Aug 6, 2010

アブストラクトとシュルレアリスムとドキュメンタリーの相似性についての覚書



twitterに書くと、思いつきも気づきも「流れて」しまうのでここにメモ。

●アブストラクト●
所謂、アブストラクト(抽象的)な表現を昔から好んでいるのだが、例えば<アブストラクトヒップホップ>と呼ばれていたような音楽(その定義は今になっても曖昧だが)が好きだ。DJ KrushやらTBH。そしてMassive AttackやPortis Head。また、絵画の世界では抽象表現主義と呼ばれるジャクソン・ポロックやマーク・ロスコ好きだ。で、何故好きなのかはよく分からないでいたが、非常に感覚的に素朴に好きだった。

●シュルレアリスム●
サルバドール・ダリが中学の美術の教科書に出てくる絵画で最初に好きだと感じた画家だったり、フロイトの精神分析入門が世界文学としてまともに読んだ最初の本だったり、お笑いで言ったら初期のふかわりょうが大好きだったり(彼は<シュールの貴公子>というキャッチフレーズを持っていた)、ラーメンズをパクって学祭で演じたりしていた。つまりは、青年期においてシュルレアリスムに淫していた。

●ドキュメンタリー●
10月から通う予定の学校の入学課題みたいなもので、簡単な文章を書いたのだが、そこに「ドキュメンタリー」とは「わからないものをわからないままに現象学的括弧に入れ、批判的(もしくは愛のある)眼差しを持って見つめ続ける事で対象に接近する行為」だ。みたいな事を書いた。また、ドキュメンタリーの本質は「事前の取材や調査による問題意識から、撮ろうと思っていた対象や状況が、実際に人に会って撮っていくうちにどんどんブレていくこと」にあると考えている。要は「思っていたように撮れない」というのがドキュメンタリーの宿命なのだ。
(この覚書の主題とは無関係だが、「対象に接近すればするほどよく分からなくなる」というのはいわば現代を支配している「モード」だと思う。それはナノの世界を観察できるようになったボーアの時代に、電子も原子も粒子であると同時に波であり、その存在は確率的にしか決定されないといった世界観が起因となっているはずだ。)


と、異なる3つの関心事について考えていて、何か共通点はあるのかなーと疑問を抱いた。
恐らく共通点は「アブストラクト」も「シュルレアリスム」も「ドキュメンタリー」も「よく分からない」という事だ。
よく分からないものに惹かれる。と書くとちょっとバカみたいだが、恐らく根本的興味が、そこにある。

「よく分からないが、そこには必ず本質的に重大な何かがある」
今後、この感覚を意識し大事にすること。



















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