Nov 29, 2008

2008年冬 閉塞しきった時代 20代前半 魂の叫び with alcohol



うーん.ここ数ヶ月.ヒジョーに生きにくい世の中になってしまった,且つ生きにくい年齢にもなってしまった.世の中が少しばかりわかり初めたら,ミライはホントに暗いんじゃ?と思い始める年齢に.

「だよねー.」「ですよねー.」と,同世代年上の社会人学生の皆様方と話す.話す.語る.

人はたくさん殺されるし.経済はひどいもんだし.Aho Taroなんて教養のかけらもないし.
それでも権力者は,弱者を殺し強者は生き残れ.などど非人道的で悲しいことを公に語る.

厳しい.そして厳しい.
としか語らないメディア.学者.ジャーナリスト.アナリスト.


アカルイミライはあるんですかねー同世代の皆々様方.
アカルイミライなんて映画撮ったこと自体恥ずかしくなってませんか黒沢さん.

我々の世代は,生まれ来る子供らに「生まれて良かった」と,心の底から想わせることができるのだろうか.


なーんの疑問も持たずに,
「発展だ!成長だ!開発だ!猪突猛進!一所懸命!」
などと嘯き,実行するのが正義だった熱き良き時代を生きてきた世代は,今や教授やら部長やらの世代で.
年金もバッチリもらえて,終身雇用なんて安定したミライが描ける時代を生きてきた世代だ.
「がんばれば報われる」という神話がまだ真実味を持っていたGood Old Days.


そんな世代が残した負の遺産の一つが,既にビッグビジネスになっちゃってる環境問題で.
それはもう必死で発展して成長してきて,問題が複雑になりすぎちゃって,難しくなりすぎちゃって.

こんなFATもFATに肥大化したハードプロブレム達を解決できるような,創造力且つ実践力豊かな若者を望む!!!なんて.

ちょっと,ちょっとちょっと!て言いたくなる気もわかるな.双子ではないけども.



アカルイミライへの保証なんて,これっぽっちもない時代を,今を.そう,「今を」謳歌し生きている我ら若者に.

何が善で何が悪かも決定的に語れないような,そんな分かりやすい「正義」がなくなってしまった,そんな「今を」生きている我ら若者に.

「やる気が感じられない」とか.「覇気がない」とか.「夢をもて」とか.果ては「努力すれば報われる」なんて戯言を.

軽々しく言えるそのあなた方の精神の怠惰はなんなのだろうか!!!

老いは全てを赦すものなのか!!




でもしかし.時代のせいにするのは正しいのか.我々も時代という怪物の下に生きている.



その時代,その時代,ウソもつかず.悪いこともせず.誠実に.実に誠実に.
切実に,家族を守るため,生き抜いて来た人達もいることは確かで.

「愛と優しさと思いやり.そして考え続けることが全て」
と結論づけることが出来る24歳になれたことを両親に感謝しつつ・・・



そんな人のために.この愛すべきアーティストの歌がある.







ビール.ビール.熱燗熱燗熱燗...魂の叫び.



世の中は欺瞞だらけで,くそったれで,信じられるものは愛・優しさ・思いやりでしかない.
30代.40代.50代の俺が欺瞞に満ちた存在で.弱者を黙殺する存在に成り果てているなら.
いつ死んだって文句は言えないだろう.


笑えばいい.ヘラヘラしてバカにすればいい.本当の絶望を知らない偽者は.
グレーゾーンに,真実など無いのでは?

音楽も,思想史も,学問も,絵画も,全てただの甘美な虚偽ではないのですか?

今,不合理に死んでいる人間.一つの人間の命がある.

その事実の前に,自我は何と反論できるのだろうか.


24歳企業の犬.深夜の真実.
胡散臭くてもなんでも良しとする.これが「今」の真実.











Nov 28, 2008

観た 観た 読んだ 聴いた



��.Chapter27 - 1980年12月8日の話.


2.One Flew Over The Cuckoo's Nest - 尊厳と自由の話.


3.バガボンド29巻 - 沢庵哲学爆発.


4.Merkmal, Salyu - 現代日本が誇るべきシンガー.












Nov 20, 2008

備忘録



本日,突発的飲み@ミノジ,21:00~24:00
久しぶりに下ネタに頼らない飲み会だったので記録しておく.こういう同世代での“真面目”な会話の機会は忙しくなればなるほど貴重なので.



参加者:俺,MM,YK.

議題:
「日本は侵略国家であったか」という論文について,マスメディアの報道姿勢,名古屋寒い.

ブレイクタイム~紅葉どこ行ったらいいの?~

自動車業界の今と将来(プリウス開発の内緒話,オフレコ),企業間の階層システムと搾取.

マスメディアと企業-資本主義に報道は組み込まれている
報道-信頼できる情報ソースは何か
想像力の欠如と国民8割バカ化.国家も人間が作った概念でしかない.個人レベルで判断することの重要性.

補足:日本の「報道番組(ニュース)」は信用できない.新聞も危うい.NHKがテレビだと一番健全?今現在一番信用できる情報ソースはネットおよび国外の報道番組

再び資本主義
資本主義と社会主義の争い-3億もったらどうする?,“努力”の評価は不可能か?,人は生まれつき能力面で公平ではない,最大多数の最大幸福

補足:
資本主義という思想は,最大多数の最大幸福→民主主義という基盤から成立したという歴史的背景があると認識しているが,最大多数の最大幸福を提唱したジェレミ・ベンサムは「多数者の利益のために少数者を犠牲にする」ことを支持する概念として最大多数の最大幸福を提唱したわけではない.むしろベンサムの考え方はマルクスに通じていて,この人は「独りの思想者」として性善説に立っていたと思われる.

スペシャリストとジェネラリスト
「夢を持て」という思想.何かを成し遂げた人達は「あることに関しては負けないという核を持つ」.スペシャリストは世の中で「つぶしがきく」.
教養人志向.

補足:
教養人にスペシャリストはいないのでは?
スペシャリスト志向もジェネラリスト志向も我々の世代には欠かせない.組織論で言うと,組織の縦串を構成するためにスペシャリストは不可欠.そこに横串をさすことはジェネラリストにしか出来ないのではないか?


閉店ガラガラ,お開き.帰宅.











Nov 18, 2008

大麻汚染への有効な解答



太ったロシア人が組織から追放され職を失った.
最近の名門大学生はこんなにバカになった.
ああ,恐ろしき大麻,マリファナ.
「大麻汚染」でのメディアの大げさな騒ぎ方に違和感.
ダメ,ゼッタイってのはもう国内で宗教レベルだ.

「大麻は麻薬じゃない」
「タバコと酒の方が依存性も害もある」
「他の薬物への入り口となるからって理論は裏返せば大麻だけなら大丈夫ってこと?」
などの議論はネット上で多数.

(参考)
http://www.j-cast.com/2008/11/17030485.html

大学管理側が頭を下げるとか,個人的にはちょっと狂ってるとしか思えない.馬鹿げてる.
大学がそこまで管理できちゃったらそっちの方が怖いし問題だろ.

「大麻=完全悪,完全悪に手を染める名門大学生,大麻汚染はこれだけ広がっている,ああ困ったものですね.大学が悪い,親が悪い,簡単に手に入るのがいけない etc…」
テレビは「真実」を検証しないで終始ふにゃふにゃな根拠の因果関係をでっち上げ「恐怖感」を餌に視聴率を取ることにしか興味が無いように見える.これにまず再失望.


俺は大麻は危険じゃないから合法化しろ!みたいな人にもちょっと賛成できない.
大麻を合法化せよ!なんて活動が,ダメゼッタイ教が根付いた日本で今後,実効力を持てないことは明白でしょ.



じゃあ子供に,「何でマリファナ吸っちゃだめなの?」って聞かれたらなんて答えるか.

「捕まるから.捕まったらみんな困っちゃうから.」

健康主義じゃない限り,これ以外の答えなんてないように思う.











Nov 16, 2008

wanna be a connection



観たいなーと思ってた時期が過ぎ去り,忘れ去っていたが昨日発見して観た.

好きな質の映像世界だった.俳優もいいし.
映画評論家の中では評価低い作品らしいけど,そんな評価気にならんくらい気に入った.

こないだガスヴァンサントのパラノイドパークという映画を見て,期待通り好きな質の映像だと思って,調べてみたら,撮影監督はどちらもクリストファードイルだった.

この人は,「孔雀(Away with words)」という映画を16,7歳くらいの時に見て初めてしった撮影監督で,この「孔雀」という映画の音楽は,こないだ新宿Pit Innで聴いた板橋文夫がやっていたらしい.

とこんな風に,自分の接している芸術作品に関わってる人達ってのは,意外とどっかで繋がってたりして面白い.
音楽でもこれいいなーと思うのが同じレーベルだったり,プロデューサーがかぶってたりすることが多い.

もっと言うと,身近で関わる人間でもパッと,直感的に,こいつとは感性あうなーと感じる人ってのは掘り下げると影響されてる人らが似ていたりする.で,話してる中で影響及ぼしあったりする.それが面白い.

逆にこいつとは感性合わないなーって人も多くて,こういう人達とはつまらないからなるべく関わらないとか,離れるとかいう方向になりがちだけど,自分には無い感性を持ってる人間と積極的に関わろうって姿勢が,結局平和志向な生き方だと思う.

「これ全然わかんねーな」というのと,「これ全然面白くねーな」というのは全くの別物で,案外この辺を短絡的に一緒のように捉えてる人が多い気がするけど,「これ全然わかんねーな」というのは,「これは自分にとって新しい」ってことで,実は自分の枠を広げる可能性が最も高いという意味だったりする.


で,こういう考え方は,俺が今年の春から考え続けてきた,コラボレーション環境での創造性支援手法の根本に繋がっている.
「他人との違いに気づくこと」が効果的なコラボレーションには最も重要だという認識が共有できない人ってのは,協同作業を成功させるのに最重要なことは,「他人へのリスペクト」だという点においても同意できない気がする.


異質なものを排除するのか,異質なものを理解しようとするのか.
前者の方が楽で気持ちが良い.でも後者の姿勢がなければ成長なんてない.

前者を続けると井の中の蛙になって,後者を続けると器のでかい人間になれる.んじゃないだろうか.

俺は器のでかい人間になりたい.理解できないものがあったら,まず何故かを考えたい.
意味ある「否定」は,理解する努力をし続けた後にしかできない.

すぐ否定するってのはそれだけ否定する側の器がちいせえということだ.











Nov 15, 2008

備忘録 シリアスにSympathyを感じる人達 24歳



●思想
キェルケゴール
カント
藤村操

●映画
ミロス・フォアマン
ラース・フォン・トリアー
ガス・ヴァン・サント
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
ヴィンセント・ギャロ
北野武

●マンガ
つげ義春
狩撫麻礼
古谷実

●音楽
ボブ・ディラン
レディオヘッド
ジョンケージ
ミスターチルドレン
坂本龍一
井上陽水
斉藤和義

●サイエンス
ワトソンとクリック
ポールディラック
アラン・チューリング











Nov 13, 2008

徹夜明けで推敲なしで書く文章事例



ここ1年の生活は,卒研生として「考える」ことをやって,家に帰ってきたら趣味として「考える」ことをやって,特別なイベントが無い限りは,常に「考える」ことしかやっていない.

「人間は考える葦である」なんてパスカルさんが言ったらしいし,
「cogito, ergo sum」なんてデカルトさんが言ったらしいから,

「思考」というのは,いかにも人間という動物にユニークな行為で,ここ1年は非常に,そういう意味では「人間らしい」生活を送っています.満足安心愉快愉快.

など嘯くのはプライベート生活がさほど充実していない私のような人間が,惨めな思いから卑屈にならないように自己肯定するための理論武装であって,本当は,

「パンがなければ,お菓子を食べればいいじゃない」とか言っちゃったらしいマリーちゃんとか,
「夢はあきらめなければ100%叶う」なんて自己啓発本さん達が言ってるとか,
「フォアグラって初めて食ったけど,超うめぇ」と私が土曜に言ったこととか,

そんな,楽観/快楽主義に身をゆだねたくなる時もありますね.


とかまた色々考えてしまうのが,結局私のような人より考え続けられることにしか自信がない人間の性です.困ったものです.
そんな私のような性をオレもあたしも,多少は持ってるなーなんて人におススメの今思いついたリラクシング法は,

NHK「いってみようやってみよう」という昔の番組のポッケの歌を,
「ポッケ,ポッケ,パピプペポーオッケ,おやーつ好っき,お昼ね好っき,~はー? もっと,好き」
と,温い湯につかりながら,時に子供っぽくかわいらしく,時に北野映画の寺島進的に渋く,時にイギーポップ先生的なパンクに,時に最後のニュースでの陽水的に歌い続けると,大抵の悩みはバカらしくなって,自分もバカになって,気持ちよく眠りにつくことが出来るのではないでしょうか?


多分できねえな.すいませんでした.











Nov 3, 2008

「社会的役割」についての「優しい」考察



1.はじめに

 私の生活において,周りにいる友達は,主に学部3年生から修士2年生の大学生と,高専を卒業して就職した4年目の社会人である.前者については,自分が「何者」として社会の中での「役割」を担っていくのかという決断を下す時期の学生であり,後者については自分が社会の中で「何者」としての「役割」を担うのかが確定しつつあり,その現状のままで自己を確立していくか,現状から脱却して(レベルは様々だが,転職,異動など)新たな「役割」を探し始めるような時期の社会人であると思う.
 みんなそれぞれ,色々悩みつつ生活している.そんな友達とのやり取りの中生活をしていて,「社会的役割」って何かを,今,きちんと再考する必要があると思った.思ったから,書こう.読者の皆さんにとって,読んで「優しい気持ちになれる考察」になれば幸いである.

2.関数として考える「社会的役割」

 社会における個人の「役割」とはなんだろうか.これを“ちゃんと”考えるには「社会」の定義をしなければならないが,とりあえずは曖昧なまま,まずは,機能・関数として「役割」を考えてみよう.「社会」における「自分関数」の入出力を考えればわかりやすい

私の今の肩書きは「社会人学生」というもので,社会からの入力はと考えると,「会社の金(給与・居住費・学費)」で,出力は「学習成果」である.こう考えると出力の「学習成果」ってなんだろう?との疑問が生まれる.もし出力先が「会社」であれば,私は現時点で一切の出力がない関数である.「学習成果」の出力先は私の脳であるからだ.これじゃー今の私には社会における役割がない・・・あぁ全ては無価値,ニヒリズム,空観,堕落,自殺・・・となるのはあまりに短絡的なのでやめておこう.私の経験上,「ニヒリズムは大体1ヶ月で飽きる」.
 実は上記のように,「金」ベースで考える社会的役割ってのは,一見正しいように見えて実はウソである.とかく株価がどうだとか世界恐慌が来るだとか世知辛い世の中にいると,「金」ベースで社会的役割を捉えがちであるが,これは非常にバカな考えだと宣言しよう.「金」は社会を構成する一要素にすぎないと認めることから「優しい考察」が始まるのである

3.社会とは何か

 社会とは何かなんて,考えても難しすぎてよくわからない.そこで,とりあえずこれを,「自分関数と関係するもの全て」と捉えてみよう.社会を構成する要素には,国家,会社,学校,家族,友人,恋人,上司,同僚,部下,見たテレビ,映画,読んだ本,聴いた音楽,食べたごはん,挨拶した掃除のおばちゃん,コンビニ店員など,とにかく「自分関数と関係するもの全て」を含むことにする.

社会をここまで広げて考えると,自分関数の入出力がもう少しわかりやすくなってくる.
自分関数の入力とはつまり,「自分に影響を与えるもの全て」であり,出力は「自分が影響を与えるもの全て」である

4.「金」ベースで考える「社会的役割」の危険性

 だいぶ考えやすくなってきた「社会的役割」.ここで,「金」ベースで考える「社会的役割」の危険性について述べておきたい.「社会」の一要素に過ぎない「金」だけを入出力として自分関数を考えるとどうなるか,ということである.現代はほとんどの国家が資本主義社会であるため,「自分関数」の効率として「金」を重視して考える風潮があるが,これは非常に危険かつバカな考えだ.

 まず「会社員」を金ベースで考えよう.会社員って何?を中学生に説明するなら,会社の利益に貢献するための労働力を提供し,その対価として給与を得て生活する人達となる.これを自分関数として捉えると,入力が給与,出力が会社の利益に対する貢献である.この会社員関数の「効率(=出力/入力)」が会社側から見た会社員価値として定義できる.

つまりは,会社側から見ると「できるだけ少ない給与で会社へできるだけ貢献する」が会社員関数の目的である.デキる新人が歓迎されたり,製造業企業がBRICsへ工場を作るのは会社員関数の効率が高いからであり,給料ドロボーが疎外されるのは,関数としての効率が比較的低いからである.非常に単純化しているが,これが金ベースで考えた会社員関数の本質といえる.会社側(経営側)から見れば,会社員価値は高ければ高いほどありがたく,会社員側から見れば,会社員価値が高ければ高いほど不満が生じる.

 次に「学生」を金ベースで考えてみよう.学生関数の入力は「親からの金&奨学金」であり,その出力は実は無しとなる(バイトやTAは単純化のため除外).金ベースで考えるとこうなる.よって「学生価値=0」である.学生関数は実は特殊な関数であり,「現在価値」は0であるが,「将来的価値」のための投資という観点でのみ価値を持つ.「将来的価値」というボンヤリして定かでない出力が「学生価値がある」ことの根拠である.だいぶ危なくなってきた.金ベースで考えた学生関数の現在価値は0となってしまう.

 もっと考えよう.次は「ホームレス」について考える.金ベースだとホームレス関数は実は入力も出力も存在しない.ここには学生のような投資の観点も存在しない.となると,ホームレスは無価値となってしまうのである.これは本当だろうか?本当ならホームレスなんて殺したほうが良いという結論になってしまうだろう.

 ここまで考えると,金ベースで考えた自分関数の価値というのは非常にバカバカしいし危険なものであることがわかる.しかしながら,現代に生活人として暮らしていると,「金」という「社会」の一要素でしかないもので,「社会的役割」の大部分が規定されるというバカげたことが実は当たり前のように感じてしまわないだろうか.人の価値を企業名や,肩書きで推測するということが,結構当たり前になされるが,この推測の根本には金ベースの思想が潜んでいる.いい大学に入っていい会社に就職するとか,外車に乗りたいとか,プラダを持ちたいという心もその根本には金ベースで考えた社会的役割が存在する.

 バカげた金ベース思想から逃れるには,3.で既に述べた「社会」を強く再認識する必要がある.

5.本来の「社会的役割」とは何か

 「社会」を「自分関数と関係するもの全て」として考えるなら,「社会」における「自分関数」の入出力,つまり「社会的役割」とは何かが見えてくる.自分関数への入力には,家族との会話,友人との会話,恋人とのデート,金,業務経験から学んだこと,講義で勉強したこと,本で読んだこと,飲み会で感じたこと,ニュースを見て感じたことなどなど,「自分に影響を与えるもの全て」が考えられる.出力を考えると,「自分の言動や行為(自分が影響を与えるもの全て)」となる.
 出力には正と負の二種類があり,社会から望まれる出力は「正」の出力であり,犯罪行為は社会に対する「負」の出力となる.犯罪行為にはならなくとも,誰かを不快にさせる言動や行為も「負」だといえるだろう.もちろんたばこの煙は負の出力である.

 このように,本来の「社会的役割」とは,「社会」の定義を広げてみれば(金への偏重主義から脱却すれば),もともと「金」を入力&出力として持たなくとも,立派な出力を持つことが可能な自分関数である.人に思いやりを持って接して誰かが喜べば,これは立派な正の出力を持った自分関数である.死なないで存在しているだけで友達や親が喜べば,これも立派な正の出力をもった自分関数である.逆に言えばあらゆる入力を全て「利己的」な目的に向かって出力してしまうなら,これは「社会」に対しては出力0であり自分関数の価値は低いと言える.



 めっちゃ金を稼いで,その全てを自分の家,自分の車,自分が食う旨いもんに費やす人がいるとして,この人は入力の一要素としての金が非常にでかいのに関わらず,出力を自分にしか費やしていないため実は関数として,つまり「社会的役割」としての価値は低いんじゃなかろうか(まあ税金はすごいだろうけど).
 ホームレスの人は入力として微々たる量しか得ていないが,ホームレス仲間に酒をおごった時点で,前者の金持ちより「社会的役割」としての価値が高いかもしれないのだ.



 この考え方が,金ばっか考えて見落としがちな本当の「社会的役割」なのではないだろうか.否,本来の「社会的役割」はこれであろう.経済的人間として生きる現代人(もちろん私自身を含め)は,それを忘れがちなことが問題なのだ.


6.おわりに

 以上,かなり5.は反論しやすいウソくさい内容となっているかと思うが,言いたかったことは,「人のために何ができるのか」を考えなきゃ自分関数の価値は上げられないということ,入力が大きいほど出力も大きくしなきゃなということ,「金ベース」で社会的役割を判断しがちな世の中がやっぱ嫌だし,実はそれってバカらしいよね,ということである.金ってのは人のため,社会のために使って初めて「社会的役割」を持つんではなかったかと自戒の意も込めて考察した.

 基本的にこの「社会的役割」の考察は独身向けで,既婚者で特に子供が出来るともっと複雑になってくると思うが,それは親にならなきゃわからないだろうということで,今回は省略する.











Nov 2, 2008

2008年車検記録



ヴィヴィオ ビストロ
初年度 平成9年
走行距離 74641Km

基本工賃:13000
保安確認検査:5000

ブレーキオイル エア抜き(取替):3000
ブレーキオイル:1200×1=1200
エンジン冷却液(クーラント)(交換):1800
ロングライフクーラント:980×2=1960
エンジンオイル交換:0(サービス)
エンジンオイル:700×2.7=1890
フロントドライブシャフトブーツ取替え:12240
フロントドエアイブシャフトブーツキット:2880×1=2880
オートマチックオイル:1000×1.5=1500
オルタネータ(ファン)ベルト取替え:2040
ファンベルト:3520×1=3520
エアコンベルト取替え:2040
エアコンベルト:1310×1=1310
ワイパゴム取替え:300
フロントワイパーラバーゴム:810×2=1620
発炎筒期限切れ:800×1=800
バッテリ 40B19L パナソニック:5700×1=5700

技術料計:39420
商品計:22380

整備小計:61800
消費税:3090
整備料合計:64890

自賠責保険:18980
重量税:8800
印紙代:1100
代行手数料&事務手続き費:0

諸費用合計:28880

請求額:93770