Nov 16, 2008

wanna be a connection



観たいなーと思ってた時期が過ぎ去り,忘れ去っていたが昨日発見して観た.

好きな質の映像世界だった.俳優もいいし.
映画評論家の中では評価低い作品らしいけど,そんな評価気にならんくらい気に入った.

こないだガスヴァンサントのパラノイドパークという映画を見て,期待通り好きな質の映像だと思って,調べてみたら,撮影監督はどちらもクリストファードイルだった.

この人は,「孔雀(Away with words)」という映画を16,7歳くらいの時に見て初めてしった撮影監督で,この「孔雀」という映画の音楽は,こないだ新宿Pit Innで聴いた板橋文夫がやっていたらしい.

とこんな風に,自分の接している芸術作品に関わってる人達ってのは,意外とどっかで繋がってたりして面白い.
音楽でもこれいいなーと思うのが同じレーベルだったり,プロデューサーがかぶってたりすることが多い.

もっと言うと,身近で関わる人間でもパッと,直感的に,こいつとは感性あうなーと感じる人ってのは掘り下げると影響されてる人らが似ていたりする.で,話してる中で影響及ぼしあったりする.それが面白い.

逆にこいつとは感性合わないなーって人も多くて,こういう人達とはつまらないからなるべく関わらないとか,離れるとかいう方向になりがちだけど,自分には無い感性を持ってる人間と積極的に関わろうって姿勢が,結局平和志向な生き方だと思う.

「これ全然わかんねーな」というのと,「これ全然面白くねーな」というのは全くの別物で,案外この辺を短絡的に一緒のように捉えてる人が多い気がするけど,「これ全然わかんねーな」というのは,「これは自分にとって新しい」ってことで,実は自分の枠を広げる可能性が最も高いという意味だったりする.


で,こういう考え方は,俺が今年の春から考え続けてきた,コラボレーション環境での創造性支援手法の根本に繋がっている.
「他人との違いに気づくこと」が効果的なコラボレーションには最も重要だという認識が共有できない人ってのは,協同作業を成功させるのに最重要なことは,「他人へのリスペクト」だという点においても同意できない気がする.


異質なものを排除するのか,異質なものを理解しようとするのか.
前者の方が楽で気持ちが良い.でも後者の姿勢がなければ成長なんてない.

前者を続けると井の中の蛙になって,後者を続けると器のでかい人間になれる.んじゃないだろうか.

俺は器のでかい人間になりたい.理解できないものがあったら,まず何故かを考えたい.
意味ある「否定」は,理解する努力をし続けた後にしかできない.

すぐ否定するってのはそれだけ否定する側の器がちいせえということだ.











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