Sep 26, 2011

いくつかの種

●情報量と認知速度の関係
−編集時の画面と劇場スクリーンの大きさの違いから来る体感速度の違い
−一人で編集をしている時と、劇場で周囲の観客がいる時とでの映像の感じ方の違い

●大津幸四郎の実感から
70年代後半あたりから、撮るべきものを作り手が主体的に選択する必要が出てきたこと
=撮るべき対象が簡単には見つからない状態が日本で支配的になる
その流れの極限としての90年代にセルフドキュメンタリー
ー関連して 撮るべきものがないときに、無理やり題材を見つけて撮った作品の強度と真摯さへの疑問
ー撮るべきものがないというのは本当か、そうだとしたら何故そう認知され得るのか

●日本の特有性
日本のドキュメンタリー映画界が辿ってきたドキュメンタリー感の変遷と、日本以外のそれとの比較
ーガラパゴス化している部分としていない部分を明確にする
ー日本のドキュメンタリー映画批評が「見落としている(=図らずも無視している)」視点は何か

●テレビと映画
ーテレビドキュメンタリーから学べることは何か 批判すべきところではなく、盗めるところ


久保田幸雄
「ドキュメンタリーの場合、演出家の最大の仕事は何かといえば、取材相手とどう接触し、どれだけ仲良くなれるかということだと思いますよ。…」



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