Sep 19, 2009

S.T.O.P.



いつまで人生を休んでいるのか.
会社という生活資金を稼ぐための場所に行けなくなってから早4週間.
私は先週から旭川市にある生家に逃げ帰り,自堕落な生活を送っている.
俺はいつまで人生を休んでいるのか.

精神は疲弊したままなのか弛緩しきっているのか,自己で判断がつかない.
感謝すべき(もしくは冷笑すべき)上司の奔走のおかげもあり,来月からは今までとチョコッとだけ違う部署に異動させてもらえるようだ.かといって果たして,出社出来得る状態なのかどうか,これもまた自己での判断がつかないのである.全く精神疾患というものは厄介な代物で,判断力が鈍り,物事を決断することが出来ないのである.意思を持てないと言ってもあながち大袈裟な表現ではないだろう.

アイデンティティクライシスは,既に乗り越えられたのか.
愛ある隣人たちは皆口を揃えてこういう.「君なら大丈夫だ」と.
深い感謝の念と自尊心が湧き上がるのを感じながら,それと同時に深い孤独と絶望が冷たい目でこちらを見つめる.


「何でも見ることが出来て,何でも聴くことが出来るけど,見るべきものは何もなく,聴くべきものも何もない.」


何という試練だろうか.愛はときに酷く残酷なもので.
自らの命を絶つという行為は最も単純で簡単な解決方法だが,愛はそれを赦してはくれないのである.
人は生まれながらにして孤独で,世の中は誕生以来不可解であり,生活は憎悪すべきほど醜いが,その全ては同時に信じがたいほどに美しい旋律を持って私の心に迫ってくるのである.

世界に希望を見い出したと思った次の瞬間には,底の方にどす黒く光る絶望が顔を見せるのだ.
自我を捨てきれない自分の弱さ醜さに自ら呆れ返り,100%愛のために生きたいと真顔で信じているこの精神に救いなどない.

答えもなく,目的もない.
あるのはこの憎むべきだらけきった肉体と,壊れかかった脳細胞だけである.

生まれながらにして,適応できていないのである.
私には,一切の人間の生活というものが,理解出来ていないのである.
25歳までに植えつけられた倫理観と愛に守られながら,同時にそこから生まれる孤独に抵抗しているのである.腑抜けな表情で.切迫した精神で.

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サガン「悲しみよこんにちは」
サリンジャー「フラニーとゾーイ」
サリンジャー「キャッチャーインザライ」
オースター「リヴァイアサン」
太宰治「ヴィヨンの妻」
望月ミネタロウ「東京怪童」
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吐き気がするんだ.まっとうなもの全てに.











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