Nov 21, 2006

理系と文系という,現代の幻想



理系と文系なんて概念は,とっくに通用しない世の中だ.

「オレは文系だから,数学とかパソコンはちょっと」
なんて言ってる輩は,全くどーしようもなく認識不足だ.世の中のニュースの大半は技術がらみ.要するに物理も数学もパソコンもわからない人たちは,「今,世の中で何が起こっているのか」を全く理解できないだろう.ニュースを聞き流し,のほほんとわかったふりをするだけだ.

「オレは理系,エンジニアだから経済,歴史,ましてや哲学なんてわからんよ」
なんて言ってる輩もまた,どーしようもなく認識不足だ.自分の技術屋としての仕事の意義,社会的位置付けを全く理解出来ないまま,盲目的に実験データと格闘する虚無的人生だ.

要するに現代人には,「文系」「理系」の垣根を越えて,トータルでものを見る力が必須のスキルなのである.

とまあ,こんな議論はもう4年前くらいから友人達とかわしてきた訳で,もうそんな認識当たり前中の当たり前なのだが,全くもってこんなことをわかっていない学生,教授が大半をしめる,工業大学というのは,その存在自体,社会的ではない気がしている.

「想像力」が足りない.

考えて,考えて,考え抜くことを当たり前にしなければならない.
教養だ.リベラルアーツ抜きにして,若者の知的好奇心は刺激できないだろう.











Nov 13, 2006

カミュ「異邦人」におけるムルソーの人生観について



 本レポートでは,カミュの「異邦人」の主人公であるムルソーの行動や思考過程,またその発言から,彼の持った人生観は何であったかを考えたい.私が異邦人を初めて読んだのは今から4年程前の18歳の頃である.その時持った印象は「難しい」という漠然としたものだったが,同時にムルソーに強い魅力を感じたのも事実であった.しかし彼の何に魅力を感じるのかは正直自分でもよくわからなかった.今回,本レポートの題材を決めるにあたり,もう一度異邦人を読んでみたらまた何か新しい発見があるかもしれないと思った.再読後,ムルソーはなぜ異邦人として周りの人間から見られたのかを考えるに至り,それはきっと彼の人生観が通常の人間には理解しがたいものだったからではないかと直感的に感じた.その直感がどこから来たのかを本レポートでまとめてみようと思う.

 異邦人の読者で,ムルソーの行動や発言に一切の違和感を覚えない人はいないだろう.殺人の理由が「太陽のせい」というのは,通常簡単に納得できるものではない.彼は一貫して通常我々が感じる感情,特に持続的な感情を持っていないかのように描かれている.ママンが死んだことに対して悲しみを感じてはいるが,決してその感情を引きずることはないし,マリイに対しても結婚は容認するがそこに通常存在すべき愛は認めない.しかしながら彼が冷徹な人間かといえばそうとは思えず,犬を失ったサラマノ老人に優しい気遣いを示したりする.ムルソーはただ,その瞬間,ただその時に彼を支配する感情に忠実に,誠実に生きているように思われる.彼の行動は瞬間的には人間的に見えるが,持続的には破綻した精神の持ち主に見える.普通の人間は過去や将来に思いをめぐらし笑ったり泣いたりするものだ.ムルソーにはそれがない.このような彼の感情の持ち方はどこから生まれてくるのだろうか,と考えると,その答えはまさに物語の終盤,死刑宣告を受けた後のムルソーの思考過程に見出せるのではないだろうか.彼は脱走や生き延びるわずかな可能性などに思いを巡らすが,この過程ではっきりとこうした考えを表す.「しかし,人生が生きるに値しない,ということは,誰でもが知っている.結局のところ,三十歳で死のうが,七十歳で死のうが,大した違いはない」彼はこう断じている.そしてクライマックスで司祭に嫌気がさしたムルソーが叫んだ言葉の中にも,彼のこうした人生観は現れている.「これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう,私の未来の底から,まだやって来ない年月を通じて,一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる.その暗い息吹がその道すじにおいて,私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに,私に差し出される全てのものを,等しなみにするのだ.他人の死,母の愛-そんなものが何だろう.」ムルソーはその精神の根本,人生観の基盤に置いて,「生きる」ということに価値も答えも見出していない人間なのだ.そして「死」に対して異常なまでに冷静で客観的である.ムルソーはしかしながら,単純なニヒリストにはなれなかったのだろう.彼には人並みの優しさや人情があったからだ.その矛盾が結果として周りの人間の目からは,紳士的な,インテリの「異邦人」と映ったのではないだろうか.

 ムルソーは非常に物事を誠実に真剣に考えていた人間だと思う.彼は普通我々が「忘れたもの」として生活している「死」や「存在意義」を常に忘れずに精神の中心に据えていたのではないか.そして全ては彼にとって無価値であった.そのような認識があったから母の死や結婚や神に対して無関心たりえたのだろう.彼の心にはそれらが全て大した意味を持たなかったのだ.私が初めて異邦人を読んだときに感じたムルソーの魅力はまさにここにあったのだと気づいた.彼の「人間の存在意義」に挑む誠実な姿勢.その正直な態度に惹かれたのだ.結局「存在意義」や「死」を忘れて生活する人間(私も含めて)が,むしろムルソーにとっては異邦人だったのだと思った.そしてそのムルソーが正しいのか間違っているのかは誰にも結論できない問題である.その結論は結局「人間は何故存在するのか」に対する結論となるからだ.












Nov 12, 2006

THE BRIAN JONESTOWN MASSACRE



映画「DIG!」を見た.

アントンはクソ野郎だが,一番憧れるタイプの人間だ.

昔ほんのちょっぴりでもロックキッズだったやつらは絶対に見ておいた方がいい.













Nov 10, 2006

正しさ



「お前は正しさを求めすぎる」

というようなことを言われたことがあった.その頃は正しくて何が悪いと思ったし,正直こいつは何もわかっちゃいないなんて思っていた.

しかし,最近ちょっとしたことがきっかけで,正しさは一つではないことを実感した.
物事の「本質」や「真実」は一つである場合が多いが,「正しさ」は立場の違いや,状況の違いで変わってくるということを知った.
自分の立場で考えれば正しいことも,他人の立場から考えれば正しくないということを知った.

「私は正しい,しかしあなたも正しい」

そんなときどうするか,という問題である.











Nov 6, 2006

ONとOFFの切り替え



「デキル人」はONとOFFの切り替えが早いという.
なんかその響きだけで「デキル人」にあこがれている私だが,ONとOFFの切り替えが遅い.

3連休は,酒とステーキとカラオケとドーナッツとちゃんこ鍋と岩盤浴と睡眠と愛で過ごしたので,数式に対する脳が中々起きてこない.

今週は制御工学という難解な科目の小テストが火曜にあり,水曜に実験レポ提出というちょっときつい週なのでがんばらんといけないのだが・・・

まだまだ,精進が足りない.
マツコデラックスにばしっと一言言われたい.