Oct 17, 2011

YIDFF2011 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011

10月6日から10月13日にかけて開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭に行った。
とりあえず、観たものを列挙。観た順。


「出稼ぎ東京」
「ネネット」
「光、ノスタルジア」
「大津波のあとに」
「槌音」
「殊勲十字章」
「ソレイユのこどもたち」
「女として生きる」
「反骨の砦」
「ある国鉄乗務員」
「市民戦争」
「第十九国会」
「南ベトナム海兵大隊戦記」
「テレビに挑戦した男・牛山純一」
「ギフト」
「朝が来て終わる夜を見たことがない」
「飛行機雲(クラーク空軍基地)」
「失われた町のかたち」
「チョコラ!」
「監督失格」
「川の抱擁」
「日は成した」
「三千年の収穫」
「まなざしの旅」
「雨果(ユィグォ)の休暇」
「アミン」
「阿仆大(アプダ)」
「柔らかな河、鉄の橋」
「密告者とその家族」


こう書いてみると結構観れてない。一日サボって読書してたし。。
各作品の感想を詳細には書く気がしないけど、良かったと思ったのは(テレビ除くと)

「光、ノスタルジア」
…一見関係ない人たちを監督の感覚で繋げていっちゃう強引さが嫌いじゃない。「繋げる役割」に真摯な姿勢に共感した。

「ソレイユのこどもたち」
…スタイルが確立されてる。

「朝が来て終わる夜を見たことがない」
…スタイルが確立されてる。

「チョコラ!」
…子供達がそこに生きている事がちゃんと誰にでも伝わる。「生きている」ことへの無条件の肯定が力強く感動的。

「三千年の収穫」
…うまく言語化出来ないけどストレートで気持ちが良かった。歌が強い。(劇映画)

「雨果(ユィグォ)の休暇」
…監督の事が好きになってしまったらもうそれだけでいいのかもと思えちゃう。短いの作品なのに人間がバッチリ映ってる。

「密告者とその家族」
…一番、エンターテイメントとして成立してた。ドキュメンタリー映画なんて普段観ない人でも「面白かった」と言える強度がある。

といったところ。



他のインターナショナルコンペ作品は、

一番退屈だったのは「阿仆大(アプダ)」シネマトグラフの実践らしいが、ペドロ・コスタのコピーにしか見えなかった。

「監督失格」「失われた町のかたち」「日は成した」はどれもセンチメンタルなセルフドキュメンタリーなのに、これだけ表現が違ってくるのを比較してみると面白い。どれも好き嫌いがハッキリ分かれそう。

「殊勲十字章」は玄人の評価が高いみたい。ブレヒト?らしい。が、自分には良く分からなかった。ただ監督の父親、監督ともに、その語りの背後に見え隠れするアメリカ的傲慢さに辟易した。

「飛行機雲(クラーク空軍基地)」は長くて寝た。冗長で疲れた。もっと切れるんじゃ…

「川の抱擁」結構好き。作品としてバランスが良いと思った。



連続して濃いドキュメンタリー映画を観るのは想像以上に疲れるんだなー、と。
そして、やっぱこれは来てよかったなーと。可能なかぎり今後も行きたい。学べる。かなり。方向性が見えるというか。全体の。香味庵も人間模様が面白かった。お会いしてみたかった人たちに会える場所があるというのは贅沢な事だ。


とりあえず、こんな感じ。もっと色々あったんだけど、それについては、またいつか…
もう少し頭の中で整理して今のドキュメンタリー映画の「傾向」を書けたらいいんだけど…
まずは何か仕事探さねーと…



香味庵で飲んで疲れきった後のホテルにて。蔵王温泉で購入した「ZAWO」Tシャツを着て。



_

Oct 5, 2011

After Jon Jost, Before Yamagata

土日の二日間、Jon Jostのワークショップに参加。

土曜は、渋谷界隈にて撮影をする。iPhoneで。一人で。ワークショップを20時頃に離脱し、D、Dの友達、Mさんと桜新町で飲み。起業家2人の話を聞いていて、久しぶりにMOTとかを勉強していた頃を思い出した。ビジネスマインド。かけ離れてしまってから結構時間が経ったので、新鮮だった。その「感じ」の場所にチューニングするまでに時間がかかった。

飲み会が終わって朝方から数時間かけて1分くらいのものを編集して作る。
安易なコンセプトものだったが、体験としては面白いものだった。土曜日の夕方に、2時間くらい「丸い物」を探して撮影しながら渋谷界隈を歩きまわっていたのはきっと自分だけだっただろう。

日曜はワークショップの参加者の方達がそれぞれ仕上げてきた作品を観て講評。
人それぞれ全く違った個性が出ていて面白かった。が、それと同時に、日本人は「教え」から逸脱したものを作る人が少ないなーとも感じた。

日曜はワークショップ後の飲み会に参加。そのままの流れでF監督と朝まで飲む。色々と話した気がするが、あまり覚えていない…とにかく映画についての話ばかりしていた気がするが、映画の話に興味があまりないため、なんか生意気に失礼な事を言いまくっていたかもしれない。。

月曜はJon Jost「パッサージュ」を観に行く予定が、土日の寝不足&アルコール摂り過ぎのために体調を崩しダウン。とにかく寝るしかねえと思い、日曜月曜と死んだように惰眠をむさぼる。なんとか持ち直して今。今日の深夜に、新宿発の夜行バスに乗って山形に向かう。7泊する予定。

ワークショップの後、試しに「夢のなかのイメージ」を作ってみた。
こーゆうものを今後作る事は恐らくないと思うが、編集や撮影についての自由度は広げられた気がする。
ただ、決定的に自分とは違うなーと思ったのは、自分はドキュメンタリー映画を観るときに「美しさ」は全然重視しないという事なのかもしれない。いや、美しい映像が嫌いという事ではなくて大好きなのだけど、別に手持ちブレブレの美しくない映像であっても全く不快な気分にはならない。何故なんだろう。美的感覚に不感症なのだろうか。もしかしたら「美しい」という事がある意味で無条件に「良い」とされている状況そのものに対して懐疑的なのかもしれない。

映像と音の表現における、「美しさ」については、全く考察する興味を今まで持っていなかったので、もう一度考えてみるいいきっかけとして捉えてみようと思う。




「CIRCLE in Shibuya」




「Drawing in Your Dream」





追記:YIDFF情報があまりに得られないため、twitter再開。アカウントはkawakami_takuya。このアカウントが一時的になるか恒久的になるかは未定。とりあえず自覚的に情報=命令の奴隷と化す。





_