Jul 5, 2011

「数学の文化史」を読んでいて個人的な人生の繋がりを想起した早朝に

ファッションとパンクロックとヒップホップと映画に淫していた中学生時代も終盤を迎えつつあった15の夏ごろ、15の夜、盗んだバイクで走りだすほどは、夜の校舎窓ガラス壊してまわるほどにはグレてもいなかった私は、どうやら高校という場所に行くには受験というものがあるらしいという事を認識し始めており、元々の短期集中型の性格から、そんなに持続的に受験勉強をする気にはなれず、かといってどうやら高校という場所は、その次に大学という場所に行くためにはかなり重要な環境であるらしいという事も理解しており、どうやらこの国ではどこの大学で学んだかというステータスが、安定した職業に就くためには重要らしいという事もうっすらと感じており、うーんどうしよーかなー、やだなー大人になりたくないなーなんてモラトリアム初期の感じで日々を過ごしていた。

私の地元では、H高校がトップの進学校で毎年T大学へ入学する学生を輩出しており、K高校が次のレベルで、その次にN高校がある、という学力のランク付けがなされていた。そのぐらいは夏期講習などで塾に通う周囲の友人たちからの情報などからある程度は認識していたが、そんな中で高専という5年制(高校3年+高等教育2年)の学校が、ある種異質なものとして進路選択の位置を占めていた事を知った。高専の学力レベルはH高校とK高校の中間ぐらいだ。「悪くない。」

当時の私の学業成績はすこぶる順調で、進路担当の先生からはH高校に行くべきとの助言を頂いたりもしたが、H高校の学生は私の目から見てどうも魅力的には映らなかった。ダサかったからだ。当時唯一の収入源であった「お年玉」を全て洋服とCDに費やすようなお洒落キッズ気取りの私にとっては、学力などよりも在学生のカッコ良さが大問題であった。K高校はもう少しダサさ加減はなかったが、私の父親の母校でもあり、兄も在学中であり、なんかちょっと当たり前すぎて面白みに欠けるしなあと感じていた。

そこにつけて、高専というのはどうやら私服で通えるらしく、何やら髪の毛が金髪でも許されるらしい、学生の自主性を重視する方針で学則はほとんどないらしい、との噂は私のハートを少しばかり惹きつけた。ワープロなるものを無理やり家庭に導入するような中学生だった私は、人生ゲームなどの職業においても「プログラマー」という響きに魅力を感じていたり、たまに読む雑誌やニュースで「これからは情報産業の時代が来る」などという識者の意見も把握していた。なので、高専はなんだかよく知らないがアリだったのだ。

そこに更に重大な情報が入り込む。「高専というのは推薦入学という枠があるらしい。」
受験勉強などやる気になれなかった私は、この情報に食いついた。中学時代の成績だけで入試無しで入学できる制度は手放しに素晴らしい制度だった。当時20代後半だった(はず)女性の担任に相談すると、「うーん。まあ今の成績なら推薦で確実に入れるとは思うけど。女の子少ないよ?大丈夫?」と、非常に核心的なポイントを指摘され、一瞬ウッとなったのだが、「受験勉強しなくていい」というメリットが最大の決定因子となり、私はそのまま推薦で高専に入学した。


今思い返してみると、そんな安易な理由で高専に入った事が、現在までの私の人生の大部分を決定づけた。
何せ、高専の5年間で培った友人関係は、恐らく今後も揺るがないほどの密な繋がりとして存続しているし、大学編入(高専生は5年生の卒業段階で、就職 or 大学3年次編入という進路を選択する)も例によって受験勉強が嫌という理由もあって選択せず20歳で就職した会社は当時の担任一押しみたいなところだったし(結局入社後、会社の委託学生という立場で大学に編入したが)、何と言っても、元クラスメートだったSとは4年生頃から、かれこれ7年以上のお付き合いで、最も私という人間を理解してくれている存在だ。




と、こんな事を振り返って整理してみて、特に感傷的になっている訳でもないのだが、うーん、人生って繋がっているなあという事を思った次第。今から10年以上前の自分の選択は、確実に現在の自分まで繋がっている。
ただ、「会社を辞めてドキュメンタリー映画制作を志す」なんて、多分周りの知人友人家族含めもちろんSすら想像していなかったであろう、ある種確実に「血迷ったか?」と思われるような選択を去年に下した事も考えると、何というか、繋がっているんだけど、変化を自分で起こすことが出来るのも人生だなあと思う。


2005年の夏にシカゴに住んでいた頃から書き続けているブログが、今後もネットサーバ上に残り続けるとして、幸運にもあと10年、野垂れ死にすることなく生き続けていたなら、10年後、つまりは37歳になっている自分は、27歳のこのブログを読むのだろうか。そしてその時に、再度、人生の繋がりや選択による断絶を思い返したりするのだろうか。


まあ、どんな事になっていようと、未来は自分で切り拓くしかないんだろう。
拓也の拓は「切り拓く」という意味らしい。名前に負けず、切り拓いていかんとなあ。


駄文でした。
分厚い本と冷たいカフェオレと少しばかりの内部被曝と共に。
家族と友人とパートナーと、見知らぬ読者様の肉体的・精神的健康を祈って。

良い夏を。




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●最近読んだ

1.W・ベンヤミン「ベンヤミン・アンソロジー」:「技術的複製可能性の時代の芸術作品」を再読。必読。
2.阿部和重「無情の世界」:友人からもらったので。短篇集。表題の「無情の世界」の舞台は二子玉川。
3.畑村洋太郎「失敗学のすすめ」:機械設計の大御所の先生の本だが、あらゆる分野に応用可能。何度も読みなおす本。
4.宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」:今売ってる漫画の中で最もコストパフォーマンスが高いと思う。2987円。
5.町田康「ゴランノスポン」:短篇集。表題にもなっている「ゴランノスポン」は傑作。THE町田康。


●最近観た

1.是枝裕和「奇跡」:誰も知らない、歩いても歩いても、に続く家族ものの新作。良質な娯楽映画。
2.ヴィム・ヴェンダース「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」:夏なので。キューバ音楽ドキュメンタリー。
3.川口潤「kocorono」:留萌が、いや日本が誇るべきbloodthirsty butchersのドキュメンタリー。かっこ良い。
4.デヴィッド・フィンチャー「ソーシャルネットワーク」:話題だったやつをようやくDVDで。普通に面白かった。
5.佐藤真「花子」:自分も使用しているPD150で撮られたと知って見直す。信じられんフィルム感。大津キャメラマン…

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