Dec 27, 2010

1223 to 1226 備忘録



※基本このブログは超プライベート仕様ですが、今回のは超超超プライベート仕様の内輪話です※
※個人的に私の知り合いでなければ読んでも一つも面白くないことを予め断っておきます※
※普段はあまり載せませんが、今回は肖像権無視で動画を載せます(youtube)※
※ちょっとそれは困るという方は直接携帯にでもお知らせ下さい。消します。多分。※


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2010年も残りわずか。
23から26(今日、26の飲み会のあと、寝れない時間を使ってこれを書いている)4日間は自分でもありえないなと思うくらいプライベートで外に出ていた(といっても内3日は全て夜with酒)。普段はまあ大抵家でゴロゴロして映画観るか本読むか音楽聴くかの超インドア派の奇跡として。備忘録なのであまり面白い事はないです。久しぶりにダラダラ推敲なしで長い文章を書こうと思うので、興味のない方はこの辺で、ね。

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12月23日(木) ロスコ!ロスコ!ロスコ!

ここ数ヶ月、マークロスコを見たくてウズウズしっぱなしだったので、珍しく午前中から動き出して川村記念美術館へ行く。電車で千葉県は佐倉駅まで。駅からは無料送迎バスで。

昼頃に到着し、レストランで昼飯を食らう。パスタセットが1600円だった。元来「お洒落」なレストランや洋服店や美容室は落ち着かないのだが、ここのレストランは良い意味で(ある向きにとっては悪い意味で)お洒落すぎない感じというか、丁度良い2流感があって良かった。普通にパスタも美味しかったし。値段は、まあロンドンに比べたら格安だ。ロンドンの美術館レストランのランチはお腹一杯にならずに3000円くらい取られる。と思って納得する。

腹ごしらえの後、広大な敷地を散策。敷地の殆どは綺麗に手入れが行き届いた庭園で、木々の映り込みが恐らく周到に設計されている池などもあり、落ち着く。というか、この美術館周辺は田舎で高い建物がないため空が広い。それが非常に良い。開放感抜群だった。歩きながら鳥とか猫とか花とかをパシャって美術館に向かう。

美術館の前で少年少女(少年は一名しかいなかったが)の合唱を偶々聞く。歌詞の内容は、世界中の皆が仲良くなりますように、平和になりますように、みたいな感じで、心が洗われるような気が一瞬した後、この中で誰がグレて誰がビッチになって誰が幸せな母親になるんだろうなどと下世話な事を考えてしまった。考えてしまうものは仕方がない。




ようやく美術館に入る。1階と2階を回るギャラリーで、2時間もあれば回れるくらいの規模。印象派には興味がないので、モネの睡蓮だけちょろっと見てすっ飛ばす。54年のピカソがあったが、それもすっ飛ばす。シャガールの「赤い太陽」「ダヴィデ王の夢」はかなりじっくり見た。シャガール良い。好きだ。
前衛、ダダ、シュルレアリスムなども基本すっ飛ばす。マン・レイだけちゃんと見た。

で、いよいよロスコ部屋に到達。もう入口から圧巻で、無言で立ち尽くす。計7作品の絵、というか壁画が部屋を囲んでいる。立って10分。メガネを外して10分。座って20分くらい見る。というよりなんだあれは。見てないけど見てるような感覚になった。部屋全体にロスコのエネルギー的な何かが充満していた。目をつぶってもロスコだった。よく分かんないけどそんな部屋で、もう超素晴らしかった。

ニューマンの「アンナの光」という真っ赤な作品があり、そこもニューマン部屋として採光が設計された部屋に一つの作品のみが展示されているのだが、もうロスコにやられてしまった脳ではニューマンのエネルギーなど全然感じられなかった。とか言ったらニューマン好きやアートに詳しい人に怒られそうだけど、やはりこれも実際にそうだったのだから仕方がない。
「第二次世界大戦後の抽象美術」という展示もあり、ポロックやフランク・ステラもあったのだが、基本こいつらもロスコにやられてしまった脳では響かない。ロスコ部屋を通過しちゃうと他のアブストラクト絵画が何だか多少陳腐に見えてしまうというのは俺だけなんだろうか。比べるものではないんだろうけど。最後はポップアートでウォーホルのモンロー10枚を歩きながらすーっと見て終了。

その後、時間がまだあったのでまたロスコ部屋に行き、30分くらいボーっとしていた。
ギフトショップにてシャガールとロスコのポストカードを10枚購入し、美術館を後にした。

スーパーによってから帰宅し、鍋食ったら、猛烈に睡魔に襲われ珍しく夜に就寝。ロスコ!

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12月24日(金) NB家で鍋

北組の集い@吉祥寺NB家。
相方の仕事終わりを待ち、チキンと小籠包を購入し吉祥寺のNB家へ。
NB、BNP、WHITE、AZM、KB、SATO、俺の計7名でクリスマス会。というか鍋をたらふく食べる会。
ジェンガ、マリオカートWii、大富豪、黒ひげ危機一髪などやりながら鍋、刺身、餃子、チキン、アイスケーキなどをたらふく食し、ビールをたらふく呑む。

ジェンガはグダグダで、マリオカートWiiは得意じゃないBNPが若干スネ、AZMは64ならコース分かるから強いって事を計6回くらいは主張していた。大富豪では大貧民が木馬に上半身裸で正座しなければならない。KBが大富豪になると下々の者は戦々恐々だ。KBはGAYを温存している。やはり背が高くてRoboticsを研究しているようなヤツにしか欲情しないようだ。

黒ひげでNBが一発目で飛ばす奇跡を起こし、罰を与えられていた。クリスマスイヴなど全然関係がない。
しかるべきメンツが集まり、しかるべきノリになるのだ。



思えば北の大地での卒業以来、早6年。未だに東京で集まり、未だに学生ノリを保っている関係性ってのは、普通に思えて貴重なものだと感じる。みんな大きな企業にて中堅として働いている。偉い。リーマンドロップアウトの俺から見れば、みんな立派な大人だなあ。俺働いてねえなあと思いながら呑んでいた。



4時頃お開き。BNPは翌日昼からの業務のため、始発で帰宅。体力の鬼。
布団の陣地争いに無言で敗れた俺は、スイッチをカチカチやって温度調整をしながらこたつで夏目漱石「こころ」を読んでいた。WHITEのケータイアラームが鳴りっぱなしでうるさいことこの上ないので、一旦起きて電源を勝手に切ってやってシメシメと思ったら、電源を切ってもアラームが生きていて、結局WHITEがそれを止めたらしい。
NBは死にそうな声というかノイズというか、何かそういう不穏なサウンドを奏でながら寝ていた。業務に育児にと、疲れがたまっているのだろう。
7時頃にようやく眠くなってきたら、カーテンごしに朝の陽光が顔を直撃し、半寝半起くらいな感じで11時頃に起床。おじやなど食してAZMに送ってもらい帰宅。AZMの話は相変わらず狙ってるとことは別のとこで抜群に面白くて嫉妬。

帰宅後夕方まで就寝。

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12月25日(土) お洒落なパーティ

相方の学生時代から最も親しい先輩(元ルームメイト)の家にてクリスマス会。
起床後、前日の酒を抜くべく銭湯に行き熱い湯に浸かる。さっぱりしてチャリで1時間。途中ビールとワインを購入しつつ到着。

先輩は俺も良く知っており、北海道時代に何度も飲んだことがあるので良いのだが、その旦那さんと、元同僚の女性の方とは初対面だったので、若干緊張しながらお邪魔する。が、その旦那さんと同僚の女性が2人とも超優しい空気の持ち主だったので楽しくお料理を頂けた。

お料理を頂く。という書き方の通り、超綺麗なマンションの超綺麗なお部屋で、前日のNB家でのこたつ鍋とは180度雰囲気が違ったのが面白かった。いわば前日は「茶の間での飲み食い」であり、この日は「リヴィングルームでの軽いパーティ」だった訳だ。そんなお洒落感満載な空気の中、独りジャージパーカの俺はグラタンとかピザとかケーキとかワインとかを下品にかっ食らった。先輩を旧姓で呼んでしまうなどの失態をやらかしつつ。

その先輩夫婦が、絵に描いたような美男美女で、同僚の方も非常に可愛らしい女性だったので、とろーんとした。撮影中に「画になりすぎて困るなあ」などと思いながらとろーんとしていた。



12時頃、チャリで帰宅。とろーんとしながら帰った。

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12月26日(日) 美学校忘年会

珍しく朝起床。JLGの「女と男のいる舗道」を鑑賞してラストに爆笑。JLGのこの時期の映画は分かりやすい。
結局映画鑑賞後二度寝し15時頃起床。友人にもらった阿部和重「アメリカの夜」をだらっと読む。

だらっとしていたら17時開始の忘年会に案の定遅刻。四谷三丁目のマンションに久保田千寿持参で到着したのは1時間遅れの18時。すでに皆集まっていた。
主催のTDCさんの手料理と酒とグラスもろもろのパーティ準備が良すぎてちょっと笑う。

シャンパンにて乾杯(遅刻してすみません…)、各々が好きに飲んで好きに食って好きに話している。こういう空気は非常に好きだ。いつもは学校終わりが23時頃で、終電までの短い間しか飲めないので、今日の忘年会で10名程度集まってゆっくり飲めたのは貴重な機会で良かった。

10月から学校がスタートしまだ3ヶ月。3ヶ月でここまでキャラ立ちがハッキリしているのは良い事だ。
こと映画制作となると、企画準備段階、撮影の現場、撮影後の編集、講評の各段階でメンバー内でのいざこざやぶつかり合いは必定で、今期のメンバーもみながやはりそういった期間を過ごしてきている。表立った対立もあったし、冷戦のような具合にもなっただろう。
にも関わらず、年の瀬にこういう忘年会を楽しく出来るってのは素晴らしいと思う。みんな大人だなあーなどと思って飲んでいた。

しかしそんなとろーんと飲んでいる俺が甘かった。
こんな不景気な時代にドキュメンタリー映画制作なんていう金の匂いが一つもしない場所に集っている面々である。やはり皆一癖も二癖もあるのだ。

まずは、今日はUEDさん(女性)のテンションが普段よりだいぶ高く、楽しい感じになっていて可笑しかった。可笑しかったというと年上だしちょっと怒られるかもしれないが、まあ、なんというか、可笑しかった。煙草の火でカーペットを焦がしちゃって、家主のTDCさんに平謝りしているトコとか、FJI君とLEFT君にハイテンションで絡んでいるとことか、おおーUEDさん今日面白い事になってんなー、可愛い人だなーと思っていた。

KMCYは相変わらず酒飲みの顔で、飲兵衛ってのはこういう顔をしているよななどと思って話していた。来年から一緒にやる事になった企画の話を確かされていたはずだが、飲兵衛だなーみたいな事しか頭に無かったのであんま覚えてない。もしこれ読んでたらごめんな。まあ忘年会って事で、忘れるって事でね。今日はマジな話とか映画の話はあんまする気がなかったのよ。

FJI君は相変わらずFJI君で、優しい。優しい。どこまでも優しい奴だ。金髪のくせに一番優しいんじゃないか。LEFT君は革命革命言っていた。座った目で。来年は革命の年になるらしい。あと、女性陣の目を盗んでこっそりチンコ出してた。そしてMおじさんに怒られてた。Mおじさんの話は、えー、何だっけか。すいません覚えてません。髪を切っていたことにはあえて触れませんでした。TDCさんは、今日は散々だったと思う笑。ほんとご馳走様でした。MNGWさんは飲んでも変わらず安定のMNGWスマイルで安心した。KGYMさんはもうホント、お母さん。最近映画観まくってるようなので、個人的にはもうそれ以上映画観ないで欲しい笑。

さて、問題児が一名いた。23歳、ピアスのOBR君だ。飲みまくって上機嫌で絡んでちょっとウザがられ始めたなーと思ったら途端に(恐らく焼酎がまわって笑)人ん家のソファで吐く。というウルトラC。なんというか、あ、俺もこんな感じで昔吐いてたなー懐かしいなーという感じだった。トイレ行くタイミングを逃して吐いちゃうっていうね。なんか青春感じちゃいました。彼には優しい聖母マリア様みたいな彼女が出来るように祈っておこう。




というまあこんな感じで、最終的には若干カオスになりつつあったくらいで、終電を逃さないようササッと帰宅。
割とみんな残っていたのできっと朝までコースだろう(もしかしたらまだこの時間も飲んでいるのかもしれない)。後ろ髪を引かれながらも、家庭内政治にやはり金銭面で負けている俺は帰宅せざるを得なかった。あの後どうなったのかを聞くのは来年の楽しみに取っておこう。

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だーっと書きなぐった。まれにみる濃い4日間だった。
明日(というか今日)は部屋を綺麗にして年内最後の70KのTAXをPAYして(貯金がそろそろ底を尽きる…)、明後日にはもう北国だ。

今年は早かった。今年の総括は北国にてヒマが出来て且つその気になったら書いてみよう。



















Dec 22, 2010

クリスマス前に新大久保で考えていた事



相方の姉の友達と、相方の母親が「韓流スター」好きらしく、正月の帰省前にそのグッズを買ってきてと頼まれた。

という訳で、去る日曜日、相方に付き添い、新大久保へ行ってきた。

韓流系のショップは非常に興味深い。
客層はおばさんばかりかと思いきや、若い女性もかなり目立つ。中学生くらいの女の子から20代30代の女性まで。共通点は「バブルっぽいメイクとファッション」の方が多いという事。

店内では写真はもちろんのこと、ポストカード、ポスター、カレンダー、文房具、CD、DVD、テレビの録画を焼いてるDVD(いいのか?)などなど、なんの統一性もない品目が所狭しとディスプレイされている。
全ての商品に韓流スターの写真がプリントされている、という唯一の絶対的統一性を持って。

なぜ、今、韓国がこれ程までに「キテいる」のか。という事は、ここ最近結構考えている。
竹島の領土問題が未解決のままのお隣さん(ちなみに、北海道に帰るより韓国に旅行行くほうが近いし安い…)。南北間での緊張で不穏な空気が流れている中、そんなものは全く気にも止めていないように東方神起やらKARAやら少女時代やらが大ブームのこの国。
最近学校が渋谷に移転したため、しょっちゅう渋谷に行くのだが、今日なんて、ギャルの聖地109を見上げたら、タワーにどでかく少女時代のディスプレイが。

どうやら日本のオタク男子たちは「嫌韓」な人が多いように思えるが、少女や女性達は韓国の男性が好きなようだ。この差はなんなのか。
日本男子はマッチョなものに嫌悪感を感じる傾向がここ数年はあり(草食系/メガネ男子みたいなね)、そんな日本男子の軟弱さ(あるいは、繊細さとでも擁護しようか)に物足りなさを感じる女子達が、徴兵制があってデフォルトでマッチョで身近な男子として韓国男子に走っているという構図があるのかもしれない。
しかし、それではKARAや少女時代が大好きな「女子達」の説明がつかない。なぜ、マルキューのディスプレイは少女時代であり、perfumeではないのか。単純に足が長いから、なのか?

俺自身としてはアメリカ時代の飲み友達&ルームメイトが韓国人だった事もあり、歴史的な問題はもう俺らの世代にはよく分かんないけど、これからはアジアで仲良くしていかないとダメだよねーという共通認識を持っていたというのがある。それ以外はバカな日本語を教え、バカな韓国語を教わり、一緒にメジャーリーグを見に行ったり花火を見にいったり、クラブに行ったり、ビールを飲んだり、ビールを飲んだり、ビールを飲んだりしていたので、全く韓国と言う国にも韓国人にも偏見はないのだが。
かといってKARAのダンスっていいよね、というくらいで(それは話題提供の小ネタ程度のレベルで)特別に「今、韓国」な感じはないのだ。

どのような情報環境で「嫌韓」になり、どのような情報環境で「ラブ韓琉」になるのかがよく分からない。
しかしながら、韓流ショップに渦巻くエネルギーには、やはり社会構造と時代背景を直接に反映している何かがあるように思えて仕方が無かった。

戦争か!?アイドルか!?
最も近いお隣の国に対して、そんな両極端(それはある意味では滑稽な)認識の住み分けがなされているこの国の感性は、明日は、どっちだ!!

結論は出ない。
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D5000の夜撮影テスト。一眼レフでの動画の質感はDVのそれより良いと思う。
問題は音だ。D5000にはマイクが付かない。内臓マイクではどうしても操作音が入ってしまう。
が、やっぱ質感はこっちのが良いと今は思う。フルスクリーン720pで観てみて欲しい。



結構賑わっている。豚を食わせる店が多い。

スーパーの隣ではで何やら韓国のおやつみたいなのも売っている。

韓流ショップ店内(他の店は込みすぎで撮れなかった…)

葉。

東方神起。真ん中の人だけなんかドラマで見たことある。

枝。

少女時代。左の人は可愛いと思う。

フレームによっちゃあホント何処だか分からない。月と木の先。

サンタ・ペ。

























Nov 4, 2010

日暮里と猫



こないだ購入したNikon D5000を持って日暮里へ。初の屋外使用。
一応、学校の課題で作成するインタビュー作品の撮影が今週末にあるため、インサートショットに使えそうな風景などを下調べする目的で。パシャパシャ、とりあえず全オートで撮影。
谷中側から歩いて、繊維街などまで2時間程度で撮る。

谷中墓地にて徳川慶喜の墓を見物し、「大政奉還か・・・歴史を感じるな」などと嘯く。
昔ながらのお菓子屋(?)でどら焼きなどを食しつつ。
相方は団子やらどら焼きやらケーキやらを物欲しそうに見つめていて、マックでポテトを買い食いしたりしていた。何たる大食漢であろうか。歩きながらマックポテトを食うカップル。アメリカン。道産子にはアメリカンの血が流れていると思う(いい意味で)。大抵の事は、(いい意味で)と言えば許されると思う(いい意味で)。

谷中は猫の町らしい。とにかく猫が多い。そして人間に慣れている。そして大抵、眠そうだ。
猫のいる町はホッコリしている。日暮里も谷中も、人間味のある町で、歴史が感じられる町で、全体的にホッコリしているのでかなり好きになった。

Flickrとやらにも登録してみた。良かったら見てって下さい。
http://www.flickr.com/photos/aaaiaua/show/

















































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OMAKE(自宅から徒歩1分の歩道橋より)

















Oct 23, 2010

デジタル一眼レフ



Nikon D5000を、手にとって即決で買ってしまった。
お金ないけど。お金はなければないほど、あっさり使えるようになります。

色々と、撮りたいぜ。これで、ちゃんと光学勉強するぜ。

試し撮りの一枚。背景がきちんとボケてくれる事に、当たり前ながら感動。

















Sep 22, 2010

近況報告



退社以降、断片的にしか近況を書いてこなかったので、おおまかに。

5月末、退社。
6月、東京へ引越し。もろもろの税金手続きや健康保険やら失業手当やらの手続きをダラダラと済ます。
7月、映画関連の本を読む。映画を観る。など勉強で過ごす。
8月、行こうと思っていた学校に一応合格する。映画の勉強など。家庭料理は大体出来るようになる。
9月、3ヶ月の待機期間を経て、ようやくこれから失業保険が入ってくるみたい。

10月から学校が始まる。といっても、平日2日、夜の通学と、月2回ほど土曜の授業があるだけの学校なので、昼間に働く事は可能。ちょうどこれから失業保険が入ってくる期間なので、仕事をゲトらなくても当面は困らないのだが、とりあえずパイの非常に少ない映像制作関連の求人には目を光らせている。

こんなところ。相変わらずの昼夜逆転生活は継続中。ボチボチ、太陽が出ている時間帯からの活動をしなきゃなあと思いつつも、昼過ぎに起床し、掃除洗濯をしてから今晩のメニューを考えたりする日々。非常に、油断しきった人生を送っております。こないだは油断しきって、飲み屋にリュックサックを忘れてきたくらいのね。

同棲生活は、まあ、特にケンカもなく平和な感じ(というか、元々ケンカにならない関係性な訳だが…)。

引越してからそろそろ4ヶ月位で、ようやく東京の空気にも慣れ、渋谷の喧騒がそれほど気にならない程度にはなった所。それほど、なので、やはりまだまだ闊歩するまではいかない感じですが。

なんとういか、まあ、油断しきった贅沢な時間を過ごしてます。この4ヶ月くらいは。
来月から学校に行き始めるので、ちょっと色々と、思考の強度は上がっていきそうな感じだけど。
まあ、楽しみますよ。いつ死ぬか、分かんないからね。人生は。







イクラの醤油漬けにハマっている。生筋子から作るヤツ。真ん中は渋谷山頭火。塩チャーシュー。















Aug 30, 2010

ゼロから始める都市型狩猟採集生活-坂口恭平




久しぶりにガツンと来たので紹介。「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」
坂口恭平の存在を知ったのは、多分2ヶ月か3ヶ月前のDOMMUNEだった。そこでの話が爆発的に面白かったので、あーこんな人が出てきてんだなー。くらいに頭に引っかかっていた。
で、今日、噂の「脳と心」(茂木健一郎と斎藤環の往復書簡)を買いに書店に出向いたら、それが無くてガッカリしてた虚ろな目にこの本が飛び込んできた。購入し、帰宅し、夜飯を挟んで一気に読了してしまった。まあ文体がメチャ平易だし、文字数も多くないのですぐ読める。
個人的には、このブログを読んでる奴ら全てに「今すぐ買え!この本はきっとバイブル扱いされるようになるぜ!」と言いたい。そのくらい、時代性を考えるには読んでおくべき一冊だと思う。¥1200。外食一回我慢して。これだね。
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【坂口恭平(さかぐち・きょうへい)】
1978年熊本生まれ。建築家/作家。
早稲田大学理工学部建築学科卒業後、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集「0円ハウス」(リトル・モア)を刊行。2006年カナダ、バンクーバー美術館にて初の個展、2007年にはケニアのナイロビで世界会議フォーラムに参加。2008年、隅田川に住む路上生活の達人・鈴木さんの生活を記録した「TOKYO 0円ハウス 0円生活」(大和書房)を刊行し、翌2009年には自身も実際に多摩川生活を経験する。
他の著作に「隅田川のエジソン」(青山出版社)、「TOKYO一坪遺産」(春秋社)などがある。

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俗に言う「ホームレス」の小屋と生活に焦点を当て、実践的な取材によって、現代資本主義社会の落伍者/負の側面として語られがちな彼らの生き方を別の視点で捉え直す事に成功している。

冒頭の文章と目次だけで、もう面白いのでまずは以下に紹介する。
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きみは何も持たず、着の身着のままで街に降り立った。家は?仕事は?生活は?いったいどうする?しかし、何も持たない人間でも生きていく方法がある。太古の人間が海の幸、山の幸を享受して暮らしたように、ぼくらの周りにも、<都市の幸>が溢れているからだ。きみに都市型狩猟採集民として生きる方法を伝授しよう。

1 衣服と食事を確保する
2 寝床を確保し、パーティを組む
3 生業を手にする
4 巣づくり-準備編
5 巣づくり-実践編
6 都市を違った目で見る

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ダンボールハウスが如何に合理的な建築となっているかを説明したり、現代社会では(少なくとも都市では)金が一切なくとも食に困る可能性は無いという事を具体的例示によって明確にしたり。
「ゴミ漁り」や「廃棄食料をもらう」行為を、積極的に捉え直す筆者の視点は非常に納得性が高く、有効だ。
それらを<都市の幸>と呼ぶセンスには舌を巻くものがある。






~コーヒーorシガレッツbreak~
この本を読みながら、シカゴ時代にホームレスにランチをサーヴするボランティアをやってた頃の経験とかを思い出した。彼らの中には非常に知的な人が何人かいて、ホワイトな裕福層のおばあちゃん達に何故か混じってる変な東洋人の若造に興味を示し、色々と日本やら東洋思想やら(主にZENについて)を質問して来た。ホームレスのおっさん達は皆大抵紳士的で、その瞳にイエロージャップを差別する気配は微塵も感じられなかった。当時、徒歩10分のオークパーク図書館でよくヒマを潰していたのだが、顔見知りのホームレスのおっさんとも良くそこで会った。楳図かずおのマンガの英語版をよく読んでいた俺に対し、彼らは思想やら哲学コーナーから難しげな本を引っ張ってきて読んでいた事が印象に強く残っている。







都市型狩猟採集民達は、<都市の幸>の恩恵をフルに活かして衣食住を確保し、更には「生業」(最もメインとなるのは空き缶集めや貴金属集め)を自らの手で起こし、発展させる。そこには常に自らの頭で考える「創意工夫」がある。
都市型狩猟採集民達は、ついにはインフラまでを自分で得る事になるのだ。水は雨水を有効活用し、電気はソーラーパネルや発電機で「必要な分だけ」を使用する。エアコンまでを所有している人がいる事には驚いた。

半ば、本気で、文部科学省は全国の小中学生に、彼ら都市型狩猟採集民の生活と知恵に触れる機会を与える必要があるんじゃないかと思ってしまう。「生きる力」を最もこの国で持つのは、絶対に彼らだろう。
予期しない天災に見舞われた時、ガチガチのシステムと構造物に囲まれた生活をしている我々軟弱な現代人は、安易に絶望し、生きる術を失ったと嘆くだろう。彼らは恐らく、流れるような軽い身振りで、淡々と「壊れるもの」というコンセプトに貫かれて建築されたダンボールハウスを拵えるのだ。

この本は、価値転覆へのアジテーションでもあり、「不安な存在」としての現代人への一種の強力な励ましともなっている。その励ましとしての本書は、素直に言って非常に感動的だ。

この本は、「人間、どんな状態になっても、ぜったい生きていけるよ」
というメッセージを、実践を通して証明している都市型狩猟採集民達の知恵の結晶を伝えてくれている。

「おわりに」から最後の文章を引用しよう。
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<都市の幸>で暮らそう。
 環境やシステムは何一つ変化させなくてよい。必要なのは、きみ自身の思考の解像度を上げ、無数の視点を獲得し、創造的に生きる方法を見つけることだ。
 そのとき、きみは、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、きみ自身にしかできない生活を獲得するだろう。
















2010/8/27(Fri.)
ハンバーグと付け合せ。ポタージュ。白飯。

2010/8/28(Sat.)
冷麦に納豆とかトマトとかナスとかシソとかを味付けしぶっかけたヤツ。ポタージュ。

2010/8/29(Sun.)
野菜と鶏肉を素揚げして甘酢をかけたヤツ。キノコのすまし汁。ほうれん草ゴマ和え。玄米。



























Aug 20, 2010

雑文 忘れること、学ぶこと、生き方の問題



普天間基地移設問題は今どうなっているのだろう?
鳩山元総理は何故辞めなければいけなかったの?
リーマンショックってのは結局何故起こったのだろう?

もう少し遡ろう。

あのイラク戦争は結局何故起こったのだろう?
911の根本原因は何だろう?

もっと遡ろう。
地下鉄サリン事件の発生メカニズムは解明されているの?
第二次世界大戦下には何故あんなに抑圧された社会が生まれたのだろう?
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「新聞を読んで、ニュースを見なさい。」
これは誰もが学校の先生や、家庭で言われてきた言葉だ。
勿論、今自分の生きている社会や世界で一体何が起きているのかを知ることは重要だ。

新聞もテレビのニュースも、「新=NEW」であり、即時性の高さに特化したメディアだ。
毎日、目まぐるしく変化する経済情勢、社会情勢、政治。それを追っていく中で我々は疲弊する。

どんなに意識的に社会に興味を持って生活している人でも、新聞やニュースのペースに合わせてしまうと、
ある重要な事件や出来事が起こったとしても、それらはすぐさま忘却の彼方へと放り込まれる。
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ある事件が起きる。新聞記者、テレビの報道記者は、すぐさま調査する。どちらも一日勝負だ。
調査し、情報収集し、まとめ、選択し、そこに識者のコメントなどの意味付けを振りかけて世に送り出す。
次の日、また別の事件が起きる。その次の日も、また次の日も。どんどん情報を量産する。

例えば、誰かが誰かを何らかの動機を持って殺したとする。
加害者、被害者は勿論の事、加害者家族、被害者家族、また直接的な関係者の人生を一変する出来事だ。
そこには奪われた命があり、奪われた生活がある。

我々は無意識の内に「怖い」と思う。そして、残酷にもバラエティを見てメシを食って寝るのだ。
(何だっていい。音楽を聴いて、小説を読んで、映画を観て、運動をして、風呂に入って、もしくは何もしないで)

「さあ、今日も仕事だ」
我々は忘れる生き物だ。
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必死に自分の生活を、自分の家族の生活を、守っていくためには、いちいち殺人事件に立ち止まってはいられない。
その実感は誰もが切実に理解出来る。

だがしかし、我々は忘れる生きものだが、我々は学ぶことの出来る生きものだと信じたい。
「どうせ何も変わらない。全ては繰り返される。」という諦念を示すには、私はまだ早過ぎる歳なのだ。

遅いメディアがどうしても必要だと思うのだ。何かを静かにじっと見つめ続ける目。
世の中にはそういう目も絶対に必要だと思うのだ。
そんな目がないと、我々はいつまでも忘れ続け、いつまでも学ぶことが出来ず、いつまでも同じ過ちを繰り返す。

いや、正直な話、「人間なんてどうせそんなものだ」という想いはあるのだ。
「世の中は変えられないし、悪はいつまでも蔓延るし、不条理はすぐ隣にあるし、悲劇は繰り返される」
いや、正直な話、「どうせ、そうかもしれない」という気持ちにはなるのだ。

「人間なんて」と葛藤や矛盾を抱えながら、「でも。」と言うか言わないか。
これは「実存」としての生き方の問題だ。

そう、これは生き方の問題なのだ。
どんなに「生きづらい」と言われる社会であろうが「経済が厳しい」と言われる社会であろうが、
この社会にはどんな時代でも一定数、この「でも。」と言わなきゃ生きられない人間がいるのだと思う。

「世界はもっと豊かだし、人間はもっと優しい(森達也)」ハズだろ?














Aug 10, 2010

佐々木敦「ニッポンの思想」、読後のアウトプットあるいは10年代が要請する物語について




久しぶりの新書。良書。

80年代からのニッポン(≠日本)の思想が、主に音楽と映画を主戦場とする批評家の著者が、「一読者」としての理解を分かりやすくまとめた本。

80年代。浅田彰「構造と力」から全てが始まり、中沢新一と共に「ニューアカ」と呼ばれ、思想がファッションになり蓮實重彦と柄谷行人もその波に乗り一時代を築く。
90年代に福田和也・大塚英志、宮台真司が出てきて、ファッションや理念的になった思想をリアルでシラけた日常に引き戻す。
で、ゼロ年代の寵児、東浩紀が思想界で一人勝ちしている状況まで(2009年まで)を、「超ざっくり」書いてある。

超ざっくりと言っても、俺のような門外漢にとっては、非常にためになった。
何より、思想の内容には簡単に触れるに留まり、80年代や90年代、ゼロ年代の時代感と各論客間の関係性が重要視されて書かれており、門外漢の為のまとめ本になっている。

いかにも「新書」的読みやすさ。正しい「新書」だった。



2010/8/7 麻婆豆腐、豚汁、サラダ(トマトドレッシング)、白飯


2010/8/8 アジの干物焼、春雨サラダ、もやしと納豆炒め、玉ねぎとえのきの味噌汁、わかめご飯


2010/8/9 春巻き、卵スープ、シシトウのベーコン巻、ちくわきゅうり、トマト、春雨サラダ、白飯



追記:「読後のアウトプットあるいは10年代が要請する物語について」

これまでの「物語」:主人公の全能感→何かのきっかけによる挫折(精神の死)→理解者による立ち直り(復活)
これからの「物語」:挫折を味わうまでもなく主人公は精神的に死んでいる→共同体による承認による復活

これからの「物語」に要請されているリアリティとは、これまでに予め担保されていた第一幕での全能感が初めから喪失している場所から始まる事にある。つまりは主人公は物語冒頭で死んでいる。しかしながら、その死は戦後高度経済成長期からバブルまでに青春期を過ごした事のある世代が守ってきた「古き良き時代」の価値観という仮想的/無効な内部での死である。
主人公は実はその仮想的内部がゼロ年代を経由し10年代には崩れかけていることに徐々に気がつく必要がある。そしてそれを気付かせる事が出来るのは政治でも経済でも思想でもなく、共同体として、もしくは実生活の中での近しい「他者」である。それは必ずしも血縁関係や地縁関係である必要はない。そこに気付いた主人公が価値観を転換することで新しい生として「復活」する。もしくは、復活の兆しが見える場所まで到達する。
対比的に、旧来の価値観を更に発展させていく「同世代」も居るはずである(つまりは新自由主義を謳歌するようなタイプ)。こちらのタイプの破滅を描く必要は全くなく、両者ともに上手く棲み分ける「物語」が必要。

以上、備忘として。



追追記。顔で見る「ニッポンの思想」