Jan 22, 2007

「気持ちの悪さ」から解釈するカフカ「変身」



 本レポートでは,カフカの「変身」を読んでいる最中,常に感じた「気持ちの悪さ」がどこから生まれるのかという疑問から解釈をスタートし,この作品の本質に近づいてみたい.

 この作品から感じた,なにか釈然としない「気持ちの悪さ」は一体どこから生まれているのだろう.まず,それは現実と非現実がこの作品の中にうまく同居させられているからだと考える.主人公グレーゴルの思考過程や行動は非常に理性的であり,人間的である.家族や同居人の対応も非常に現実的であり,淡々と描かれている.ただ一点,主人公が理由無く虫に変身してしまったという絶対的非現実の中,この作品は登場人物や部屋の状態など,非常にリアルな描写で描かれていく.虫への変身という絶対的非現実があたかも当たり前のように描写されていくことによって,この作品全体を通して流れている気持ちの悪さが生まれている.この非現実に対して登場人物の誰一人,何故という疑問を持たないことは不自然であり,気持ち悪いのである.これは明らかにカフカが意図的に仕掛けたトリックであるが,この虫への変身という非現実的現象を如何に現実的現象,現実的変身に落とし込んで考えるかが,本作品解釈における最も重要な点である.あまりに非現実的な設定によって,非常に現実的な様々な解釈が可能になるという点に,本作品の奥深さがある.

 虫への変身を現実的側面から考えてみると,「外見と内面」というテーマが見えてきた.言い換えればそれは「肉体と精神」の問題である.グレーゴルから見た「変身」という現象は,単なる外見,肉体の変化に過ぎない.精神という内面においては変身していないグレーゴルは今までどおりの気遣いを家族に望む.しかしながら家族から見た「変身」は,その外見だけではなく内面までの変化である.よって家族はグレーゴルに対し,虫としての扱いを提供する.これはつまり,変身というひとつの物理現象も,異なる主観からは全く異なった現象であることを示している.逆説的に言うと,真実とは主観によってのみ理解されるということである.この思想はとりもなおさず実存主義である.

 このように,初めに感じた「気持ちの悪さ」という主観から解釈していった結果,最終的にこの作品は実存主義文学であるという結論に至った.主観から考えるという方法から主観を重んじる実存主義が導かれたことは妙に納得のいくものである.












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