Aug 10, 2010

佐々木敦「ニッポンの思想」、読後のアウトプットあるいは10年代が要請する物語について




久しぶりの新書。良書。

80年代からのニッポン(≠日本)の思想が、主に音楽と映画を主戦場とする批評家の著者が、「一読者」としての理解を分かりやすくまとめた本。

80年代。浅田彰「構造と力」から全てが始まり、中沢新一と共に「ニューアカ」と呼ばれ、思想がファッションになり蓮實重彦と柄谷行人もその波に乗り一時代を築く。
90年代に福田和也・大塚英志、宮台真司が出てきて、ファッションや理念的になった思想をリアルでシラけた日常に引き戻す。
で、ゼロ年代の寵児、東浩紀が思想界で一人勝ちしている状況まで(2009年まで)を、「超ざっくり」書いてある。

超ざっくりと言っても、俺のような門外漢にとっては、非常にためになった。
何より、思想の内容には簡単に触れるに留まり、80年代や90年代、ゼロ年代の時代感と各論客間の関係性が重要視されて書かれており、門外漢の為のまとめ本になっている。

いかにも「新書」的読みやすさ。正しい「新書」だった。



2010/8/7 麻婆豆腐、豚汁、サラダ(トマトドレッシング)、白飯


2010/8/8 アジの干物焼、春雨サラダ、もやしと納豆炒め、玉ねぎとえのきの味噌汁、わかめご飯


2010/8/9 春巻き、卵スープ、シシトウのベーコン巻、ちくわきゅうり、トマト、春雨サラダ、白飯



追記:「読後のアウトプットあるいは10年代が要請する物語について」

これまでの「物語」:主人公の全能感→何かのきっかけによる挫折(精神の死)→理解者による立ち直り(復活)
これからの「物語」:挫折を味わうまでもなく主人公は精神的に死んでいる→共同体による承認による復活

これからの「物語」に要請されているリアリティとは、これまでに予め担保されていた第一幕での全能感が初めから喪失している場所から始まる事にある。つまりは主人公は物語冒頭で死んでいる。しかしながら、その死は戦後高度経済成長期からバブルまでに青春期を過ごした事のある世代が守ってきた「古き良き時代」の価値観という仮想的/無効な内部での死である。
主人公は実はその仮想的内部がゼロ年代を経由し10年代には崩れかけていることに徐々に気がつく必要がある。そしてそれを気付かせる事が出来るのは政治でも経済でも思想でもなく、共同体として、もしくは実生活の中での近しい「他者」である。それは必ずしも血縁関係や地縁関係である必要はない。そこに気付いた主人公が価値観を転換することで新しい生として「復活」する。もしくは、復活の兆しが見える場所まで到達する。
対比的に、旧来の価値観を更に発展させていく「同世代」も居るはずである(つまりは新自由主義を謳歌するようなタイプ)。こちらのタイプの破滅を描く必要は全くなく、両者ともに上手く棲み分ける「物語」が必要。

以上、備忘として。



追追記。顔で見る「ニッポンの思想」















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