切何も見えないので、前の人に何度かタッチしてしまった。
そして、Sは「極楽の錠前」を触ったらしいのだが、俺は触れなかった。どこにあったのか分からず。
どうやら、御本尊様との縁を結ぶことは出来なかったようだ…
11時過ぎに近くの蕎麦屋で「さらしな蕎麦」なるものを食す。信州はそばが有名だ。確かにうまかった。
駅までバスで戻り、荷物をピックアップして12:30頃長野発。
長野から松本へ向かう途中で「おばすて」なる駅に何分間か停車したのだが、この駅からの景色が素晴らしかった。今回の小旅行はほとんど曇りか小雨の中の旅行だったが、この日だけ、何時間か晴れ間が見えた。どうやらこの駅から見る景色は日本中の駅の中でも有名らしい。
14:00頃松本着。またも駅ロッカーに荷物を預け、徒歩にて松本城へ。
入り口にて侍を発見する。写真を撮っていただく。帰り際に同じ場所に侍はいなかった。TDLにおけるミッキー的な存在なのだろうか。松本城は天守閣(6階)に登れるのだが、平日なのにとにかく何故か人が多くて、ここもやはりTDLのようだった。階段が非常に急であるため、ミニスカートをはいていたら確実に後ろの人からパンツ丸見えである。
16:30頃、駅に戻ってJRを乗り継ぎ東京へ。松本で駅弁を購入して車内で食す。ボックス型の車両は、気兼ねなく弁当が食えるので良い。松本〜大月〜立川〜溝ノ口と経由して用賀に着いたのは22:00頃。
小腹が空いていたので東秀でラーメンと餃子を食って帰宅。



























久々に旅行をして、中々楽しい気分転換になった。4泊5日。
が、宿泊費はSのマイル。移動費も食費もほぼS持ちの旅行で、さすがにちょっと、そろそろ金稼ぐように動かないとマズイなーと思ったりも…

巻き髪の名古屋嬢は、すでに絶滅危惧種である事。
金沢の人間の顔は、関西人と東北人を足して二で割ったようであること。
長野は思ったより過疎化が進んでいるようで、街中は割と荒んでいること。
松本の一部の女子高生の靴下は白く短くダサいこと。
スマートフォンは、都心以外ではそれほど見かけないこと。

そういった事を、そして、それ以外の事も色々と、学んだ。
が、最も重要なのは、やはり、
松本の一部の女子高生の靴下は白く短くダサいこと。である。
最後の写真も忘れてはならない。
各地には、なんだかよく分からない、雨で腐食の進んだ、裸のブロンズ像が大抵あると思う。
少年は、何故裸で横笛を吹くのか。お風呂上りなのか。小学生の頃から大いに疑問だ。


テレビでは、島田紳助氏が芸能界を引退する。昔何度かその筋の方とメールでやり取りしていたことが所属企業に見つかってケジメをつけるため。という、ビッグニュースなのか何なのかよく分からないニュースをやっている。芸能界に縁がないので、関係のない話だ。島田紳助氏が司会をする番組も一つも見ないので、やはり、関係のない話だ。
そのニュースと同列で前原氏が代表選出馬に意欲を示しているとのニュース。稲森会長という人が小沢氏派閥との仲を取り持っているなど。なぜ、一国のトップを決める代表選の話に、一民間企業のトップが重要なポジションを占めて登場するのか、政治に疎い自分には何がなんだかさっぱりだが、そんな自分にも確かに言えることは、前原氏は、いつでも、お風呂に入った後のような顔をしている。そして、それがなんとなく気に入らない。ということである。政局しかやらないニュースにはうんざりです。



追記:金沢のホテルにチェックインして夕食を食べに出る前に、Sからあった電話を返すと、O社に6年?くらい勤めていたKが会社を辞めて北海道に帰るとの話を聞く。急な連絡だったため、翌日(21日)にやるという送別会に行けなかった事が悔やまれる。Kは恐らくこのブログを見ていないと思うが、お疲れさまでした。

追追記:今年の夏は旭川に帰省する予定はないので、DやOやOに会えないのが非常に残念。東京に遊びに来たり就活で来たりした際には是非とも酒を酌み交わしたい所存。



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