Apr 25, 2010

JUSTICE



最近はNHKしか見ていない。別にNHKを賞賛するつもりは更々ないが、民放で面白いのはテレ東とMXに決まってるから、静岡に住んでいる現状ではNHKくらいしか見るものがない。

菊地成孔が音楽をやっている、ということと、さっちゃんからARATAと麻生久美子が出てると教えてもらったのをきっかけに、「チェイス」というドラマを見ている。国税査察官と脱税のスペシャリストの対立を描いた、いわゆる社会派ドラマ。「ハゲタカ」と同じテイストのドラマだ。
カット数が多く目が疲れるのと、所々に脱税スキームに関する説明的描写が目立つのと、演出が少々わざとらしく役者のポテンシャルを潰していることとが欠点で、あまりのめり込めない。

が、今回はその話ではなく、「ハーバード白熱教室」についてだ。
これはハーバード大学の政治哲学の教授であり、共同体主義(コミュニタリアニズム)の中心的論者であるマイケル・サンデルの「正義」についての講義が見れる、という秀逸な教養番組。
ハーバード大学なんていう、超優秀学生が受けている講義が見れるというだけで、涎たらたらだ。
これが、対話的講義の最も成功している形のように見られ、非常に面白い。そして難しくない。
毎週日曜日の夕方に放送している。「殺人に正義はあるか」「命に値段をつけられるのか」「富は誰のもの」などのテーマでこれまで3回の講義が放送されている。

第2回、第3回の講義で「リバタリアニズム」が論じられた。
俺はリバタリアニズムの論理が大嫌いなので、リバタリアンを自称する学生の議論を聞きながら、ボゥシット!ファック!と叫びながら見た。ここで言ってるのは右派リバタリアニズムで、要するに自由市場主義万歳な人達。これが、最も批判したい考え方だ。

マイケルジョーダンやビルゲイツは巨万の富を築いている。その富に国家が課税して経済的弱者に再配分する。それを個人的権利の侵害、もしくは奴隷制に直結するものとして否定するのが、リバタリアンの考え方だ。それを認めることは、自分は自分が所有しているというリバタリアンの前提を覆すものとなる。

ファックリバタリアン。
政治哲学に超ファミリアな訳ではないが、結局このリバタリアンの考え方やリベラルの考え方が根本的に欠いているのは、端的に「弱者への思いやり」だ。

弱者への思いやりを失った社会がどういう状況を招いたのか。
リバタリアニズムに強く影響されて小泉政権が行った政策で、日本はどうなったのか。
社会はどうなったのか。明白じゃないか。

わかりやすく日本はアメリカ的になった。神と悪魔の宗教的二項対立という背景がないこの国において、つまり国民に「白と黒」とか「勝ちと負け」の境目がはっきりせず茫洋としたものを茫洋としたまま受け入れる事のできる文化を築いてきたにも関わらず、経済的に「勝ち負け」が完全に決定されてしまう国になってしまった。

経済的に勝ち組の人間がそろったマスメディアが作りだす映像は、経済的な勝ち組が人生を謳歌する映像。飽食を肯定的に描く番組。高価なファッションを身につける芸能人を魅力的に見せる番組。何か新しくてお洒落な物を身につける事が「幸福」であると言わんばかりの演出。

ミスった者は救われない社会。一旦レールを外れたら、敗者復活の制度はない社会。
この社会で、20代の若者達は、安定志向。ビクビクしながらなるべくミスらないように生きる社会になってるのは明らかだ。
そんな抑圧された精神の中で、景気回復の兆しも見えず、憂鬱な低調経済が続くなんて言われて過ごせば、うつ病は当たり前に蔓延するだろうし、自殺者だって減らないだろう。

やっぱダメだと思うな。こんな社会じゃ。

どっかに気概ある金持ちはいないのか。「俺は金持ちになった。でもこれはほとんど運だ」だから運がなかった全ての経済的社会的弱者に、この金を還元します。といえる、通常の精神の持ち主は。


あんたのその高級ジュエリーを買う金でさ、あんたのその高級スポーツカーを買う金でさ、いったいどのくらいの人間が、最低限の衣食住が満たされた生活ができると思ってんだ?
そーゆうこと、考えないのか?同じ時代に、みんな「生きてる」のに。











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