Aug 20, 2010

雑文 忘れること、学ぶこと、生き方の問題



普天間基地移設問題は今どうなっているのだろう?
鳩山元総理は何故辞めなければいけなかったの?
リーマンショックってのは結局何故起こったのだろう?

もう少し遡ろう。

あのイラク戦争は結局何故起こったのだろう?
911の根本原因は何だろう?

もっと遡ろう。
地下鉄サリン事件の発生メカニズムは解明されているの?
第二次世界大戦下には何故あんなに抑圧された社会が生まれたのだろう?
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「新聞を読んで、ニュースを見なさい。」
これは誰もが学校の先生や、家庭で言われてきた言葉だ。
勿論、今自分の生きている社会や世界で一体何が起きているのかを知ることは重要だ。

新聞もテレビのニュースも、「新=NEW」であり、即時性の高さに特化したメディアだ。
毎日、目まぐるしく変化する経済情勢、社会情勢、政治。それを追っていく中で我々は疲弊する。

どんなに意識的に社会に興味を持って生活している人でも、新聞やニュースのペースに合わせてしまうと、
ある重要な事件や出来事が起こったとしても、それらはすぐさま忘却の彼方へと放り込まれる。
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ある事件が起きる。新聞記者、テレビの報道記者は、すぐさま調査する。どちらも一日勝負だ。
調査し、情報収集し、まとめ、選択し、そこに識者のコメントなどの意味付けを振りかけて世に送り出す。
次の日、また別の事件が起きる。その次の日も、また次の日も。どんどん情報を量産する。

例えば、誰かが誰かを何らかの動機を持って殺したとする。
加害者、被害者は勿論の事、加害者家族、被害者家族、また直接的な関係者の人生を一変する出来事だ。
そこには奪われた命があり、奪われた生活がある。

我々は無意識の内に「怖い」と思う。そして、残酷にもバラエティを見てメシを食って寝るのだ。
(何だっていい。音楽を聴いて、小説を読んで、映画を観て、運動をして、風呂に入って、もしくは何もしないで)

「さあ、今日も仕事だ」
我々は忘れる生き物だ。
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必死に自分の生活を、自分の家族の生活を、守っていくためには、いちいち殺人事件に立ち止まってはいられない。
その実感は誰もが切実に理解出来る。

だがしかし、我々は忘れる生きものだが、我々は学ぶことの出来る生きものだと信じたい。
「どうせ何も変わらない。全ては繰り返される。」という諦念を示すには、私はまだ早過ぎる歳なのだ。

遅いメディアがどうしても必要だと思うのだ。何かを静かにじっと見つめ続ける目。
世の中にはそういう目も絶対に必要だと思うのだ。
そんな目がないと、我々はいつまでも忘れ続け、いつまでも学ぶことが出来ず、いつまでも同じ過ちを繰り返す。

いや、正直な話、「人間なんてどうせそんなものだ」という想いはあるのだ。
「世の中は変えられないし、悪はいつまでも蔓延るし、不条理はすぐ隣にあるし、悲劇は繰り返される」
いや、正直な話、「どうせ、そうかもしれない」という気持ちにはなるのだ。

「人間なんて」と葛藤や矛盾を抱えながら、「でも。」と言うか言わないか。
これは「実存」としての生き方の問題だ。

そう、これは生き方の問題なのだ。
どんなに「生きづらい」と言われる社会であろうが「経済が厳しい」と言われる社会であろうが、
この社会にはどんな時代でも一定数、この「でも。」と言わなきゃ生きられない人間がいるのだと思う。

「世界はもっと豊かだし、人間はもっと優しい(森達也)」ハズだろ?














1 comment:

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    Is this possible?

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