Oct 14, 2006

breakthrough -studyからlearnへ-



高専時代は,遊びたい欲求も,バイトして好きな音楽や服を買いたいという欲求も強かった.
大体全エネルギーの使用比率は,
「 7:3 = 遊び&バイト : 勉強 」
という感じだった.
この生活スタンスの背景には,
「バイトも遊びも知らないで勉強してる奴は面白くないし,人として幅もせまくなる」という思いがあったからだ.

このスタンスで高専時代を送ったことは,社会人学生という特殊な立場になった今,大正解となった.

「5年間結構遊んだし,バイトもやったし」
という気持ちがあるから,自然とモチベーションが勉強に向いてくる.

大学生活を初めて経験している現在,高専時代と比べものにならない程「自宅学習」している.

実験レポートなどには毎回15時間くらいかけているし,平均週5つくらいある課題宿題にはそれぞれ3時間くらいかけている.
土曜日は脳のバランスを保つために「NO勉デー」に設定して家事や読書や映画や酒に当てているので,平均自宅学習時間は30/6=5時間ってとこだ.
最終講義が18時に終わって,家に帰ってから自学5時間ってことは,もうほとんど勉強しかしていない.正直キモイ.

自分にとってこの勉強時間は快挙だ.
かつてこんなにコンスタントに「机」を使った覚えはない.
しかもそれは別に「いい成績」を取りたいからでもなく,「人に評価されたい・自慢したい」からでもなしに,「知識欲」が元になっているのだ.

そんな生活をしている最近,「学ぶ」ことの本質がつかめかけている気がする.
「学ぶ」ってのは「教わる」ことではない.
大学の講義は早いし難しいし,課題もレポートもこなすだけで大変だが,それらを完璧にこなしたとしても,それは「教わっている」に過ぎない.
何故ならそれらは全て「与えられたタスク」だから.受身.

そこに「学ぶ」ことの本質など無い.
「学ぶ」ということは「知りたい」という欲求から「自分で問題を設定し,考える」ということ.

「講義が難しいから全然わからんわーダメだこりゃ」
という高専時代の私のスタンスは,甘かった.
「講義が難しいから参考書借りて一からやらんと理解できないな」
ってのが今のスタンス.

大抵,学生の理解度が低いへったくそな講義をする教授はテスト問題が毎年同じだったり,課題の採点が甘かったり単位を取りやすくする「悪い妥協」をしているが,はっきり言ってこんなもんはクソだ.

「講義全然わからんけどこれとこれ覚えとけば単位楽勝らしーぜーー」

ってのが性に合わない.まあその気持ちはちょっとはわかるけど,やっぱり嫌ね.
だって,無意味だもの.
そんな理解してないことただ覚えるのに時間使うなら,音楽文学映画絵画という広大な宇宙を味わったり,スポーツで汗を流すほうがよっぽど有意義だもの.


偉そうなことを書いてしまったが,ようやくこんな内容を書いても「自分は棚にあげて」と突っ込まれないだろーと思えるようになった,22歳秋.











1 comment:

  1. おさむさんのコメントはどう答えたらいいかわからないので削除しました.

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