Jul 16, 2011

twitter退会なう

mixiの時もそうだったけど、こう入れ込んでいくとある時にふっと冷めちゃう所が自分にはあって、さきほどtwitterアカウントを停止。1年半くらい使ってたけど、twitterは使い方によってはとっても有用な楽しいツールだと思う。全然、twitterを否定する気はなし。自分の性格と今の状況と今後などを総合的に考えて退会した。

なんつうか、こう、思考を熟成させるって事がいつでもとても大事だと思うのだけど、twitterがそこにあると、それはどうしても即時的な性格のものなので、その時思ったことをダーッと書いてしまって「練り」の力がどんどん失われるような気がしており。
自分が今後何かを作っていく上では、一旦思ったことを咀嚼して思考を練る事が重要だと思って、それにはtwitterはあまりよろしくないんじゃないかってのをこの数ヶ月くらいぼんやり考えていて、今晩そのタイミングがたまたま来たという。まあ普通のユーザならアカウントは残して距離を置けばよいのだろうけど、0か100かの性格は直らないというか…困ったもので。。

iPhoneユーザということもあって、外にいても歩きながらtwitter、電車でもヒマがあればtwitter、家でもタバコ吸いながらtwitterと。そういう超ヘヴィユーザな使い方に自分はどうしてもなっちゃうタイプで(前のmixiしかり)、それも何だか馬鹿らしい気もしていた。本を読んでいても2ページ読んでtwitterみたいな、明らかに集中力が低下するような状況もあったり。

1年半くらいの期間の中で、500人以上のフォロワーさんが出来て、twitterでやり取りした方は多数いるんだけど、そーゆう人達のtweetを見られなくなるのは正直ちょっと寂しい。会った事はないけど気になる人がたくさんいた。日々色々と悩みながら過ごしている学生さんとか、ドキュメンタリーが好きな人とか、たくさんの自主映画監督とか、俳優/女優の卵の人達とか、いつも下らない事しか書かない人とか、映画を作ってる学生さんとか、ちょっと心の病気をかかえて普通に生活する気力がなくなってる優しそうな人とか、活動家の方とか、サイエンス畑の人とか、いつも仕事の愚痴ばかり書いてる人とか、本当に色々。そんな、見知らぬ、けどどこかでその生き方に共感出来るような人たちの生活の一部分を垣間見るのは、まあ普通に楽しいものだったな。きっといつかどこかでお会い出来ると、そんな想像をしながら生活するのも悪くないかなあと。

でもまあ別のアカウント作るとかも当分はやりません。そのうちふっとまたやりたくなってまたフォロー/フォロワー0人からやるかもしれないけど。その時はまた。




twitterに書いた結言をここに。

「あらゆる人達が、あらゆる思考を重ねながらそれぞれの日々を生きている。大切なのはきっと、あの人の事を優しい気持ちで考えてみるような想像力。」

3 comments:

  1. 遺言かっこいいな。というか、文章力で見て俺のチャバネゴキブリのやつと比較すると面白いほどの差がある(笑)くっ、恥ずかしいぜ・・・。

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  2. ごめん、結言の字が間違っている。

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  3. 遺言じゃ死ぬみてーじゃねえか…!
    結言は「ケツゲン」と読むのです。

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